【コレ!対談(2)】脱線に抵抗する方法とは:多様な欲望を簡潔に描く(後編)


〈アレ★Club〉のメンバーがゲストの方をお招きしてアレやコレやと熱論を交わし合っていく「コレ!対談」。

前回に引き続き、〈アレ★Club〉の副代表である市川遊佐と市川の友人である羊谷知嘉さん(@hail2you_cameo)の、が『アレ』Vol.4に載せたコラム「さあ、人間を超え出よう!」についての対談を掲載いたします。

★本日の対談者
羊谷知嘉(Engineerism主幹)×市川遊佐(アレ★Club副代表)

【対談者プロフィール】
羊谷知嘉(Chika Hitsujiya/@hail2you_cameo

Cz1tWpFV
1988年生まれ、立教大学院文学研究科比較文明学専攻修了、京都在住。文芸同人誌の主宰と並行し、4年間にわたり哲学カフェを都内近郊で約30回におよび主催。仕事上のストレスと過労から約2年間ほど友人関係含め外界から心を完全に閉ざし、批評・表現活動を停止させていたが、無事フリーターに転生することで近頃ようやく覚醒を果たした。

*********************

20180616_7dd1b5
今回話題にされているコラムが掲載されている『アレ』Vol.4。

◆社会からはみ出す欲望

羊谷知嘉(以下、羊谷):
次は、僕の理解した範囲内での文章内容をとりあえず受け容れた上で気になったこと。これは批判ではなく感想ね。

まず、市川君が真理への希求を系統の存続との連続性の上で説明したことについて。この点についても特段の異論はないけど、僕はどちらかというと連続性よりも独立性を強調したくなる。これに限らず、市川君は物事の「表」の方を本文中では書いてくれていたと思っているんだけど、僕ならそれに対して「裏」を強調したくなるかな。興味関心の違いだけどね。

どういうことかというと、そうした外部に向かう真理への衝動は、僕なら「探索本能」としてより拡大的に捉えるのだけど、系統の存続とそれに従属する個および社会集団の存続とはおよそ関係ないところでも独立的に駆動しているんだ。

市川遊佐(以下、市川):
ふむふむ、少し具体的にご説明してもらえるかな?

羊谷:
もちろん。たとえば、収集願望。クエストを受注しながら広大なマップを駆けめぐるオープンワールド系のデジタルゲームにはかならず「収集物」があってね、マップに表示されるマーカーを頼りに特定の物をひたすら集めるだけなんだけど、大抵の場合「収集物」をコンプリートする合理的な理由は何もない。せいぜいストーリーがほんの少し補完され、マップからマーカーが消えてスッキリするぐらい。

それにも関わらず、僕はこの「収集物」を放置すると決めるのに結構な意志力を要する。少なくとも僕みたいな探索型のプレイヤーにはね。おなじことはアナログのコレクションにもいえるし、ネットサーフィンもそう。わずかな快楽に釣られて膨大な時間やエネルギーの無駄使いをしている、系統、個、社会集団に何ら益することなくね。人間の男性の性欲にも同じ事態がよりわかりやすく発現している。

市川:
確かに、そうした欲望(という言葉で本文中では一まとめにしてしまったもの)が持つ社会から逸脱していくような側面については、本文中ではあまり書けなかった。とはいえ、そこはロジック的には問題というほどでもないよね。つまり、他の様々な生き物と比べて人間では欲望の向き先がそれほど固定されていないというわけだ。

羊谷:
そうそう。市川君は「既存の機構の転用」が進化のプロセスで起こると書いていたけれど、人類は文化の広がりと文明の高層化により得た暇と安楽を、その系統や個の存続に端を発する衝動を「快楽」に転用して埋めているのだろうね。

市川:
人類の歴史を捉えるというのが僕が取り上げたい範囲なら、僕もそうした逸脱に焦点を当てていたと思う。ただ、今回の記事の狙いはあくまでも「人類の未来を見据えるために、人類が人類になるまで辿ってきた道を振り返る」というものだったから、そこは思い切ってバッサリ切り捨てたんだ。別の機会があればまたその辺は取り上げると思う。

◆複数の欲望間の葛藤について

羊谷:
それと、衝動の独立性についてもうひとつ。人間を含む一部の動物には、系統の存続に対する有用性から派生した個としての自己意識や帰属先としての社会意識もあるのだけど、それぞれが系統の存続にだけ従属するわけじゃない。市川君はドーキンスを引きながら「系統の狡知」、鳥や哺乳類などが自分の生存よりも系統の存続を優先する見かけ上の「愚かさ」にふれていたけれど、そこには利害を異にする複数の衝動の衝突、葛藤がある。すくなくとも人間にはね。

たとえば、シェイクスピアの『ハムレット』は、毒殺され、妃と王冠を奪われた父王の無念と不名誉を復讐により雪ぐという使命の下に、帰属先の対人関係や自己イメージだけでなく、系統の存続が惹き起こす恋も個の生存すらも潰えるという不思議な作品なのだけど、『ハムレット』の大部でありシェイクスピアの独創を成すのはその逡巡と葛藤の独白なんだよね。同じ例を身近なところに求めるなら、児童虐待、育児ノイローゼ、嫁姑問題、不出生主義がそうなんだけど。

つまり、控えめにいっても人生の苦しみのいくつかは、幸か不幸か、人間の欲望がその根深いところから複数でありかつ独立しているせいなんだ。僕の興味関心だと、市川君の文章を読むとそこまで筆を伸ばさないと気が済まなくなってしまう(笑)

市川:
たしかに、そうした「葛藤」にまで話を広げるのも面白いよね。でも、葛藤ってのは大抵の場合は「悩み」なので、そこから「人間から超え出たい」という欲望を立ち上げると、どうしても厭世的になって、解決策が「無我になればよい」とかになりがちだと思った。そうなるとまたその辺の議論を丁寧に整理する必要が出てきてしまうので、そこもあえて取り上げなかったという次第かな。

◆世界を説明する複数の方法とその歴史

羊谷:
あと、市川君のいうとおり、人類は種の存続、正確にはそれと個の意識、社会的了解のために認識の欠落部分を探求してきたと僕も思うけど、それは、科学的な知性とやり方、つまり、懐疑・仮説・検証のステップに限らず、論理の整合性を頼りにした哲学思想や、社会集団のアイデンティティを形成していた神話や物語もまた同様だったはず。ただ、より良い説明とより悪い説明という知性の違いがあるだけでね。

市川:
そこはチラッと探求の結果としての宗教という形で取り上げたつもり。確かにもうちょっと丁寧に書き込みたかった感はある。それぞれの説明の特色とかの話は面白いからね。

羊谷:
そもそも、科学的な認識の探求、というかその知性自体が問題としては複雑なんだ。これは市川君を批判しているわけでは決してないんだけど、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルやコンラート・ローレンツ、今西錦司らが先駆的だっただけで、前世紀では市川君のいう「他の生物の世界」が科学者から顧みられることはほとんどなかったらしい。アメリカ流の行動主義的心理学が流行っていたせいでね(※1)。

市川:
あ、そうだったんだ!その辺の歴史までは知らなかった。みんなが僕が取り上げたような問題についてあまり論じてくれないのはそうした歴史的な流れも原因なのかもな。

羊谷:
僕の理解では、科学的な知性はその原理からして善悪の価値判断と想像力の源たる共感をオッカムの剃刀流にいったんは否定せざるをえない。20世紀の花形であった物理学はその特異な知性の怜悧さにより破壊的に躍進したけれど、生物の世界をより良く理解するにはもっと総合的で柔軟なものへ知性が脱皮することが必要だったらしい。あとは、工学への接続と応用、ビジネス上の実践という話だと思うのだけども。

市川:
工学とかビジネスの話はまた別途やろう(笑)先に述べた「既存の取り組みに対する不満」に繋がることだから、僕にもいろいろ言いたいことはある。むしろ本当はそっちについてガンガン語りたいんだ。だからこそ、ここで論じるには字数が足りない。

羊谷:
そうだね。実は、僕が「人間を超え出る」ことにあまり関心をもっていないのは、人間の認識は本当によく出来ていると思っているからなんだ、ムカつくぐらいにね。そのあたりについてもまた今度ゆっくり話そう。おもしろく有意義な文章と対談、ありがとうございました。

市川:
こちらこそ、ありがとう!

【注釈】
(※1)
フランス・ドゥ・ヴァール『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

[記事作成者:市川遊佐&羊谷知嘉]