第0回:プロローグ「なんでライトノベルの特異点なんて探すんですか?」(ライトノベルの特異点はどこですか?:ゼロ年代後半から分かるラノベ史)

◆はじめに:だから僕は、ラノベがよみたい。

iOS の画像

筆者の書架の一部。この他にもいくつかの棚と床、押入れに本が置かれている。

中高生の時の僕にとって、ライトノベルはなくてはならないものだった。

10年以上前の話ではあるが、読書が嫌いだった当時の僕にとって小学校の始業前に必ず実施される「朝の読書」という代物は非常に苦痛だった。どうしても何かしらの本を毎日最低10分は読まなくてはならない上に、マンガや図鑑は学校のルールで禁止されている。活字離れがとか叫んでるくせにそんなことしたら活字離れするに決まってるだろ、と今なら思わなくもない。その時はそんなことを言っても仕方がないので、しぶしぶ小説の単行本に手を出してみたが今度はムヅカシイ漢字ばかりで意味が分からなかった。

そんな「朝の読書」に憂鬱さを感じる日々を送っていた中学1年生の冬、僕はとある一冊の本のことを新聞の書評で目にしたのだ。表紙や挿絵にキャッチーなイラストが載っていたその本のことが気になった僕は、書店に行って早速手に取ってみた。身近にありそうな等身大の冒険が、そこには平易な文章で描かれていた。有川浩の『キケン』。その本はまさに「朝の読書」に苦しむ僕の前に現れた救世主と言えるだろう。

有川浩『キケン』表紙。同作は新潮文庫版と角川文庫版があるが、後者は現在でも入手可能である。

この本を皮切りに、僕はライトノベルの世界に――「等身大の僕らが楽しめる物語」を平易な文章とキャッチーなイラストで描きだす物語に――没頭していくことになる。読書嫌いだった僕は、今では多い時には1日3冊のペースで本を読んでいる。

ライトノベルの世界では、僕たちは自分と近い年齢の主人公に感情移入することで、様々な「こうなって欲しい!」という願望を叶えることができる。たとえば、「殺人事件の謎を解く!」という願望から、「金髪ツインテール幼なじみの同人作家とイチャイチャしたい!」という願望、「異世界でぽんこつ女神とへっぽこ魔法使いと変態騎士とパーティーを組む」という願望まで、なんでもだ。

『キケン』に出会って以来、ライトノベルは今でも僕の人生の重要な一要素であり続けている。鬱屈した中学・高校の日々も、ライトノベルを読んでいる間だけは現実から解放され爽快感を得ることができた。ゲームやスマートフォンの持ち込みが禁止されている学校という場所において、ライトノベルは僕にとって唯一と言っても差し支えない持ち込み可能なエンタメツールだった。

しかし、僕の通っていた中学や高校の図書館にはライトノベルがほとんど所蔵されていなかった。そのことをずっと理不尽に思っていた僕は、ライトノベルがどのような変遷を経て現在に至るのかを踏まえた上で、なぜそれらが学校図書館に所蔵されなかったのかについて調べ、自身の考えをまとめた論考を書いた。僕が編集長として昨年刊行した同人誌『PRANK! Vol.4』に収録されている「ライトノベル試論」という記事がそれだ。

論考の内容について簡単にではあるが触れておくと、ライトノベルが学校図書館に所蔵されなかった最大の原因は「配架決定権を持っている司書や教師にとってジャンル分けが難しい物語がコンスタントに出版されていて配架するのが難しいから」というものだ。この調査結果を踏まえて、僕はライトノベル史の概略を示すことによってライトノベルのジャンル分けをより容易にしようと試みた。論考の出来については個々の読者の判断に委ねるが、個人的にはそれなりに満足できるものとなった。

だが、僕にはまだ言い足りないことがある。

◆ライトノベルはムーブメントとともに。

平坂読『妹さえいればいい。』第1巻表紙。同作は2017年にアニメ化されている(監督:大沼心)。

ライトノベルは、「コバルト文庫」や「ソノラマ文庫」といったレーベルを祖として生まれ(※1)、マンガやアニメといった他媒体とのメディアミックスを強みとして、様々なジャンルの作品がムーブメントを代わる代わる生み出し続けることで発展してきた(※2)媒体である。90年代初頭には『スレイヤーズ』や『ロードス島戦記』などの作品に代表されるファンタジーブームがあり、その後は『ブギーポップは笑わない』に端を発する伝奇ブーム、『涼宮ハルヒの憂鬱』や『イリヤの空、UFOの夏』などのセカイ系ブーム、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』や『僕は友達が少ない』などの学園ラブコメブーム、『Re:ゼロから始める異世界生活』や『転生したらスライムだった件』などの異世界転生ファンタジーブームといった多くのブームが続けざまに起こってきた。「ライトノベル」という媒体を語る際、こうしたムーブメントの存在に触れることは避けがたいものとなっている。

テン年代が終盤に差しかかろうとしている現在でも、ライトノベル産業に再び新たなブームが生まれる兆候が見えてきていることは間違いない。

たとえば、異世界転生ファンタジーの飽和に伴って出現してきた、転生した主人公が「世界を救う」以外の選択肢を取らされる/取ってみる『JKハルは異世界で娼婦になった』や『異世界食堂』のような作品群。また、ライトノベル作家などのクリエイターを主人公とした『妹さえいればいい。』や『ぼくたちのリメイク』のようなお仕事モノも、新たな兆候の一つとして挙げていいだろう。

こうした兆候そのものについては既に様々な記事が話題に上げている(※3)。では、そこに本連載は何を加えるのか。それは、ゼロ年代後半以降に起こった学園ラブコメや異世界ファンタジーの隆盛、ライト文芸の発展といったトピックについての「振り返り」である。

◆批評に出会いを求めるのは間違っているだろうか

ここで読者の中には、「今の作品を語る際にどうしてわざわざ過去の作品の話をしようというのか」と疑問に思われる方もいるだろう。現在のライトノベルムーブメントを語るにあたって、あえて過去を振り返る理由について述べておくと、歴史を振り返ることで得られる視点に基づくことで未来への兆候をより理解できるようになるからだ。その視点からは、新しい作品を過去の作品と比較して「どこが新しいのか」「どのようなこれまでにない可能性が花開きかけているのか」を理解することができる。そうした理解を持つことは、新しい作品をより魅力的にかつより多くの人に認知してもらう上で有効な武器となるだろう。

実際、過去にはそうした「振り返り」が新しい作品を魅力的に紹介する役割を担うこともあった。たとえば、ゼロ年代中盤にはライトノベルについてのガイドブックや評論本のブームがあった(※4)。それらの主旨は、当時セカイ系や新伝綺といった作品群が隆盛を誇る中で、それらの作品群が現れてきた源流からの流れについてまとめ、その中で生まれたヒット作を論じていくというものだ(※5)

だが昨今、未来への兆候が語られる一方で過去の振り返りを通したそれらの兆候のさらなる理解があまり重視されない傾向にある。実際、ゼロ年代後半以降ライトノベルについてのガイドブックや評論本ブームは失速し、今では宝島社が実施している「このライトノベルがすごい!」という年一回のランキングや、大橋崇行・山中智省らによって組織されるライトノベル研究会の諸活動くらいにしかその足跡を残せてはいない。

確かに、ガイドブックや評論本ブームが収束したゼロ年代後半以降でも、メディアミックスによって注目を浴びた数作品についてはアニメやマンガといった他媒体と絡めて語られているし、そうした作品から見えてくるその時代ごとのブームについても言及は多くなされている。しかし、そこでは作品やブームがライトノベル史全体の中で占める位置について論じられてはいない。

ここで僕が言おうとしているような「作品やブームをライトノベル史全体の中に位置付けて論じる試み」は、新しく出てきた作品に対して単に「過去の作品の模倣だ」や「過去の作品の影響が見られる」などと述べるだけのものとは異なる。そうした言説では作品間の類似関係に焦点が当てられるが、むしろ僕は新しい作品のどこが新しいのかを明確にしていきたいのだ。

◆おわりに:これはライトノベルですか?

新城カズマ『ライトノベル「超」入門』は、ライトノベル史を俯瞰した上で評論した本の代表格となっている。

ライトノベル批評の現状についてもう少し話しておこう。ライトノベル批評においては、現在でもゼロ年代中期に出版された『ブギーポップは笑わない』や『涼宮ハルヒの憂鬱』について論じた本がその中心となり続けている(※6)。その結果、ライトノベルが批評的に語られる際の視線や枠組みも、かつて『ブギーポップ』や『涼宮ハルヒ』についての評論本が提示した視線から、あまり進歩しないまま停滞してしまっているのではないか、という疑問の余地が残る。

また、新たな作品についての批評が出ないことは批評の読者コミュニティにとっても新規参入を妨げる障壁となりうる。現在のライトノベル産業では、メディアミックスを柱として次々と作品が出版されては書店の棚から消えていっている。このような現状において、ゼロ年代後半からの「少し古い」あるいは「最近の」作品を回避して、今の中高生が生まれる前にシリーズがスタートした「古い」作品に依拠した議論をいつまでも参照し続けるのは、新しい読者に対して不親切ではないだろうか。また、そうした不親切さは新たな読者をライトノベル評論から遠ざけることに繋がりはしないだろうか。

実際、未だにライトノベル批評で主要な作品として取り上げられる『ブギーポップ』シリーズは1998年の刊行開始から既に20年が経過している。また、『涼宮ハルヒ』のブームが最盛期を誇ったテレビアニメ第1期放送時期は2006年と今から10年以上前である。確かにそれらの作品は今読んでも面白いし、若い読者にとっても刺激になるだろう。しかし、それ以降にも面白い、過去のブームを知る人々からすれば「特異点」的な作品は次々と出てきている。だからこそ、最新の作品たちを出来る限り新しい視点から歓待するために、「それ以降」の作品についても「振り返り」をしておきたいのである。

本連載では、そんな「特異点」的な作品を各回で一つ以上挙げていき、その物語と内包する作品性やその作品の新しさ、その作品が後続の作品に与えた影響などについて言及していく。ここで取り上げる作品は、これまでのライトノベル評論でほとんど取り上げられてこなかったゼロ年代後半以降(ここでは2004年以降とするが)にシリーズが開始された作品を主とする(※7)

また、学園ラブコメや異世界転生ファンタジーといった作品群や「ライト文芸」と呼ばれるジャンルなどに内包される作品のみならず、いわゆるアニメ調のイラストを表紙に装丁したエンタメ小説などにも射程を広げて、ライトノベルだけではなくエンターテイメント小説についても論じることができればと考えている。

本連載を通じて、「ライトノベルに興味があるけど、どの本を読めばいいのか分からない」といった方が、気になったライトノベルを手に取る一助になれば幸いだ。

それでは、ライトノベルの歴史を振り返り、新たなブームを見据えるために、ライトノベルの「特異点」探索を早速始めていこう。(続)

【註釈】
(※1)
ライトノベルの誕生については諸説あり、本連載では「コバルト文庫」および「ソノラマ文庫」といったジュブナイル文庫レーベルを祖として見ていきたい。当該時代については大森望・三村美衣『ライトノベル☆めった斬り!』(太田出版、2004年)を参照。

(※2)
ライトノベルがどのようにメディアミックスを核としてきたかについては、山中智省『ライトノベル史入門 『ドラゴンマガジン』創刊物語 狼煙を上げた先駆者たち』(勉誠出版、2018年)を参照。

(※3)
ライトノベルの現状については、愛咲優詩「意外と知らない『ライトノベル』ブームの現在 いったい誰が、何を読んでいるのか」(2018年6月19日閲覧)などで触れられている。

(※4)
ゼロ年代以前は評論はおろか「ライトノベル」としてジャンルが確立していなかった。『ブギーポップは笑わない』の登場後にようやく「ライトノベル」というジャンル名が一般化してきたため、それから評論も刊行されるようになっていった経緯がある。

(※5)
ライトノベル評論ブームの最中に出版された本はそもそもライトノベルについてまとめられていない現状の中で生まれたものであるため、そういった傾向のものが多かった。参考として新城カズマ『ライトノベル「超」入門』(ソフトバンククリエイティブ、2006年)が挙げられる。

(※6)
ライトノベル史を俯瞰した上で評論した本の代表格として新城カズマ『ライトノベル「超」入門』(ソフトバンククリエイティブ、2006年)が挙げられる。当該書は2018年現在もライトノベル評論ではほぼ必ず参考に挙げられる。

(※7)
ライトノベル評論本ブームの最中に出版された大森望・三村美衣『ライトノベル☆めった斬り!』(太田出版、2004年)では、「各レーベルの現状」として2000年~2004年にスタートしたシリーズが多く挙げられている。そのため、本連載では2004年以降にシリーズがスタートした作品を、ブーム後にシリーズがスタートした作品として挙げていくことにする。

次回:第1回:大人だってラノベが読みたいんですっ!(ライトノベルの特異点はどこですか?:ゼロ年代後半から分かるラノベ史)

[記事作成者:羽海野渉]

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中