『ニーチェ入門』:ニーチェは名言botじゃない【山下泰春の「入門書」入門(第4回)】

前回:『資本』:人間とクレジットカード【山下泰春の「入門書」入門(第3回)】

◆ニーチェの難しさ

「ニーチェは一番理解するのが難しい哲学者だ」と、昔とある教授から言われたことがある。今でも「それはどういう意味だったのだろう」と思い返すことは多々あるが、確かにニーチェはその「名言」ばかりが独り歩きしており、結局ニーチェが語ろうとしたこと、あるいはそうした名言の背後に潜む彼の思想の核になるものが一体何なのか、いまいち全体像を掴むことは難しいように思える。

「深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちらを覗いている」、「神は死んだ」、「事実なるものは存在しない。ただ解釈のみが存在する」。こういった箴言(アフォリズム)にもっともらしい説明を加えている入門書の類は多い。だが、それらは得てしてニーチェの別の著書からの引用で彼の言わんとしていることを説明しているだけというケースが多い。

そんな中、筆者が例外的に分かりやすく要点を押さえていると思ったニーチェ入門書が、今回紹介する清水真木著の『ニーチェ入門』(2018年、筑摩書房)だ。この本はもともと2003年に講談社から出版された「知の教科書」シリーズの一冊として刊行されたものであり、文庫化に際して新たに著者のあとがきと、読書案内が追記されてはいるものの、その内容面に関してはほとんど変更されていない。

さて、この本の特色は一言でいえば「健康と病気」という観点からニーチェの思想を分類したという点である。ニーチェと言えば末期に「発狂」し、廃人としてその生涯を終えたということも手伝って、彼の思想のオリジナリティをその狂気に認めようとする傾向があるが、それは間違っていると清水は指摘する。

むしろニーチェは「発狂」よりもかなり以前から健康状態に難を抱えており、晩年になってから繰り返しそれについて言及するようになった。そうした事実に着目した場合、ニーチェの生涯の健康状態と彼の思想は段階的に理解できると清水は『ニーチェ入門』の比較的冒頭部分で説明している。

◆「超人」とは何者か

では、そうした観点に立った場合、ニーチェの思想とはどのようなものなのか。ここでは「超人」という言葉を手掛かりに考察していこう。その著では書かれていないことだが、まず超人とはドイツ語では Ueberman、英語で言えば Superman である。このことから、何事にも屈しないまさにスーパーマンを想像する方もいるかもしれないが、半分はそれで正解だ。もう半分は、超人とは何事も屈しない最も「健康」的な人間のことを指している。

ニーチェの言う「健康」とは、清水によれば「もっともペシミスティックな仮説である『永劫回帰』を真なるものとして承認する」強さのことを指すという(※1)(※2)。つまり、あえて自分の生存や精神の健康を危うくさせるものに「よし、ならばもう一度!」と喜び勇んで取り掛かり、それを克服することに楽しみを見出す究極の存在が超人であると考えられる。

ここで注意すべきなのは普通の、つまり肉体的な意味での「健康」とは違って、より精神面が強調されているという点だ。だから例えば、ある種の登山家は健康である。それは、彼らが登山を可能とするような頑強な肉体を持っているからではない。

超人的な登山家は、あえて自分の存在を危険に晒す山という自然物に立ち向かい続ける。超人にはそれだけの精神的な意味での強さがあるばかりでなく、超人はその過程に悦びを感じる。そしてそれゆえに、超人はそうした過程に取り組み続ける。ただ単に肉体的な意味での健康を持っているだけでは、ニーチェが言う「健康」には分類されない。絶えずより高い山に挑戦し続ける登山家のような生き方が、「超人」の生き方でありうるわけだ。

◆超人の対概念としての末人

そうした「超人」と対極にあたるのが「末人」と呼ばれる存在だ。清水曰く、彼ら/彼女らは「一切の努力を忌避し、『すべてを卑小にしてしまう』がゆえに『もっとも軽蔑すべき人間』」とされる。

末人は、先ほど述べた自分の生存や精神の健康を危うくさせるものを忌避し、場合によっては憎悪の対象ともする。そして末人は、自らを慰め、安らかな希望を与えてくれるようなものを求める。

こうした末人の観点からは、人生をよく生きるために必要なのは、余計なことをせず無難に生きることだということになる。末人にとっては人生とは「やり過ごすに越したことはないもの」でしかないわけで、それゆえにニーチェは末人を「すべてを卑小にしてしまう」とするのだ。

末人にとっては永劫回帰のような(天国などはなく、この世が無限回繰り返すという意味で、末人にとっては)悲観的な仮説は到底支持できない。また、末人にとってはそうした仮説を支持する超人のような健康的な人間も、同様に憎悪に満ちた目で見るべき対象だということになる。

こうしたことを踏まえると、ニーチェの言葉に救いを求めるような格言集や、彼の思想に対して無気力になり「悟り」を見るような態度はまったくもって末人的なものであると言わざるを得ないように思われる。

確かにあらゆる価値観や道徳観を拒絶し、全てに「否」を突きつけるニーチェの思想を受け取ることによって、人はニヒリズム(虚無主義)に陥ることになる。だが、そうしたニヒリズムを徹底することによって逆に到達できるような、自身の悦びのために自身を危険に晒し、そしてそれを克服するという挑戦的な態度こそ、彼が真に「健康」であると考えるものだったのだ。

【注釈】
(※1)
反対に「病人」は、清水によると「自分の身体に負荷がかかることを避け、身体の保護と休息を必要とする人間」のことを指す。だが、より本質的には健康/病気という区分は、本能≒態度の次元における状態のことを指すため、ある意味では本人の意志の持ちよう次第で健康であったり病気であったりすることになる。

(※2)
「永劫回帰」とは、あくまで哲学的な仮説の一つで、その意味はあらゆる事象が全体として一つの順序に従って繰り返し起こるということ。つまり、自分の人生の今後の全ての出来事は既に決定されており、自らが死んでも再生し再び同じ人生を何度も繰り返し続けることを指す。ニーチェが「ニヒリスト(虚無主義者)」と言われる所以である。

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[記事作成者:山下泰春]

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