〈アレ★Club〉×〈浅草橋ブレッドボード〉共催 『コミュニティと場づくりの、その先を考える、ワークショップ(ゲスト:アサダワタル)』 イベントレポート


先日1月11日(金)、イベント駆動型シェアハウス〈浅草橋ブレッドボード〉にて、〈アレ★Club〉×〈浅草橋ブレッドボード〉共催「コミュニティと場づくりの、その先を考える、ワークショップ(ゲスト:アサダワタル)」を開催しました。今回のワークショップでは当会〈アレ★Club〉メンバーの「みく」の進行の元、文化活動家のアサダワタル氏を交え、集まった参加者全員で「コミュニティと場づくりの、その先を考える」というテーマについて、キムチ鍋を突きながら活発なディスカッションを行いました。

アサダワタルさんは「表現による謎の世直し」をテーマに、音楽とコミュニティを紐づける様々な活動を各地でされている方で、近著である『想起の音楽:表現・記憶・コミュニティ』(2018,水曜社)を出版された際にはインタビューもさせていただきましたこの他、当会では『アレ』Vol.3でもアサダワタルさんにインタビューをさせていただいております。

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今回のワークショップのテーマとなった「コミュニティと場づくりの、その先を考える」という問題意識は、契約上遠くないうちに寿命を終えることとなるシェアハウス〈浅草橋ブレッドボード〉の共同管理人であり、当会のメンバーでもある「みく」の「物理的な場の消滅を超えて、その場で生まれたコンセプトや想いを伝えていくにはどうすればいいのか」という疑問から生まれたものです(詳細はコチラ

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イベントは、アサダワタルさんのこれまでを振り返る自己紹介から始まりました。そこでは、アサダワタルさんが関わってきた様々なシェアハウスと参加者との思わぬ繋がりが明らかになるなどのハプニング(?)などがあり、会場から笑い声が湧き上がる場面もありました。また、このイベントレポートを書いている私(市川)としても、アサダワタルさんがこれまで様々な場所で様々な人の暮らしに寄り添いつつも、それを生き生きと組み替えてきていたのだということを具体的に学びなおす良い機会となりました。

アサダワタルさんの自己紹介の後は、参加者それぞれの自己紹介がありました。〈浅草橋ブレッドボード〉に頻繁にいらっしゃる、いわば〈浅草橋ブレッドボード〉のコミュニティの一員であるような方もいれば、それほど頻繁に〈浅草橋ブレッドボード〉にはいらっしゃらないような人もおり、そのそれぞれの中にも本を出版されている方、アクティビストの方、大学院生の方などの様々な方がいらっしゃいました。

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参加者の特徴からパワーワードを主に拾った図

当会からも『アレ』編集長の堀江くらはを筆頭として、市川やさいむが自己紹介を兼ねて『アレ』のお話もさせていただきました。

『アレ』が目指しているのは一言で言えば「日常と知を結びつける」ことといえるでしょう。これは、見落としてしまうような具体的な日常の一コマと、普遍的で抽象度の高い学問的な知との間を往還することで、その両者をアップデートしていくということを意味しています。今回も、「物理的な場の消滅を超えて、その場で生まれたコンセプトや想いを伝えていくにはどうすればいいのか」という問いに対して、〈浅草橋ブレッドボード〉を始めとした参加者一人一人が関わってきた場での経験という具体的な日常と、組織論や哲学などの抽象的な知とを突き合せた白熱しつつも爆笑も起こる議論が起こりました。

今回のワークショップが終わった後、参加者の皆様がそれぞれ何か「持ち帰ったモノ」があったようで、共催という形で関わらせていただけたことを嬉しく思っております。

当会では今後も、このような参加者もアクティブに議論に関わることができるイベントを東京で打ち出していきたいと考えております。引き続きいくつかの企画が進行中ですので、今後ともよろしくお願いをいたします。ちなみに、今回のようなワークショップは随時さらなる洗練を組み込みつつ行っていく予定ですので、企画が固まり次第、本サイト「お知らせ」のページでご報告いたします。

【付録】
ここではイベントに参加されなかった方にワークショップの雰囲気を少しでも伝えるために、私なりに今回のワークショップで出た議論の展開を以下で簡単に紹介したいと思います(私なりの要約ですので、要約に間違いがあった場合は責任は私にあります)。

まず、自己紹介が終わってから最初にアサダワタルさんから「コミュニティ」という言葉がとても定義を与えられないような多様な意味を持ってしまうものであるという点と、コミュニティ自体もメンバー編成や置かれた状況といった条件によって千差万別となるという点が指摘されました。そして、個別的な場がバラバラに存在する半ば無秩序な状態であるにも関わらず、コミュニティが伝染的に広まることがある原因には二つのパターンがあるのではないかという意見が出ました。まず第一に、その場が持つ「熱気」や「感動」に触発されて「自分もやってみたい」と思うようになるパターン。第二に、個々人が抱える社会とのズレなどの「切実さ」によって不可避にコミュニティが形成されるパターンです。

このうち第二のパターンについて、確かに切実さは人を動かす強力な力があるものの、切実さにフォーカスしすぎてもステレオタイプに囚われてしまったり、切実さのブレイクダウンを突き詰めるだけでは細分化されたタグ付けに今度は囚われてしまう危険性があるということがアサダワタルさんから指摘されました。その上で、切実さが「日常に存在する何の意味もないような断片」を場に導入することでリフレーミングされて解決されるケースもあることや、そうしたリフレーミングの題材としてご著書の『表現のたね』を使ってみてほしいといったお話がありました。

また、コミュニティが形成された後についても、先の第一のケースのような「熱気」や「感動」を如何に外に伝えるかという問いと、「外部の人から見て居心地の良い場とは何か?」という問いが持ち上がりました。こうした外部からの視点についての問いに関連して、参加者から「過度にコミュニティのメンバーがまとまり過ぎていると外部の人が関わりづらくなる」といった指摘がありました。この指摘に対してアサダワタルさんも、ご自身が経験された「一人のリーダーの元でまとまっている、内部は極めて親密だが少し落ち着かない場」と「二人の性質が異なるリーダーがぶつかりあっている、居心地がより良い場」の話をされました。それを踏まえて私の方から「視点が異なるリーダーが複数いると、その意見が食い違う論点についてメンバーが安心して考えられるようになるのではないか」「リーダーが一人の場合では『自分が間違っているのかも』と思うような論点を、論点として認識しやすくなるのではないか」という意見をスクラム開発の事例を紹介しつつ提示しました。

この「複数のリーダーの存在」が生む効果については参加者の間でも様々な経験があったようで、四人の性質が異なるリーダーが存在する場での経験を持つ参加者から、「より対立軸が明確になるようなリーダーの選び方を論点ごとに行うと良い」といったノウハウの共有があったり、〈浅草橋ブレッドボード〉自体が「機能性に重点を置いたリーダー」と「場を緩ませることに重点を置いたリーダー」の二人体制が中心となっていることが再確認されました。

また、この複数のリーダー同士の対立を起点として発生する場の熱気について、どのようにすればそれが外部を感化させられるような魅力的なものとなるのかについても議論となりました。この議論についても、参加者より「協力すれば素晴らしいことを達成できるという確信があること」や「自分が本当にやりたいことを正直にさらけ出すこと」などの様々な意見が出て、果ては「みく」の人生相談の様相を呈しつつも、彼自身が「こんなに人生の主役になったことはなかった」と言い出すような爆笑と熱狂と共に、イベント終了となりました。

議事進行などの点で反省点もあるのですが、参加者それぞれから意見を引き出しつつ、ゲストとしてお呼びしたアサダワタルさんが居てこその実りあるワークショップが出来たと私は感じております。次回はもっとゲストと参加者と当会メンバーの持つ良い素材を引き出せるワークショップを目指したいと思います。

[記事作成者:市川遊佐]