【ボードゲーム批評】『カタン』と交渉:貧しい島と富める島【盤面は語る(第1回)】


前回:【ボードゲーム批評】ボードゲームを語る意義【盤面は語る(第0回)】

※この記事では冗長にならないように、『カタンの開拓者たち』(以下、『カタン』)のルールやプレイングについての言及は極力省いている。しかし、ルールが分からなくても理解できる記事にはなっていると思うので、是非とも読んでいただきたい。

前回の記事でも触れたが、ボードゲームのジャンルの一つである「ドイツゲーム」は、大別すると二つに分けることができる。『カタン』以前と『カタン』以後だ。それほど大きな影響を『カタン』はボードゲーム界に与えた。そう多くのボードゲームファンは語るが、実際はどうだろうか。

ここで、『カタン』以前のゲームで名作とされるものを筆者の偏見で挙げていこう。『ラミーキューブ』は古臭くはあるが一定の人気がある。『スコットランドヤード』も同様だ。『モダンアート』のような競りゲームにいたっては一つのジャンルとして人気を獲得している。さらに『マンハッタン』は、筆者のお気に入りのゲームだ(コンポーネントの粗悪さを除いては)。

「あのゲームが入っていない」や「このゲームの評価は不当だ」と言いたくなる方もいらっしゃるだろうが、それでも独断で挙げたこれらのボードゲームは、今遊んでも面白いものばかりだ。しかし、これらのボードゲームは『カタン』ほどの影響をボードゲーム界に与えなかった。言い換えれば、ここで筆者が挙げたボードゲームは『カタン』が起こしたような大ブームを起こすことができなかったゲームだ。

『カタン』はボードゲームの認知度を上げるのに多大な貢献をし、今なお「ボードゲーム」の代名詞として真っ先に名前が上がるゲームである。ドイツゲームの認知が遅かったアメリカでも「『モノポリー』の次に人気のゲーム」として確固たる地位を築いている。

■カタンの人気と「交渉」

では、なぜ『カタン』は人気を獲得したのだろうか。これに関してはネットで検索していただければいくらでも答えが出てくるが、その中でもやはり「交渉」の要素が大きいだろう。

『カタン』は無人島を開拓していくゲームで、家や都市のあるところから資源を獲得することができる。その土地から資源が出るか否かは、2個のサイコロの出目によって決まる。より詳細なルールに関しては他所に任せるとして、ここでは「交渉」について取り扱っていこう。

『カタン』における「交渉」とは、他のプレイヤーとの資源の取引である。あるプレイヤーが欲しい資源を、他のプレイヤーと好きな枚数分だけ交換することができる。このルールの意義は、サイコロの出目をある程度リカバリーできることにある。出目が偏ってもリカバリーは可能だし、自分の都市がある場所からは手に入らない資源同士を交換することもできる。

誤解を恐れずに言えば、『カタン』はサイコロの出目という「確率」とプレイヤー間の「交渉」だけを用いたゲームでしかない。もちろん、町や道の配置やカードの使用タイミングなど、様々な要素が組み合わさったルールはあるが、それらは全て2個のサイコロの期待値「7」を中心に判断していくしかない。そして、サイコロの出目=運によって出された結果に対応していくために、プレイヤーは「交渉」を行う。それゆえに『カタン』は「交渉」によって理不尽なサイコロゲームから一線を画した、運と実力のバランスがいいゲームに仕上がっているのである。

また、この「交渉」の要素がカジュアルなのも『カタン』が人気な理由の一つだろう。「交渉」1つでゲームが傾き過ぎることは少ないし、縛りなどのルールはない(むしろ、なさ過ぎて慣れてきたらハウスルールを追加するぐらいだ)。カジュアルな「交渉」はゲームのバランスをよくするだけでなく、ゲーム中のコミュニケーションの潤滑剤にもなる。

『カタン』のルールは、一見するとボードゲームをやったことのない人にはやや複雑に映ると思う。にもかかわらず、『カタン』がここまでの人気を博しているのは、毎回違う盤面になるというリプレイ性と、「交渉」がもたらす上記の恩恵によるものが大きいのではないかと筆者は考えている。

■交渉と島の富

さて、『カタン』における「交渉」には「自分が欲しいものを獲得することで自分の勢力を伸ばす」以外にも大きな意義がある。その意義は、他のプレイヤーの利益が自分の利益に転換できることに由来している。あるプレイヤーの資源が余っていなければ、その資源は交渉の場には出てこない。そのため、他のプレイヤーがある程度「育って」いなければ、自分の発展も遅れてしまうのだ。

ここから派生して、『カタン』では交渉によって他のプレイヤーを抑制することもできる。たとえば、最下位のプレイヤーにトップを妨害させるために資源を流すことで共闘するということも可能だ。もちろん、「交渉」には「優れた交渉」もあれば「愚かな交渉」もある。トップのプレイヤーに重要な資源である鉄を流し続けるのは典型的な「愚かな交渉」であると言えるだろう。後者は単なるプレイングミスだが、前者は交渉が持つ運の調整要素と言える。

「交渉」が機能したかどうかは、ゲーム終了時の盤面である程度分かることができる。また、「交渉」が機能した場が「カタン島」という無人島の発展にも関わっている点に、筆者は面白みを感じている。

以下、具体的に例を挙げて『カタン』の盤面の読み方を説明してみよう。『カタン』をプレイしたことのある読者の中には、こんなゲーム終了時の盤面を見たことがある人もいるだろう。

①:一人のプレイヤーが独占している場
②:全てのプレイヤーが8~9点の場

①の盤面は、交渉が上手くいかなかった盤面だ。一人のプレイヤーが突出し、そのまま走り続けてしまった結果だ。この場合、通常ならばこの島は貧しい島になる。街は少なく、道もない。行き止まりに続く道が2本だけ伸びており、ある都市の周りだけ発展しているが、他のプレイヤーは家が2~3つだけあったり、都市がぽつんと一つだけ建ったりしているような状態だ。その結果、全プレイヤーの合計得点は低くなり、島は貧相になってしまう。

一方の②の盤面は、「交渉」が盛んに行われた盤面だ。もしかしたら、序盤に多少の不利は承知で初期配置の弱いプレイヤーに資源を流したプレイヤーがいるかもしれない。終盤には「道王」を他のプレイヤーに取らせるための交渉が行われたのかもしれない。とにかく、この盤面では「交渉」は機能したことになる。この島は裕福な島になる。いたるところに都市があり、道が引かれ、海外貿易も盛んに行われる(『カタン』ではマップ端の貿易港に町を置けば、ある資源2~3個を好きな資源1個に変換することができる)。その結果、全プレイヤーの合計得点は高くなり、島は都市が立ち並び発展している。

つまり『カタン』における「交渉」とは、言い換えれば「競争」と「協調」である。他のプレイヤーと競争をするために交渉をしながらも、他のプレイヤーに勝たせないように協調する。そして、これらが盛んに行われた「カタン島」は、ゲームの勝者こそ一人であるが島は発展している。競争と協調が島を発展させる源泉になるというのは、現実経済をトレースしているようで非常に面白い。

一つの国にしろ、無人島にしろ、そこに存在する経済主体が競争し、協調することが発展に繋がる。ゲームでも現実でも忘れがちなのは協調だ。長期的な目線を持たなければ、短期的な損となる一手は打てない。そして、協調はそうした一面を持つことが多いと筆者は思っている。現実で企業が環境を守るために事業を見直すことは短期的には損になるかもしれないが、長期的には得になる。『カタン』でプレイヤーがトップのプレイヤーに勝たせないために土4枚木4枚を最下位のプレイヤーの羊1枚と交換することは、短期的には損だが、長期的には価値の芽を産むことに繋がる。

ゲームは勝者を決めることが目的だが、そこから視点を変えてみることで、予期せぬ社会との同一性を発見することができる。こうした点も、ボードゲームの面白さではないだろうか。

さて、最後に盤面から目を離してみよう。どちらの盤面の方がプレイヤー間のコミュニケーションの量は多かっただろうか。全てのプレイヤーが最後まで楽しめたのはどちらのゲームだっただろうか。『カタン』においては、ゲームの面白さも競争と協調によって決まっていると言ってもいいかもしれない。(続)

 

次回:【ボードゲーム批評】『カルカソンヌ』について:競争と人数【盤面は語る(第2回)】

[記事作成者:堀江くらは]