【Web巻頭言にかえて】「批評」や「カルチャー」から欠け落ちたもの


「我々〈アレ★Club〉は、これよりWebマガジン『コレ!』を立ち上げる!」と、高らかに宣言するのは気恥ずかしいし、字面もどこか滑稽だ。なのでここでは、このWebマガジンの立ち上げ人である僕(堀江くらは)から、僕たち〈アレ★Club〉が何をやりたいのかをキチンと語ってみたいと思う。かなり正直に、包み隠さずに言いたいことを言うので、そのつもりで読んでいただければ幸いである。

僕たち〈アレ★Club〉は、いわゆる「評論・批評系同人誌界隈」ではそこそこ名の知れた存在だ。今から2年前の2016年、文学フリマに突然現れ、同人誌即売会の評論島では比較的多い初版100部を頒布し、大型書店でも委託販売をして結構な数が売れているのだから、そう言っても構わないと思う。一応断っておくが、別に「〈アレ★Club〉を知らないなんて遅れてるー★」とか言いたいわけではない(まだ僕たちのことを知らない人たちには、これを機会に是非とも覚えてもらいたいが)。

『アレ』Vol.2書影

僕たちの発行しているサークルの機関誌『アレ』は、「ジャンル不定カルチャー誌」と銘打ち、世の中でなかなか取り上げられないもの、忘れ去られてしまったもの、人々から見過ごされてきたものなど、いわゆる「アレ」なモノ・コト・ヒトを取り上げて、あるいは掘り下げて、それらが僕たちの生活と地続きであるということを、世に広く発信するために作られている。

僕たちは、たびたびそのように公言してきた。実際、僕たちは同人誌即売会でも書店でも、出会う人には「ウチは“批評誌”ではなく“ジャンル不定カルチャー誌”です」と言い張っている。

にもかかわらず、僕たちは評論・批評界隈から「何をやっているのかよく分からない集団」と見なされてもいる。確かに、僕たちが作る『アレ』の表紙は二次元の女の子で、アーティスティックな柄を用いた他の商業誌・同人誌とは随分と毛色が異なる。さらに『アレ』の中身は、例えば最新刊『アレ』Vol.4なら小泉義之先生や金岡博士、アラン・バディウ氏のインタビューや特集巻頭言が載っている一方、ページをめくっていくと普通のサラリーマンが自身の日常を題材にしたコラムを書いていたり、商業誌はおろか同人誌にも寄稿経験がないアマチュアが書いた小説も載っていたりする。何より、奥付のページに掲載されている「巻末詩」にいたっては、何のために存在しているかさえ分からない。そんな団体である以上、他のサークルや書店員さんに「よく分からないヤツら」と思われるのも仕方がないとは思っている。

とはいえ、僕は「理解されない俺カッコいいー!」と思ってはいない。むしろ、〈アレ★Club〉が何を考えて何をしているのかについて、もっと広く理解してもらいたいと思っている。だからこそ、ここで一度、しっかりと〈アレ★Club〉のやろうとしていることや、「なぜWebメディアを始めるのか」について、簡単にではあるがここに記しておきたいと思う。願わくば、この記事を通じて少しでも僕たちに共感してくれる人や、将来の仲間を見つけることができれば幸いである。

★1:書くことの「今」と〈アレ★Club〉

このサイトを立ち上げた理由を書く前に、なぜ〈アレ★Club〉を立ち上げたかについて書いておきたい。そのためにもまず、同世代の人たちが発行している同人誌やWebでの執筆活動について、僕が感じていること、考えていることを語る必要があるだろう。少し長くなるかもしれないが、お付き合い願いたい。

◆ディープな「語り」と、紐づかない「共感」

現代ではインターネットの登場により、誰もが簡単に情報を発信できるようになった。そのおかげで、SNSやブログで自分の好きなことを好きなだけ語るスタイルの記事が増産され、拡散された。インターネットを使えば、好きなことについていくらでも深堀りすることができるし、様々な情報が、個人やWeb上に存在する見えないコミュニティの中で蓄積されていく。

例えば、「アニメ」について語る人たちもそうだ。一つの作品名と、プラスアルファの知りたい情報(例えば製作陣の名前)を検索ボックスに入力すれば、いくらでも情報が手に入る。そして、手に入れた情報を整理し、上手に並べて、最後に作品について言いたいことや感想を書けば、記事が完成する。記事はブログやSNSに投稿され、投稿された記事は別のブログやSNSなどで共有され……そういうことを繰り返して、アニメを語るコミュニティが形成されていく。

ここではインターネットとの親和性が高い「アニメ」を例に挙げたが、他の題材、例えば映画や芸術のような作品、政治や宗教などといった社会に属する話題でも同じように記事や投稿が生まれ、コミュニティができている。

僕はこうした現状を悪いとは思っていないどころか、むしろ良いことだと思っている。情報を誰かがまとめてくれるのはありがたいことだし、それでコミュニティができれば議論は盛んになる。自分が楽しんでいる作品を他の誰かも楽しんでいるということや、同じような考えを持った人が他にもいるということが可視化されるだけでも、僕たちは少しだけ安心できる。

ただ、こうした動きについて思うところもある。ディープな内容をベースにした「語り」が、コミュニティの外部と繋がらないというのがそれだ。確かにコミュニティは話題の数だけ存在するし、一人の人間が複数のコミュニティに属していることだってある。しかし、コミュニティの中で話題にされる内容とその射程は、そのコミュニティにおける共通言語と、そこに属する人たちの段階でそれぞれ止まってしまいがちだ。仮に外に出ることがあるとしても、それはいわゆる「テンプレ」や「炎上」、「クソリプ」のような形でしかなかなか外に出ていかない。そうした現状について、僕はモヤモヤした気持ちを抱いている。

また、確かに好き嫌いや興味関心などは記事を書く原動力にはなるが、そうして生まれた記事の中身が別の話題とリンクされることはほとんどない。記事の中で扱われるのは近縁の話題だけで、なかなか跳躍が起こらない。検索ワードのプラスアルファに、別の遠くにあるコミュニティの言葉が入ることもあまりなく、「前田敦子 キリスト 選挙制度」なんて検索ワードは、滅多にタイプされることはない。調べることはこんなに容易になったのにもかかわらず、だ。

濱野智史『前田敦子はキリストを超えた』(2012,筑摩書房)は賛否両論ある本だが、AKBと社会をリンクさせる試みは、なかなかできるものではないだろう。

そして、そうした記事が拡散され、話題にされるのも、そのコミュニティの中だけで終わってしまいがちだ。それゆえ、他の場所で引用されることはなく、別の場所に影響を与えることもない。情報が蓄積されるばかりで、新しい何かをなかなか生み出せない。ディープな「語り」は、コミュニティに話題を提供し、議論や共感を生み出した。それは確かに良いことだろう。ただ、それは別の「何処か」には紐づいてはおらず、それゆえに何処にも行くことがない。そのことに僕は、小さな閉塞感を感じている。

結局、僕たちのインターネットは、沢山の話題と、それに関するコミュニティを大量に生み出しただけで、共通の議論や、共有できる文化を生み出すことができなかったのではないだろうか。加えて、ほんの少しでも未来を明るくするかもしれない、新たな価値観の獲得や創造するために必要な想像力を発揮し切れていないのではないだろうか。

◆コンテンツ、政治、取りこぼされた日常

今書いたことと同じような現象は、僕と同世代の書き手たちが同人誌やWeb上で行なっている、「評論」や「批評」と呼ばれるジャンルのコンテンツでも起きている。文学フリマのカタログを見てみれば分かるが、評論や批評が取り扱う題材はアニメやゲーム、あるいは音楽や文芸作品がほとんどだ。もちろん、「評論・批評」というジャンル自体がニッチであり、商業/同人を問わず、「活動そのものに意義がある」という見方もできるだろう。

余談になるかもしれないが、「『アレ』は批評誌にしてはオシャレじゃないよね」という意見を、サークルを立ち上げてから何度か耳にすることがあった。このような意見を複数回聞く辺り、どうも「批評=オシャレ」と捉えている人が少なからずいるらしい。「ものを書く」という行為は泥臭くて、格好悪く見えると考えている僕にとっては、そういう風に考えている人がいることに驚きを隠せなかった。

直接やり取りさせていただいた方々には何度も言っているが、僕たちが作っている『アレ』は「ジャンル不定カルチャー誌」であり、「批評誌」ではない。実際、委託させていただいている書店さんでの『アレ』の置き場所は、様々な要素を考慮しながら、店舗ごとに書店の担当者さんと相談しながら決めている。常に評論誌・批評誌のコーナーに置かれているというわけではないので、書店に行かれる際には注意していただけると幸いである。

閑話休題。ともあれ、コンテンツについて語ること自体は別に悪いことではない。問題なのは、それだけしか語らなくなってしまうことだ。今の僕と近い世代の人たちがやっている評論や批評は、同人誌/ブログ・SNSを問わず、日常や公共性への紐づけを取りこぼしてしまいがちであるように思える。

とはいえ、僕は別に「政治的になれ」とか「もっと啓蒙的なことを書け」と言いたいわけではない。そうではなくて、日々の食事だったり、歩いている道だったり、お気に入りの喫茶店だったり……そういう日々の暮らしに根差しているのに、「なぜか『知』から取りこぼされているもの」に着目してほしいと思っているだけだ。こうしたものの中に、僕は大きな可能性があると信じている。

そうしたものは、近縁のコミュニティだけを取り入れ、そこに発信し続ける「語り」のやり方から抜け出せば、簡単に手に入るものだと思う。何かと何かを紐付けすれば、自然と日常の見え方が変わり、それがきっかけで「公共性を持った何か」が生まれてくる。アニメやアート、哲学を単にディープに語るだけではなく、それを僕たち自身の生活と紐付ける。それが難しいなら、せめてそのきっかけとなる「目線」を増やせるような考え方を提供する。そんな問題意識から〈アレ★Club〉を立ち上げて、僕たちは『アレ』という雑誌を作ってきた。

これまでジャンル不定カルチャー誌『アレ』の特集で扱ったのは「メディア」、「場所」、「人外」と、何処か抽象的でありながら、特定の何かを指し、僕たち自身に関わってくるものばかりだ。これには、「メディア」、「場所」、「人外」と身の回りにある「アレ」な何かを紐付けて書いてほしい、読んでほしい、そして考えてほしいという考えが背景にあってのことだ。

実際、これまでの活動の中で、僕たちの活動に共感して同人活動を始められた方もいるし、読者の中には「これまで見逃していたものを考えるようになって、少しだけ生活が楽しくなった」と直接伝えてくださった方もいる。そういった反応を直に受け取れるのは、作り手の一人として嬉しい限りだ。

もちろん、僕たちの活動はまだ小規模で、社会に与える影響力は微々たるものだ。それに、まだまだできていないことも沢山あるし、僕自身も書き手・編集者としてはまだまだ未熟だ。だからこそ、もっと色々なことに挑戦する必要がある。そうした思いのもと、このサイト、ジャンル不定カルチャーWebマガジン「コレ!」はスタートした。

★2:Webで接続を生むために

僕たちは、別に紙に対するフェティシズムで雑誌を創刊したわけではない。先程も触れたように、僕たちが作るジャンル不定カルチャー誌『アレ』は、抽象的で大きなテーマを「特集」という形で掲げ、それについて多方面から語っていくことで日常に目を向け、「公共性」を再発見してもらうことを目的としている。この目的を達成するには、Webよりも紙の方が向いていると僕は思っている。

しかし、一般的に抽象的かつ大きなテーマを特集に掲げると、記事は長く、内容は重くなりがちである。ロングインタビューなどがその典型だ。こうした記事は腰を据えてじっくり読んでほしいので、ページをめくったり、両手で持たないといけない紙媒体の方が相性が良いように感じる。

また、紙媒体は実際に手に取れる「モノ」として存在するからこそ、「特集」というパッケージングの強みが最大限に活かせるとも考えている。

さらに、編集者目線で見ると、一度発行された紙媒体は変更が難しいため、執筆者とのやり取りは慎重になる。そのため、重い内容の記事とも相性が良く、議論に議論を重ねて、記事の質を上げることにも繋がっていると思う。

このような思想から、〈アレ★Club〉は「雑誌の制作・刊行」という形で活動を開始したわけだが、これからも紙での活動、すなわち『アレ』の刊行は続けていく。とはいえ、紙の活動で取りこぼしたものも沢山ある。それを拾い上げるために、僕たちは今回、新たにWeb版『アレ』としてこのサイトを立ち上げた。

◆Webだからできること、Webから抜け落ちているもの

Webの強みを考えていくと、まず即時性や拡散力が挙げられる。例えば短めの記事の場合、紙よりもWebの方が断然読みやすいだろう(短過ぎる記事の場合、紙では読み飛ばされる可能性もある)。そのため、今までの紙媒体の雑誌では、3000~5000文字程度の短い記事や、即時性が求められる時事問題を別の視点と結び付けるような記事は、どうしても難しかった。

また、紙媒体では寄稿してくださる方にとって、敷居が高くなってしまうのも事実だ。僕たちのコンセプトの関係上、寄稿者はどうしても書き慣れている方が中心となりがちになる。実際、面白いネタを持っていても、文字数や編集工程に時間がかかるなどの問題から、声をかけられなかった方が何人もいる。

こうしたことを踏まえて、Webマガジン「コレ!」は、今まで『アレ』で取りこぼしてきた短めの記事や時事ネタなどを取り上げつつ、新たな寄稿者の開拓を目指すために立ち上げられた。ここで扱われる内容は、「アレ」という抽象的な内容ではなく、「アレ」を構成する具体的な「コレ」になるはずだ。

「コレ」は個別の対象だ。個別の対象を語るということは、現象を語るのとは異なり、他の対象へと跳躍することは難しいかもしれない。だからこそ、「Webサイト」という一つのパッケージが必要となる。一つ一つの記事がたとえ記事内で十分に跳躍しなくても、それを試みようとしてさえいれば、他の記事と紐づくかもしれない。そのために、Webで記事を出し、拡散させ、他の記事も読んでもらう。

そして、多くのコミュニティにコミットできるようにすることで、書き手にも読者にも、多くの文脈を持ってもらう。こんな風に「いくつもの『コレ』について考えてもらい、それらが紐づいて大きな『アレ』についても考えてもらう」というのが、この「コレ!」の目的だ。

しかし、WebにはWebの問題点があるのも事実だ。これは散々言われてきたことだが、現在のWebメディアは「Buzz(拡散)」に走り過ぎてしまう傾向が強く、読み応えのある記事がなかなか生まれない。現在、多くのメディアは読者に共感され(もしくは狙って炎上し)、SNSで共有されることだけを重視しており、その結果、粗悪な記事が乱発されている。どんどん粗悪になっていく「BuzzFeed」の記事は、その典型例と言っても決して過言ではない。

言ってしまえば、今のWebコンテンツの多くは「いいね!」の最大瞬間風速を狙い、連続的に共感を巻き起こし、読者に消費されることでPV数を稼ぐモデルで動いている。このモデルの中に、現代の読者のライフスタイルは組み込まれてしまっている。このモデルとライフサイクルの中では、たとえ良質な記事が生まれたとしても、日々流れてくるBuzzの濁流に流され、忘却されていってしまう。

これは、僕たち(あるいは別のメディア)が良質な記事を出し続けるだけで解決するような問題では決してない(どのような記事が「良質な記事」なのかは一旦置いておこう)。とはいえ、多くのWebメディアは読者の人生を変えるような記事を出したいはずだし、できることならそれだけで収益を出したいと思っているはずだ(と僕は信じている)。しかし、そう願っても、良質な記事は右から左へと簡単に流れていってしまう。これは、もはや記事の質の問題だけではなく、今のメディアを取り巻く経済的な仕組みの問題なのではないだろうか。

この記事の読者はもうお気付きだろうが、このサイトだってWeb広告を貼り付けて収益を出そうとしている。僕たちにも私生活があるし、非営利団体とはいえ、サークルを運営し、活動を維持するためにはどうしてもコストがかかる。僕たちの年収では利益を出さなければ、継続的に活動を行っていくことすら満足にできない。

だが、それでも僕たちは、Buzzを用いないオープンなメディアの形を模索していきたいと考えている。僕たちは、できる限り良質な情報を読者に提供する。そして、記事が生み出す議論や共感はもちろん、「記事が生まれる工程」をも僕たちは提供していく。Buzzを受け取ったり、自分を燃料にしてBuzzったりすることだけが「生きる方法」ではないはずだ。

他方、新しい生き方を創り出すためには、新しい収益の仕組みを考える必要もある。会員制のようなやり方もその一つだろうが、僕たちの活動が「趣味」と「仕事」の間にある以上、そうしたやり方は上手くいかないと思う(規模が大きくなれば、その時に改めて考えるかもしれないが)。

では、どうすればいいのか。僕は、このことを考えるヒントが、「紙媒体」にあるのではないかと思っている。情報の蓄積のために必要なことを一つのWebサイトでやるための方法は、Web特集や特集のアーカイブ、「note」への投稿やPDFの形でWebにリンクを置く、年間ベスト記事方式……といったように、いくらでも思い浮かぶ。そして、これらのほとんどは紙媒体の手法だ。

最初は手探りになるだろうが、紙媒体を、それも「同人誌」という形で今まで作ってきた〈アレ★Club〉だからこそ実現できる何かがあると思っている。だからこそ、僕たちは「コレ!」を立ち上げた。

★まとめ:「アレ」という抽象的な内容ではなく、「アレ」を構成する具体的な「コレ」を目指して

長くなってしまったが、ここまで僕が話したことを最後にまとめよう。

1.現代には、沢山の話題と、それに関するコミュニティが大量に存在する。だが、コミュニティを横断して議論するための土壌がない。そのため、共有できる文化を生み出せていない。

2.近縁のコミュニティだけを内部に取り入れ、その内部にだけ発信し続ける「語り」のやり方から抜け出すために、第一に「目線」を増やせるような考え方を提供し、第二に「日常」と「公共性」に注目する。そんな問題意識から〈アレ★Club〉を立ち上げて、ジャンル不定カルチャー誌『アレ』を作ってきた。

3.しかし、紙媒体である『アレ』には限界があった。そこで、『アレ』で取りこぼしてきた短めの記事や時事ネタなどを取り上げつつ、新たな寄稿者の開拓を目指すためにWebマガジン「コレ!」を立ち上げた。

4.「コレ!」の立ち上げに際して、現在のWebが抱える「Buzzの連発に依存し、情報の蓄積が起きにくい」という問題にも立ち向かうべく、Buzzに依存しない記事作りと収益体制を模索していく。

さて、この記事で曖昧だった〈アレ★Club〉の輪郭が、少しは浮き上がってきただろうか。「謎の団体」から「不思議な団体」くらいに皆さんの認識が改められたら、嬉しい限りだ。

ところで、僕たちは先にも触れた通り、僕たちの活動に賛同してくれる協力者を探している。もし、紙版(『アレ』)/Web版(「コレ!」)問わずに寄稿してみたいという方や、イベントを一緒に開きたいという方がおられたら、プロ・アマを問わず、下記に「執筆者募集」ページからご連絡願いたい。

「執筆者募集」ページはこちら

最後に、これから新たに始まるジャンル不定カルチャーWebマガジン「コレ!」、これからも続いていくジャンル不定カルチャー誌『アレ』、そして、僕たち〈アレ★Club〉の活動に、何卒ご期待あれ。それでは、「アレ」を構成する具体的な「コレ」を探しに行こう。

[記事作成者:堀江くらは]