『Pokémon GO』と多拠点生活:ファスト風土とポケモン【ほぼ月間デジタルゲーム:よくあるゲーム日記(第1回)】


◆多拠点生活、始めました

今月は僕の人生にとって重大な月となった。タイトルにもある通り、今月から多拠点生活を開始したのである。今僕は、この記事を北海道にある家で書いているし、近々北海道で取材の予定がある。今月の頭には大阪にある〈アレ★Club〉の事務所に泊り、今月末には東京のシェアハウスに行って仕事をする。おそらく、ゲーム関連の仕事で取材が入るはずだ。

「多拠点生活」ときくと、若干取っつき辛いものがある。特定の場所を持たず、様々な拠点を行き来し手仕事をする。そんな僕たちライター、編集者、記者、ジャーナリスト……etcといった名前を自称する物書き界隈では何となく意識されてきたライフスタイルだ。この言葉には若干イケダハヤト的な文脈に近かしいものを感じる。要は「Buzzる」生活様式の文脈に属している言葉だと認知されているように思う。

だが僕は「意識の低い多拠点生活」を掲げ、この生活をスタートした。要するに、「仕方がなく」多拠点生活を開始したわけだ。その辺の経緯は、後日しっかり説明するとしよう。とりあえず、毎週土曜日はゲームの記事を書くことに決めた(ボドゲの連載は止まっているのは、TGS疲れが抜けるのに2週間もかかったからだ。ごめんなさい)。

◆『Pokémon GO』とファスト風土

さて、多拠点生活を始めるにあたって、インストールし直したゲームがある。『Pokémon GO』だ。このゲームに関しては説明は不要だろう。知らない人は検索したほうが早い。
このゲームはリリース直後に数か月プレイして、アンインストールされたゲームだ。当時はまだやりこみ要素と呼べるものが少なく、ただポケモンを捕まえるだけのゲームに過ぎなかった。しかし、現在ではレイドバトルなどの要素が追加され、ゲーム性が増した。それに、多拠点生活を始めて移動が多くなれば当然出会えるポケモンも、孵化できるタマゴの数も増える。その土地の人の集まる場所はジムに設定されやすいし、ポケスポットを回ればその町のマップは何となく把握できるだろうという考えもあった。そんなわけで、『Pokémon GO』と多拠点生活は相性がいい、というわけだ。

さて、今月はいろいろな場所に行ったが、『Pokémon GO』をやっていると田舎に行くほどジムが駅とイオンしかなくなっていく、みたいな現象を体感することになる。数年前に叫ばれた「ファスト風土化」のようなものを実感する。シャッター外の先を進むとそこにはイオンがあるわけだが、『Pokémon GO』を通してみるとシャッター外にあるマンホールがポケスポット化され、その先にはジムに設定されたイオンがあるという構図になる。
もちろん、イオンには人が集まるので、周囲にはトレーナーが集まり、レイドバトルを楽しんでいる。筆者も、イオンで『Pokémon GO』をきっかけに女子高生と会話をするというイベントを体験することができた。

『Pokémon GO』は以前から「文脈を増やすゲーム」と語られてきた。普段の風景や行動に新たな意味を付け加え、時にそれがコミュニケーションを生じさせる。通学路や登山がゲームになり、イオンは不特定多数がポケモンバトルをする場所に代わる。

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◆Pokémon GOが見せる世界

「ファスト風土化」に関しては様々な議論があるし僕自身、本書の中で語られている否定的な意見は一面的過ぎると思っている。しかし、地方の商業施設の均一化という議論に関しては間違いないだろう。その均一化された地方にPokémon GOという新しい文脈が、それも世界中で共有されているものが投下されたとき、そこに生まれるものは何か?  均一化された消費・コミュニケーションなのか、Pokémon GOがきっかけで起きるその場所特有の何かなのか。

もう一点、都市と地方の格差をPokémon GOでも体感することになる。現実とゲームの境が曖昧になっていけばいくほど、都市と地方の格差はより広がるのではないかと改めて思った。都市に集約されたインフラと、それから疎外された地方という構図を、数年先にPokémon GOが見せてくれたのかもしれない。

と、頭でっかちにものを考えさせてくれるのもPokémon GOの魅力の一つだと、女子高生のボスゴドラにボコボコにされながら考えていた。彼女、強すぎないか?

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[記事作成者:堀江くらは]