【第1回】その日、運命に出会う(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)

◆はじめに

こんばんは、<アレ★Club>で文章構成を中心とした編集作業に携わらせていただいている「さいむ」と申します。

突然ですが、私はこの6年間、がむしゃらに『ひとりぼっちの地球侵略』(※1)(以下『ぼっち侵略』)という漫画を追い続けてきました(※2)。数え切れないほど読み返したのは勿論のこと、Twitterを始めた頃からほぼ毎日、それこそ年末年始から採用面接5分前まで毎日『ぼっち侵略』について検索していますし、一時期は「ひとりぼっちの地球侵略」という言葉を常に頭に思い浮かべ続けることで日常生活の全てからこの作品に関する新たな知見を得ようしていました。そうすることで、この作品の深奥に迫れるのではないか、そう大真面目に考えていたのです。

そして2018年8月現在、『ひとりぼっちの地球侵略』はもうすぐ完結を迎えようとしています。連載6年目での連載終了であり、一読者としての主観から語らせてもらえば、作品としてやれることをやりきった円満なフィナーレと言えるでしょう。ただその前に、私は私自身がこの作品を通して何に失敗し何を得たのか、その総括を行っていく必要を感じました。『ぼっち侵略』ではなく、「さいむ」自身が『ぼっち侵略』の終わりに際してどのようにけじめをつけるべきなのか、それを考えなければならないと決心したのです。

この連載では、私が『ぼっち侵略』という漫画に出会ってから現在に至るまでの間に何があったか、何をしてきたのかを紹介し、総括します。それは、「さいむ」という存在の一代記です。読者の皆様におかれましては、どうぞ、その生きざまを御笑覧ください。私の6年にも渡る『ぼっち侵略』遍歴から、皆様の人生にも「何か」が伝わることを、私は切に願っています。

◆『ひとりぼっちの地球侵略』、運命の邂逅

私が『ぼっち侵略』と出会ったのは、2012年6月中旬のことでした。いつものように最寄りのコンビニにアイスを買おうと立ち寄ったとき、ここ1年間買ったことすらなかった(※3)漫画雑誌の棚にふと目がいきました。あだち充が『MIX』(※4)を連載し始めたばかりの『ゲッサン』があったのです。不思議なことに、それまであだち充に興味さえ示したことのなかった私が、気づけばパラパラとそのページをめくっていました。今思えばそれは単なる気まぐれでしたが、その中で、私は表紙や巻頭カラーを飾る『MIX』ではなく、センターカラーだったもう一つの漫画に注目します。

それが『ひとりぼっちの地球侵略』でした。

後の単行本1巻の最終話にあたる第4話「不器用な僕ら」の内容を、私はそれこそ二度見、三度見と、自分の目を疑うように何度も何度も読み返していました。丸みを帯びた、それでいて影の残る絵柄。手探りして選んだかのように繊細で、なのに不器用さを感じる言葉遣い。この1年間自分で漫画を買おうともしなかった筈なのに、その漫画のことしか考えられなくなるくらい、そのコンビニで私はその4話だけを読み返していました。

しかし、当時の私は今のように漫画雑誌を買う習慣がなく、結局『ゲッサン』をそこにおいたまま私はコンビニを後にします。自分でこの漫画を買おうとすら思わないような、本当に漠然とした興味だけで私はその漫画に遭遇したのです。ただ、それでも『ひとりぼっちの地球侵略』という題名だけは頭からこびりついて離れませんでした。

その一ヶ月後のことです。地元の町では再開発が進んでおり、新しい商業施設が古い商店街を押しつぶす形で次々と進出してきていた時期でした。その商業施設内に新しい本屋ができたと聞いた私は、大学の帰りにその本屋に足を運びました。

7月の中旬、時間は夜の8時を過ぎた頃でした。エスカレーターで商業施設の二階に上がり、本棚を見て回った私は、新しい本屋だったためか、普段は見て回ることはない漫画の新刊コーナーの前にふらりと行き着いていました。

そして私は、見覚えのある、真っ黒な絵柄の漫画に目を奪われました。『ひとりぼっちの地球侵略』単行本1巻です。思い返すと不思議なことですが、まだ1話しか読んでおらず、タイトルしか記憶できていないような漫画の新刊を、私は探すことすらなくいとも簡単に見つけてしまっていました。そのこと自体に驚きながら、私は『ひとりぼっちの地球侵略』を手に取ります。帯にはこう書かれていました。

「少女の誘いが少年の過去も未来も変えていく」と。

5分か10分か、私はその場に釘付けになっていました。少し経ってふと我に返ったあともぼんやりしていましたが、そのままふらふらとレジで1巻を購入してしまいました。1巻の表紙と同じくらいに真っ暗な空を見上げ、「何故あのとき読んだ漫画がそのままあそこに置いてあったんだろう」と不思議に思いながら、夏の夜道を帰宅したのを覚えています。

その後、大学の夏休みに入ってから2学期が始まるまでの間、私は貪り尽くすように『ぼっち侵略』1巻を何度も読み返し続けました。当時自分で買った漫画がそれ一冊しかなかったこともありますが、時間を見つけては少しだけ読み、暇になったらがっつり読み、とにかく何度も読み返していました。夏休みが終わってからも、私は常に手元に『ぼっち侵略』を抱えていつでも読んでいました。

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当時買った本物の1巻。6年間読み続けたことでボロボロになっています。

ただ、そうして何度も何度も読んだにもかかわらず、私は『ぼっち侵略』という漫画がよく分かりませんでした。確かに間違いなく惹かれるものがあり、読んでいなければ気が済みません。しかし一方で、所謂娯楽作品として強烈なパンチがあるわけでもなく、絵柄が際立って可愛いわけでもないその作品に惹かれた理由が分からぬまま、嬉しくも悶々とするという複雑な思いで夏休みを過ごしていました。

◆最初の感想と、最初の間違い

大学の二学期が始まってすぐの授業中、試験対策を共有するために、私は一人の同級生に話しかけました。私は何かしら共通の話題を持とうとしましたが、私自身これといったものがなく間がもちません。そのとき、リュックに入っていた『ひとりぼっちの地球侵略』のことをすぐに思い出しました。「じゃあこれ読んでみない? 面白いよ」と1巻を差し出すと、彼はそれを静かに読み始めました。10分ほどで読み終わった彼の第一声は「それで、これは何が面白いの?」というものでした。

私は驚きました。今まで『ぼっち侵略』がどう面白いかなど考えたこともなかったからです。『ぼっち侵略』は、そのときの私にとって「面白い作品」だとか「ためになる作品」だとかではなく、ただひたすらに『ぼっち侵略』でした。

それでも、この作品は一体何なのか、と分からないなりに考え続けていた私は、その場で咄嗟に手元にあったルーズリーフに『ぼっち侵略』がどういう作品なのか書き始めました。授業中であったため、その場でペラペラしゃべり続ける訳にもいかなかったからです。B5のルーズリーフその場で書き埋めて、パッと友人に渡しました。それでも友人が若干首をひねっていたので、その場ですぐルーズリーフをひっくり返し、もう半分ほどルーズリーフを書き埋めました。そこでようやく「わ、分かった。そうか、なるほど……」と頷いてもらえたのを覚えています。

IMG_20180802_154704ver3.jpg

当時書いた本物のルーズリーフ。プライバシーに配慮してモザイクがかかっています。

これが、私が生まれて初めて書いた『ひとりぼっちの地球侵略』の感想でした。このときはこの調子でこの漫画について計10万文字超書き続けることになるとは思いもしませんでした。

実は、このルーズリーフは今でも手元に残っています。今でも読み返すことはできるのですが……当時のそれはひどいものでした。取り敢えず知っている既存の作品をパッチワークで当てはめてアレが似てるコレが似てる、つまりは「『ぼっち侵略』はこういう作品のパロディ的な話だ!」という話ばかりの非常に雑なもので、読んでいるだけで昔の自分に果てしない怒りが湧いてきます。

ただ、当時こういうものしか書けなかったのは当然で、当時の私は作品について語るということの根本的な部分が一切分かっていませんでした。『ぼっち侵略』まで漫画を一年間自分で買っておらず、大学の文学の授業もまともに受けてこなかったのだからそれも当然でしょう。

そんな当時の私にできることは、
①とにかく描かれているシーンを整理して言語化する。
②既存の知ってる作品と繋げて少しでも似てる部分があれば列挙して相違点を言語化する。
の二つだけでした。これでは一つの結論にまとめることすらろくにできませんし、作品のテーマについて考えるなど想像することもできません。

最初のルーズリーフを書き上げた後、私は毎週その友人と同じ授業に出席し、隣に座り、新しいルーズリーフに感想を書いて読ませ続けました。2巻が発売される頃にはルーズリーフは10枚近くに達していたと記憶しています。今思うと何故毎回毎回『ひとりぼっちの地球侵略』のことばかり書いていたのか不思議でなりませんが、そのくらい当時の私にはこの漫画しかなかったのでしょう。

そんな日々の中で私は漠然と二つのことを思いました。一つは、「この漫画とは永い付き合いになるだろうなぁ」ということです。先述した通り、私は何か強い決意の元に『ぼっち侵略』を読み始めたわけではありません。しかし、一方で自分がこの漫画を途中で飽きることはないだろうという、根拠のない朦朧とした確信を知らぬ間にもっていたのです。2018年現在でもその思いに一切のブレがないことからも、それ自体は正しい確信だったとは言えるでしょう。

問題はもう一つの方でした。繰り返しになりますが、私はこの漫画を娯楽作品としてエキサイティングに楽しんでいたわけではありません。それは理由も分からぬままに惹かれることへの疑問と、それを解決したいという好奇心ないし義務感によるものでした。しかし、当時のような拙い方法でその理由に辿りつけるわけもなく、私は一つの結論に行き着いてしまいます。

「そうだ、私より“詳しい”人を見つけることが出来ればこの作品について“分かる”ようになるかもしれない」

当時の私が定めたこの方針は間違いだったと言わざるを得ないでしょう。“詳しい”とは何なのか、“分かる”とは何なのか。それを他人に委ねることの意味すらもろくに考え直すこともなく、私は自分より詳しい人を探すべく、大学の他の友達に『ぼっち侵略』を勧めるようになっていくのです。

さて、先ほど最初に書いた感想は目も当てられないものだったと書きましたが、実は今でも変わっていない部分が一つあります。それは「どんな形であれこの作品はヒロインである大鳥希が地球に居残る、ハッピーエンドで終わるんじゃないか」という予想です。自分がすることについて内省もしないような当時の私でしたが、不思議と「この漫画についていくことだけはそれでも間違いじゃないんだ」と確信していました。それによるものなのかは分かりませんが、『ぼっち侵略』を追いかける私「さいむ」は、その道中で幾つもの間違いを侵しながらも、『ぼっち侵略』のためにひたすら歩みを続けていくことになるのです。(続)

【註釈】
(※1)
漫画家の小川麻衣子によるSFボーイミーツガール漫画。
公式ホームページ:https://gekkansunday.net/series/hitori

(※2)
具体的な成果物については私自身の感想ブログ(http://thursdayman.hatenablog.com/)をご覧ください。

(※3)
これには理由があります。今から1年ほど前、私は『よいこの黙示録』という青山景の漫画にはまっていました。当時大学でルーズリーフに考察文を書こうとしていたのですが、その完成前になんと青山先生は自殺。ショックを受けた私は『よいこの黙示録』を棚の奥にしまい込み、本記事の冒頭まで漫画を買わなくなってしまったのです。

(※4)
漫画家のあだち充による野球漫画。『タッチ』から約30年後の明青学園が舞台。

次回:【第2回】さいむ、誕生(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)

[記事作成者:さいむ]

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