【第5回】アイを見つけた場所(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)


前回:【第4回】その灯火を手がかりに(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)

◆今更、後には引き返せないから

私は2015年3月に大学を卒業しました。いきなり身の上話で申し訳ありませんが、これもちゃんと『ひとりぼっちの地球侵略』に関わってくる話です。というのも、私は結局『ぼっち侵略』で卒論を書くことが無かったからです。

この連載の第1回でも書いたとおり、私は大学でも『ぼっち侵略』を友人に読ませてはアレコレ話したりしていたのですが、これを卒論にするべきなのかどうなのか、ということについてはかなり悩みました。そもそも私以外にこの作品を真面目に読み込んでいる人間が誰もおらず、当然ながら先行研究も存在しません。当時の指導教官にも相談したのですが、もう少し違うものでないと指導できないという予想通りの答えが返ってくるだけです。

仕方がないので、別のテーマで卒論を無難に完成させてしまいました。結局は「自分より詳しい人間が現れるまでは独力でなんとかするしかない」という今まで通りの方針がより強化されるだけで、それどころか私はこの方針のまま歯止めが効かなくなってしまいました。完結するまでこの作品を読み続ける決意を新たにしたのです。あるいはここで卒論なり何なりにできていれば今日まで『ぼっち侵略』をこうして読み込むこともしなかったかもしれません。もっとも、当時の読解力では本当に浅はかな作品論しか書けなかったはずなので、これで良かったとも言えますが。

その代わりと言ってはなんですが、私は卒業旅行と称して一人で熊本市に滞在することとしました。無論これも『ぼっち侵略』のためです。『ぼっち侵略』の舞台である松横市はその8割強が熊本市を元ネタとしていることは既に明らかとなっていたため、この機会にがっつり検証しようと目論んだのです。

他の友人が違う場所へ旅行へ向かう中、一人熊本市に行った私はそこで現地の『ぼっち侵略』読者と合流し、一週間かけて様々な場所を訪れては『ぼっち侵略』の描写と比較することを繰り返しました。小川先生の母校である熊本大学にも足を運び、当時の漫研では『ぼっち侵略』が読まれていないことを確認したりもしました(当然その後宣伝しました)。記念すべき大学の卒業旅行を『ぼっち侵略』に注ぎ込んだことで、私は益々『ぼっち侵略』にのめり込んでいくことになります。卒論と卒業旅行は、私がこうして『ぼっち侵略』と関わり続ける決定打ともなった出来事だったのです。

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地震前の熊本城から撮影したお気に入りの一枚。気になる方は『ひとりぼっちの地球侵略』7巻11ページと見比べてみましょう。

◆過ちに気づいた日

さて、私が大学を卒業してからおよそ二ヶ月後、5月末だったと記憶しています。当時の私は相変わらず『ぼっち侵略』について自分より詳しい人間を探し続けていました。ブログを書き始め、いわゆる聖地巡礼も行ってきたことで自分の活動に少し自信がついてきたのもありますし、そういった活動をしたからこそより他人の感想に耳を傾けなければならないとも思ったのです。

そんなある日、私はあるぼっち侵略読者とTwitter上で口論になりました。確か今後の展開がどうなるかというあんまり大したことのない話題(と言っても今の私にその話題を振られたらそれはそれでやっぱり本気になりますが)だったのですが、私も『ぼっち侵略』の話とあっては後には引けません。そのうちに相手も『ぼっち侵略』はそもそも肌に合わないから……という類のことを話し始めたので、こちらもムキになってどこが面白くないのか問い質し始める……といったような喧嘩になった筈です。かなり前のことなので記憶が曖昧ですが。

そんなやり取りの中で、こういった感じの発言が相手から飛び出しました。

「大体、さいむさんの書いてる文章には自分というものがないじゃないか」

最初、このツイートを読んだときは何が何だかよく分からず思わず「それってどういうことなんですか?」と真面目に聞き返してしまいました。数度リプライを交わすうち、やがて私は自分のやって来たことに根本的な欠陥があることに気づき始めるのです。

そもそも、私の本来の目的は「自分よりぼっち侵略に詳しい人間を探すこと」でした。だから自分が『ぼっち侵略』のことをどう好きなのか、そんなことを説明する必要は根本的にないと思っていたのです。そのため、私の『ぼっち侵略』に関する説明はその全てが「この作品はこういう構造になっています」や「この場面はこういう描写です」と言った説明に終始していたのです。

確かにそれは作品の分析にはなっていますが、作品の面白さを伝えるものにはなりません。それを示すためには、私自身が面白いと思った部分を主観的に語る必要があります。しかし、私はそうしたことを全くと言っていいほど語ったことがありませんでした。それこそ大学の友人に向けて書き綴ったあの最初のルーズリーフときから、です。理由は簡単で、自分より詳しい人間にやがて全てを譲るのであれば、自分という人間の主観なんて不要だと考えていたからです。だから私は、自分がどうこの作品を好んできたのか、それを自問することすらやってこなかったのです。

では、それは言おうとしてすぐに言い出せるものなのか? 答えはノーでした。私が真に愕然としたのはこの瞬間です。初めて『ぼっち侵略』を読んだときのよく分からない情動の正体は何だったのか、それを3年間もなおざりにした結果、そのときの心の動きさえ自分には思い出せなくなっていたのです。何も、何も分かりませんでした。

◆失われた夢を求めて

上記の出来事は外出中に起きたのですが、これに気づいた瞬間は自分の平衡感覚が完全に狂ってふらついていたのを覚えています。『ぼっち侵略』を自分の魂とさえ位置づけようとしていた私にとって、この欠陥はそれほどのショックだったのです。元の用事も忘れてフラフラと帰路に着きながらTwitterを見返すと、他のフォロワーも私の動揺に対してコメントをしていました。

「さいむさんが言われていること、私はずっと前から思っていたけどさいむさんは気づかないままだったからなぁ」

「さいむ君がやっと私が前に注意したことに気づいてくれたようだけどショックが大きすぎて心配だよ」

おおよそこんなことが書かれていました。そうです。こんなことを3年間も他人に対して行い続けてきたのだから、大体の人がそれに気づいていて当然なのです。私一人だけがそれを理解できていなかったのです。大学の友人だってきっとそう思っていたに違いありません。私が今まで『ぼっち侵略』について会話を交わした方々との思い出が、次々とフラッシュバックしていきました。

【第2回】さいむ、誕生(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)

恐らくですが、私とSkypeをした人たちは、私が「この作品のここが面白い! 大好き!」とか「これはこういう作品だと思うんですよね!」と言うと思っていたのではないかと思うのですが、私はただ「このシーンはこういう描写ですね」とか「ここはこれのオマージュですね」というようなことしか言わなかったし、言えなかったのです。

直さなければならない、漠然とそう思いました。でも何を? きっかけすらもうまともに思い出せないのに? 第一本当にそんなことをしてしまっていいのだろうか? そんな風に自分の主観を込めてしまったらぼっち侵略の純粋な読解ではなくなってしまうじゃないか。しかし、そもそも純粋な読解ってなんだ? そんなものは実は元から存在しないんじゃないのか? じゃあ、私が3年間やってきたことって一体何なんだ?

こんなことをぐるぐると考えていました。一向に答えは出ません。その根幹に関わるぼっち侵略への思いを思い出せないのですからそれも当然です。すると、フォロワーの一人がこんなアドバイスをしました。

「さいむさんは批評を書けばいいんじゃないかな。『ぼっち侵略』の批評を」

批評……確かにそんなものを大学の授業でも書いたような記憶はあります。しかしそれが本当に批評として形になっていたのか自分には自信がありませんでした。そもそも批評がなんなのか言語化すらできません。今の私にあるのは『ぼっち侵略』に関する読解と知識の蓄積だけです。それだけを頼りに、ゼロから批評が書けるのか?

それでも、と私は決意します。何故やるのか、どうやるのかも上手く言語化できないけれど、とにかく『ぼっち侵略』のためではなく、自分のために自分の答えを出さなければならないと。それが批評という形を取るのかは分かりませんが、『ぼっち侵略』を通して自分が得たものを形にすることを目指そうと私は考えたのです。ある意味において、これが「さいむ」の第二のスタート地点となりました。ただ『ぼっち侵略』のために機械のように動き続けるのではなく、人として『ぼっち侵略』から得られた答えを出すために、私は今まで以上の悪戦苦闘を繰り広げることになるのです。

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……なお、その決意の直後ですが。

さいむ:「わかったよ◯◯(とあるフォロワー)さん! つまり自分の答えを出すためには、しっかり自分の答えを口に出して相手のそれを叩きのめせばいいんですね!

とあるフォロワー:「違います

さいむ:「はい

こういうやり取りをしました。如何に当時の私が何も分かっていなかったのか理解して頂いたところで、次回へと続きます。(続)

次回:【第6回】GIVE A REASON(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)

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[記事制作者:さいむ]