「世間」はどこにある?:その見方、教えます 【「数字」から垣間見る過去(第2回)】

前回:「光化学スモッグ」の数字:空は黒いか、黄色いか【「数字」から垣間見る過去(第1回)】

◆お盆休みは「世間」にぶつかるシーズン

 お盆休みが終わった。実家に帰省した人も多いことだろう。親類や旧友に囲まれて懐かしい夏休みを過ごしたという人もいれば、実家に住む親から時代遅れの「常識」を振りかざされて嫌になったという人もいるだろう。私はどちらかと言えば後者のような常識に悩まされていた類の人間だ。

 例えば親から「これからどうしようと思っているの?」と聞かれ、面倒に思いながらもしぶしぶ答える。そうすると、往々にして「そんなこと普通じゃない」「みんな呆れるよ」「常識で考えなさい」と返される。それに反発しても、「じゃあ、おじいちゃんおばあちゃんに聞いてごらん。私たちと同じ意見だから」と返ってくるのが関の山だったりする。

 ……そりゃそうだろうよ、あなたに常識を教えた人があなたと同じ常識を共有しているのは不思議でもなんでもない。イエスに尋ねるファリサイ派の人でなくても、「あなたは自分について証をしている。その証は真実ではない」と言いたくなるところだ(※1)

 ともあれ、私も最近は身の処し方を覚えたので、このような悶着に困ることはもうなくなった。それでも、引き続きこう考えてしまう。一体、「常識」やそれを支える「世間」とは何なのだろうか。

◆「世間」はどこにある?

 自分たちの周囲には自分たちと同じ常識を共有している人たちがいて、他の人の周囲には他の常識を共有している人たちがいる。そうした人々の繋がりのまとまりを「世間」と呼ぶとすれば、「世間」は複数存在することになる。では、それぞれの「世間」は、どのように分布しているのだろうか?また、その「世間」の間はどのようになっているのだろうか?

 このことを考えるために、まずマーク・グラノヴェーターという社会学者が1973年に発表した「弱い紐帯の強さ」という研究に触れておこう(※2)。この研究は、簡単に言えば「新しい情報を得るためには、親しい友人よりも、それほど親しいわけではない知人を頼りにしたほうが良い」ということを明らかにした研究だ。

 どうしてそうなるのか 。彼はその研究で以下のような図を用いて説明している。つまり、自分と親しい友人は、他の親しい友人を自分と共有している可能性が高く、それゆえに異なった交友関係を持つ余地があまりない。従って、親しい友人は自分にとって新しい情報ソースをあまり持っていないと考えられる、というわけだ。

キャプチャ

点が一人一人の個人を表し、線が人と人との関係を表す。実線は親しい関係、点線はそれほど親しくない関係を表す。親しい友人とは、他の親しい友人を共有していることが多いということをこの図は示している。

 この研究を敷衍すれば、「世間」について以下のようなことが言えるかもしれない。つまり、親しい友人を共有している領域、上図で言えば多くが実線でできた島のようになっている領域内に世間は含まれている、ということだ。何故なら、似たような情報や判断を受け取っている人間は、似たような考え方になると考えても不思議ではないからだ。

 これに加えて、例えば結婚について見てみると、交際パートナーは基本的に親しい交友関係から選ばれるにもかかわらず、「結婚してから生活習慣の違いに驚いた」「考え方、感じ方の違い方に驚いた」という話が少なくない。このことを考えれば、ひょっとすると「世間」のサイズは親しい友人が作る島のサイズよりも小さいということすら言えるかもしれない。

 (おそらく先行研究か何かがあると思われるので、気になった人は調べてみて欲しい。その上で何かこの記事に加えることが見つかったならば、アレ★Clubのエントリーフォームからweb版に投稿してくれると嬉しい)

◆「世間」を見ていくもう一つの方法

 「世間」のサイズをグラノヴェーターの研究から考える過程で、筆者は結婚の話を挙げた。結婚といえば、これもまた多くの親御さんがやいのやいの言うテーマである。例えば、連れてきた男の年収が低いだの、嫁の親の仕事が気に入らないだの、様々だ。もちろん、多くの親御さんは愛する子供の将来を心配して善意からそうした懸念を表明している(ハズ)なので、こうした難癖もまた彼らなりの「常識」に基づいたものなのだろう。

 ここから推測するに、「世間」の在処を考える上では「どのような人とどのような人が結婚したか」を辿るということも、手がかりになるかもしれない。というのも、親が常識で理解できないパートナーとの結婚は、親が常識で理解可能な結婚よりも抑制されているからかもしれないからだ(もしかしたら逆に、親が反抗するような結婚の方が子供のモチベーションが上がったりする傾向があるかもしれないが)。

 どのような人とどのような人が結婚したかを調べるのには、アンケートや聞き込みなど以外にも方法がある。その一つが、DNA配列を調べるというものだ。そうした研究は既に行われており、アメリカなどでは自分の出自を調べるためのサービスなども存在している(※3)。アメリカ人の友人曰く、どこでどういう混血があったかが多民族国家であるアメリカではよくわからないので、そうしたサービスに対する関心は否応なしに上がるのだという。

 こうしたDNAを用いた研究の結果、アメリカは今に限らず昔からそれほど混血化が進んでいないということも分かってきている(※4)。世間のサイズは、日本よりも広大なアメリカという土地でですら、小さいのかもしれない。

◆「世間」を超えて行くためには

 こうして、世間というのは然程大きくなさそうだということは分かった。「世間の目」に苛まされている人にとっては、とりあえず一安心だと言えるだろう。あなたが感じた違和感は間違っていない。「みんな」というのは「みんな」ではないのだ。

 しかし、同じ問題はあなたにも降り掛かってくる。世間が狭いということは、あなた自身も狭い集団の考え方に染まっている可能性が十分にあるということだからだ。小さなコミュニティの中で生きていくのも決して悪いことではない。そこで幸せに生きられるのならば何の問題もないだろう。

 けれども、一度「世間」に反発したことのある人ならば、自分も自分の「世間」から一歩外に踏み出してみたいと思うこともあるかもしれない。そういう時は、グラノヴェーターの研究を参考にしてみてはどうだろうか。

 そろそろ八月も終わる。涼しくなってくる季節だ。それほど親しくなかった友人を伝い、新しい出会いを求めてぶらりと何かの集いに出かけてみても良いのではないだろうか。焦らず、じっくりその場の常識、その場の考え方に耳を傾けて、おっかなびっくり自分もそれに従ってみれば、新しい世界が開けるかもしれない。

【注釈】
(※1)
ヨハネによる福音書(第8章第13節)より。

(※2)
Granovetter, M. S. (1977). The strength of weak ties. In Social networks (pp. 347-367). 元論文は https://www.jstor.org/stable/2776392 にある。オープンアクセスでないのが辛い。筆者は今回、大学在籍時にダウンロードしたデータから図表を引用した。

(※3)
『23andme』や『Ancestory DNA』などのサービスが行われている。

(※4)
Han, E., Carbonetto, P., Curtis, R. E., Wang, Y., Granka, J. M., Byrnes, J., … & Rand, K. A. (2017). Clustering of 770,000 genomes reveals post-colonial population structure of North America. Nature communications, 8, 14238.
内容はこちらに簡潔にまとまっている。元論文はこちら

次回:藁にも頼りたくなるとき:「幽霊」はどこにいったのか【「数字」から垣間見る過去(第3回)】

[記事作成者:市川遊佐]

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中