ヒーローの“顔”はどこにあるのか

先日、宮崎県のご当地ヒーローである「天尊降臨ヒムカイザー」のいわゆる「中の人」を同県の町議員が撮影し、画像をFacebookに投稿して炎上する騒ぎがあった。

ご当地ヒーローの「素顔」晒し炎上 宮崎・川南町議が謝罪「軽率だった」

町議はイベント前に練習をしていたスタッフを撮影し「ふ~ん、この方々がヒムカイザーなんだね」とコメントしている。ヒムカイザーのTwitter公式アカウントではこの投稿に関して「SNSでの肖像権の配慮についてご存じであろう方々のこのような行動に大変ショックをうけています」と発表。Twitter上では町議に対する批難の声が集まり、炎上騒ぎとなった。町議はその後、投稿を削除し謝罪している。

前もって述べておくと、筆者は今回の町議の投稿に関しては大いに問題があったと考えている。さほど立場の強くないご当地ヒーローであればこそ、そのヒーロー像の維持に無言の了解であれ積極的な応援であれ協力するのが大人の責務であろうし、そこを論点としない場合でもヒムカイザー側のコメントにもある通り、肖像権の問題を考えれば批難を免れうる投稿だとは考えにくいものがある。

◆ヒムカイザーとキタキュウマン

その上で筆者がこの騒ぎを通してふと疑問に思ったのは、「ヒーローの“顔”はどこにあるのか?」ということだ。この疑問を持ったきっかけは、この件に関して別のご当地ヒーローがこんなコメントをTwitterで残したことにある。

「ヒーローの中の人を無断でSNSに載せた議員さんが話題になってるけど 何か・・・気まずい・・・・・」

このご当地ヒーローは「キタキュウマン」と言い、その名前の通り福岡県北九州市のヒーローとして活躍している。キタキュウマンが何をどう気まずいと感じているのか、それは上記のツイートを見ればすぐに分かる。キタキュウマンはいわゆる「中の人」を明かして活動しているヒーローなのだ。Twitterのヘッダーには分かりやすく本人の写真に「イケメンでーす」と書かれており、公式ホームページでも歴代のスーツ写真に大人の都合を臭わせるコメントを付けている。変身ヒーローの設定を踏襲した上でメタフィクション的な要素を取り入れた、笑い半分格好良さ半分といった塩梅のヒーローとして活動していることが窺える。

先の炎上騒ぎに関してヒムカイザーの変身前に関する情報が無かったことを思い出して調べてみると、ヒムカイザーは宮崎県に伝わる日向神話をモチーフとしたヒーローであり、基本的に変身することはないという。キタキュウマンは変身前の姿があるのに対し、ヒムカイザーは最初からヒムカイザーなのだ。ヒムカイザーはキタキュウマンのような変身前の姿を持たないヒーローであったからこそ、町議の投稿にそのヒーロー像を大きく傷付けられたのだろう。

◆ストーリーの視点の差異

さて、ヒムカイザーとキタキュウマンのヒーローとしての在り方を見ると、それぞれが描くストーリーに視点の違いがあることが分かる。ヒムカイザーは日向神話をストーリーの基軸としており、そのストーリーの中でのヒーローとして活動している。公式ホームページからストーリーの各話を確認することができるし、そうしたストーリーを描いたDVDも発売されている。

一方でキタキュウマンは公式ホームページのプロフィールに年表形式の設定こそあるものの、「中の人」が表に出ているだけあって設定上のストーリーに則った活動をしているわけではない。YouTube上でいくつか動画を見ることもできるが、こちらは約一ヶ月程前から「中の人」がYouTuberに近いいわゆる「やってみた」系の動画を投稿し始めている。しっかりとしたストーリーを用意しその中でヒーローであり続けるヒムカイザーに対し、キタキュウマンはストーリーを意識することなく、本人の姿をそのまま晒すことである種行き当たりばったりな活動をメタ視点と共に提供しているのだ。きちんとした物語こそないものの、その生の姿を晒しつつスーツの進化や活動の進展をいっそ生々しいまでに伝えることこそがキタキュウマンのストーリーであるとも言える。もちろん、ヒムカイザーとキタキュウマンそれぞれの活動の規模という問題もあるだろうが、ストーリーの内部に生きているヒムカイザーと、一切を外にさらけ出すことでストーリーを確保しようとしたキタキュウマンは、同じご当地ヒーローでありがなら対照的な在り方をしているのだ。

◆「中の人」を取り巻く課題

重要なのは、対照的な在り方をしている二人のご当地ヒーローが、どちらもヒーローとして成立しているというまさにその点だろう。すなわち、彼ら自身が自らを「ヒーロー」と自称しているというだけでなく、それが他者によって了解されているという事実である。ここで我々は「自らが了解した『ヒーロー』とはどのような存在であるのか?」ということを理解しなければならない。それは「中の人」といったような裏の事情ではなく、ヒーローから提供されているストーリーに我々が向かい合うということだ。何故なら、そのストーリーから抽出されたものがヒーロー像であり、つまりはヒーローそのものだからだ。ヒムカイザーの炎上騒ぎは、ストーリーの内に生きていたヒムカイザーにそのストーリーが受容しえない情報が加えられてしまったことで、そのヒーロー像が貶められてしまったことによるものであると言えよう。

今回の騒動は、何もご当地ヒーローという観点だけで考えるべきものではない。たとえば「Vtuberの正体は誰であるか?」というインターネット上での話題は尽きることが無いし、そうでなくともTwitterのような匿名性のSNSにおける個人情報の暴露はたびたび問題になっている。「VRChat」のように自身のアバターを通して他人と交流するツールが普及すれば、そこでも同様の問題は当然発生するだろう。

ヒーローとは他者評価の総称である。誰であろうと、どのような存在であろうと誰かにとってのヒーローになってしまう可能性は常に存在する。逆もまたしかりだ。大事なのは、その誰かがどのような活動をもって「ヒーロー」と評価されるに至ったか、ということなのだ。「中の人」ではなく、何らかのアバターを通しての活動が評価されてヒーローとなったのであれば、そのヒーローの顔はそのアバターの上にこそある。とはいえ、それを常に尊重するべきだ、とまで言うつもりは筆者には無い。今回の炎上騒ぎは町議の方に非があったものの、一方で今まで「ヒーロー」と評価されてきた側の人間が自らその評価を損なう活動をしてしまうこともあるだろう。だからこそ、我々はヒーローの顔がどこにあると了解しているのか、そしてそのヒーローが今どのような活動をしているのかをきちんと直視し考え続けていく必要がある。その必要性は、SNSが隆盛を迎えている今だからこそより強く求められているのだ。

◆ダイレクトマーケティング

ところで、こうした「ヒーローとは何か?」という問いを巡って、筆者は以前『アレ』Vol.1と『アレ』Vol.2で「ヒーロー考」という論考を書いた。上記のような議論を読んで、こうした論点について掘り下げて考えてみたいという方がいらっしゃれば、どちらも既にKindleストアで電子書籍版が公開中なので、ぜひ読んでいただきたい。

「天尊降臨 ヒムカイザー」公式ホームページ

「キタキュウマン」公式ホームページ

[記事作成者:さいむ]

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