【ゲームの世界に「敵」なんて存在しない!?】ゲームとチームの類似点と違い【アレ★トーク(3)】

次回:【日本における家庭料理の商品化】あなたの「ペペロンチーノ」はどこから?【アレ★トーク(2)】

〈アレ★Club〉のメンバーがGoogle Hangoutで行っている日々の雑談の中から、「一匙の公共性」がありそうなものを「さいむ」が勝手に書き起こし、他のメンバーのチェック無しで記事化する「アレ★トーク」。今回は編集長であるくらはが執筆したカタンについての記事に、副代表の市川が感想を述べたところからトークが始まりました。
★本日の登場人物
・市川遊佐
 〈アレ★Club〉副代表。ゲームではキャラクターになりきりたいタイプ。
・堀江くらは
 機関紙『アレ』および本サイト「コレ!」の編集長。ゲームではしっかり勝ちに行くタイプ。

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◆「今日の敵は今日の仲間」?

市川遊佐(以下、市川):
くらは、この間のカタンの記事面白かったよ。僕もカタンはやったことはあるけど、プレイ後に島全体での発展度合いを反省する、しかもその発展度合いがプレイに参加していた人たちの間での交渉の質や量に関係がある、という発想は僕にはなかったよ。

堀江くらは(以下、くらは):
あ、そう? 市川さんは結構そういう見方してるかなーと思ってたけど。つまりは、競争しながら、各人が必要なモノを渡し合うことで、島全体が豊かになっていくんだよね。ちょっとマクロ経済学っぽいよね。

市川:
そうそう。そこについて疑問というか、質問を思いついたから、聞いていいかい? よくプレイされたゲームでは、プレイヤーはみんな「どういう状態になればいいのか」という各人の目的を認識できていて、その目的を達成するためにプレイヤー間でギブ&テイクを行っているわけだよね。そしてその目的を目指して頑張る過程を楽しんでいる。

くらは:
そういう言い方もできるね。

市川:
これって仕事上でのチームの在り方と似ているんじゃないかなと思ったんだ。仕事上のチームでも、チームメンバーは共通のビジョンのもとで、互いの行為に依存しあって行為していいる。そして、いいチームでは仕事を通してやりがいを感じたりして喜びを得ることができる。

とするとだよ、ゲームでの「敵(=他のプレイヤー)」って、ほとんど味方みたいなものなんじゃないかなと思ったんだ。ゲームにおける敵って、チームにおける味方とどういう違いがあるんだろう? あるいは何も違わないんだろうか? もし違いがないとすると、現実世界はゲームと似ていると考えられるかとからすると、「敵」って一体どこにいるんだろうか?

◆ゲームにおける敵の三分類

くらは:
なんかゲシュタルト崩壊しそうな疑問だな。ともあれ、質問に答える前に、ゲームにおける敵と味方の関係について整理しておこう。実は、ゲームにおける敵と味方の関係には、大きく分けて以下の三通りがある。

ゲームにおける敵味方とは、3種類に分けられる。
①固定化された馴染みの面子で敵と味方に分かれての対決
②ランダムで選別された人が敵と味方に割り当てられての対決
③馴染みの面子で出来たチームと、ランダムに選ばれた人を寄せ集めて作ったチームでの対決
順に見ていこう。

市川:
ふむふむ。

くらは:
①の場合は仕事と同じになりやすい。というか、実際にはこういう状況ってたぶん「趣味とか仕事でチーム組んでいる人たちが一緒にゲームをしている」というパターンの可能性が高いよね。互いに素性が割れている状況なわけで、それはつまり互いが何をしたら喜んだり怒ったりマジ切れしたりするか分かっているということだ。こうなると、構図が「不確定要素の源泉としてのゲーム」VS「ゲームから湧いてくる不確実性をネタにして戯れ合うゲームプレイヤー」になる。これは仕事での構図と同じだね。

②の場合、敵か味方かはランダムに決まる以上、敵も味方も「どういう考え方・感じ方」をしているのかが分からない。そして、敵にも味方にも、憎しみも愛着もそれほど湧かない。だから、味方に指示を飛ばすことはあるにしても、そこでは互いに互いを「装置」扱いすることが多い。多くを期待しないわけだよ。ともあれ、そうした状況から集合知的に面白いゲームプレイが出てくることはある。

③は……虐待だよね。少なくとも、僕が見てきた範囲では(僕は「本業はゲーマー」と書いてるだけあって、かなりゲームはやってきたぞ!)虐待になってる場合が基本かな。

市川:
なるほどね。じゃあ、その整理を踏まえて僕の質問について答えると、どんな感じになるのかな?

くらは:
どのケースでも、確かにプレイヤーは他のプレイヤーの行為に依存して、行動したり喜びを得たりはしている。でも、目的意識・結果・報酬等の点で、仕事のチームワークとは違う場合もあると思うね。

◆で、敵は存在するのか?

市川
なるほど、どうも僕は①をモデルに考えていたようだ。このモデルでは、その場にいる人はゲーム開始以前からずっと味方なわけだ。

くらは
いや、僕の見立てでは市川さんは②を想定しているように感じる。確かに①はそのまま仕事でのチームと酷似しているけど、そういう状況をイメージしてました?

市川:
いや、そう言われてみれば確かにしてないね……。敵/味方って言い方をしたり、敵とは何か?という疑問を立てたことにも表れているけど、もっと殺伐とした状況をイメージしていた。殺伐とした状況「にもかかわらず」実は調和がそこに発生してしまっているのではないか?と疑ったわけだよ。

くらは:
だよね。だとすると、市川さんの話は②の状況についてのものだと思うわけ。②の状況では敵も味方も互いに多くを知らないし、それゆえに期待しない。でも、ゲームにはルールというものがある以上、ほぼ確実にベストプラクティス(=定石、鉄板)というものもある。ここまで到達できるかが、仕事上のチームと同じような雰囲気になるかどうかの境目になるんじゃないかな。

市川
なるほどね。②でもある程度ゲームのセオリーを理解すれば、プレイは①に漸近していくわけだ。ベストプラクティスを共有することで、相互の理解が結果的に発生してしまうわけだね。

さらに敷衍していえば、その人のプレイスタイルを少し見ることで、その人がどれくらいベストプラクティスを理解できているかとかも予想がつく。だから、達人級のプレイヤーになるとどんなレベルのプレイヤーと敵やチームになってもうまく「気が利く」あるいは「盛り上がる」プレイができるようになると。

くらは:
そうそう。その考えで行くと「十二分によく訓練されたプレイヤーにとっては、ゲームの世界に敵は存在しない」あたりが落とし所なのかもしれない。ただ、普通はそうはならない。互いの相互理解ができない状態に留まるのが、普通の②の状況だと思うよ。

市川:
なるほど、僕は漠然と「合理的に判断する経済人モデル」で考えていたから、十二分に訓練されたプレイヤーばかりな状況を考えてしまったのか。で、これは、①と②の間くらいに似た雰囲気になると。

ちなみに、②の状況で赤の他人にそのレベルの合理的なプレイを期待すると、自分ルールを押し付ける怖いゲーマーになるんやな。

くらは:
くらは、怖いゲーマーじゃないよ★

次回:【『GODZILLA 決戦機動増殖都市』は面白かったのか?】アニメ映画『GODZILLA』のテーマを読み解く【アレ★トーク(4)】

[記事作成者:さいむ]

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