【第1回】近世後期の新宗教と民衆思想の概説(日本人の「勤勉さ」と近世後期の新宗教)


◆はじめに:「勤勉」神話の起源を求めて

日本人は勤勉であるとしばしば言われる。日本人にとって馴染みのある「過労死」という単語が英語ではそのまま「karoshi」と翻訳される点や、サービス残業や長時間勤務といった労働問題がありふれた現象となっている点を考慮すれば、たしかに日本人は勤勉すぎるくらい勤勉なのかもしれない。

しかし、なぜ日本人はそれほどまでに頑張ってしまうのか。そのような問いを持つ人は、今現在の日本の現状を生み出した原因を考えて、バブル崩壊後の不況や従業員に過重労働を強いる「ブラック企業」の蔓延といった社会状況に思い当たることが多いのではないかと思う。

だが筆者が考えるに、その根本的な原因は過去の歴史のなかに求められなければならない。というのも、私たちは古代から現代に至るまで連綿と続いてきた歴史的文脈において蓄積されてきた精神文化に強く影響を受けた行動をしてしまうからである。

現代の問題にどのような歴史的背景があるのかを知ることは、自由意志によって自分は動いていると思い込みがちな私たちを裏でひそかに動かしている巨大な力について知ることだ。言い換えれば、昔の私たちの心性について知るということは、今の私たちの心性の起源を知るということに他ならないのである。そのような心性の起源を知ることなしには、今の私たちの日常的な行動原理は十分には対象化されえないし、反省される余地も当然発生しえないだろう。

この連載では、そのような「温故知新」的な狙いの下で日本人の「勤勉さ」の起源を浮き彫りにすべく、近世後期(具体的には18世紀から19世紀中頃まで)の新宗教の登場と発展について考えていきたい。ここで新宗教を取り上げると言うと、宗教心を特に持たない多くの人は驚くかもしれない。しかし、新宗教に着目することで、勤勉な人々が支持する思想がどのようなものでありえるかを考察することができ、ひいては日本の民衆の思想についての考察の幅を広げることもできるのだ。そうした作業を始めるにあたって第一回である今回は、勤勉革命や新宗教に関する著作をざっくりと概観したい。

◆勤勉革命と自立した経営主体としての農民家族

勤勉革命とは経済学者の速水融によって提唱された概念であり、江戸時代の農村部において起きた労働形態の革命である(※1)。この江戸時代では、経済社会化された西洋世界において生じた人力以外のエネルギーを導入して労働節約を行う工業化が発生せず、むしろ、それまで家畜のエネルギーによって遂行されていた農作業を人間が行うという勤勉革命が起きた。勤勉革命の背景として重要なのが、江戸時代に農業の担い手が自立したという点である。

江戸時代以前の農業において、労働力は、身分的隷属性の高い譜代下人、あるいは長年季奉公人というような、大部分は家族を形成せずに生涯を独身で送るような人々によって担われていた。しかし、そうした労働力を使うかぎり、数限られた土地の利用はどうしても粗放的にならざるをえなかった。つまり、隷属性の高い労働者は、積極的な労働意欲を持たず、また自身で判断して行動することを立場上抑制されざるをえないため、みずからの仕事に創意工夫を施し、より質の高い仕事を行おうとすることがないと考えられるのだ。そうした労働力を使うかぎり、農耕地のポテンシャルを十分に引き出すことはできない。

こうした状況が、土地面積あたりの生産量を増大させるにあたって変わっていくことになる。すなわち、農業の労働力は次第に夫婦家族を単位とする家族に担われるようになっていったのだ。要するに、江戸時代において農業は「身分上の理由から労働をさせられていた人々が行うもの」から、「自立した経営主体としての農民家族が行うもの」となったのである。そのようにして、農業の主体は自立した存在、ひいては自身の生活に責任を負う存在となったのだった。

また、江戸時代の日本では、貨幣が全国の全階層に普及することで、貨幣を通じた、身分を超えたコミュニケーションが広く行われるようになった。速水の言葉で言えば「経済社会化」が進展したのである。この経済社会化によって、農民の従来の生産目的である「年貢と自給」に「販売」が加わったのであるが、そのことは農民に生産量の増大や生産物の質の向上に向けて生産技術を改善するよう刺激を与えたのだった。そして、日本の農業技術は労働生産を上昇させる資本を増大させる方向ではなく、むしろ家畜という資本の比率を減少させ、人間の労働に依存する方向へと発展していった。耕耘(こううん)は家畜を動力源とする旧型の犂から人間を動力源とする鍬や鋤に代わり、また肥料の多投は除草という作業を増やすと同時に、その購入資金を獲得するために農閑期に副業をすることを農民に強いた。

速水が指摘している範疇ではあるが、以上のような農業の主体の自立と膨大な労働が当時の民衆に勤勉を美徳とさせていったことは想像に難くない。というのも、自身の生活に責任を負わなければならない状況と、農作業を行う人間に大量の労働を強いる当時の農法は、当時の日本の民衆にある種の環境として立ち現われ、無責任で怠け者の、いわば「不真面目で頑張れない」人々を農村から脱落させていったと考えられるからである。以上のことを踏まえれば、現在の長時間労働問題の源流の一つには江戸時代の勤勉革命があると言えるのではないだろうか。

◆働けど働けど我が暮らし楽にならず……どうすればいいんだ!

農業の主体は江戸時代に自立し、自身の生活に責任を負うようになったが、そうした自立が彼らに伸び伸びとした「自由な生活」をもたらしたわけではなかったことは上述した通りだ。しかも、その状況は近世後期からは益々厳しいものになっていくのである。というのも、近世後期からは、封建権力と商業高利貸資本による苛酷な収奪が行われていたせいで荒廃した村々が大量に出現していたからである(※2)。当時の農民層は、生産力の上昇がピークに達したなかで激化した収奪を受けていたために、貧窮のなかで分解されつつあり、共同体的秩序からも分離されつつあった。例えば、下総国(現在の千葉県北部と茨城県西部あたり)香取郡長部村は、明和年間(1764~1772年)には40軒ほどの家数を有していたが、その頃より金銭を使い果たして離散する家、出奔する家、潰れる家が相次ぎ、天保11年(1840年)には家数は24~5軒まで減少していた。

こうした状況を安丸は、「きわめて多様なこの時代の民衆思想も、実践道徳としてみれば、勤勉・倹約・和合に要約されようが、人々に否応なく思想形成をうながしたのは、こうした徳性を身につけなければただちに自分の家なり村なりが没落してしまうという客観的な事情だった」と言い表している。すなわち、勤勉革命の裏で進行した勤勉・倹約・和合を美徳とする道徳観の普及は、そうした道徳なしには生活していけない事情があってのことだったというわけである。

そのような江戸時代の背景を踏まえ、日本の近世後期に出現した新宗教の発展を考えてみよう。病気や貧乏、不和といった問題を精神に由来するものとして見做した新宗教は、道徳なしには生きていけない人々の事情と共鳴するかたちで出現し、発展した。たとえば、天理教は奈良県の農村の一主婦だった中山みきによって1838年に、金光教は岡山県の農夫だった赤沢文治によって1859年に発祥したが、これらはいずれも江戸時代後半の農村において実際に生活していた当事者を起源とした宗教であり、開祖と同じような農村の人々を対象とする側面を持っていた。そもそも、経済と道徳を結びつける二宮尊徳の教えに影響を受けて幕末期に成立した報徳社運動が貧乏な村落において展開されていたことも含めれば、当時の新宗教だけでなく民衆思想も、困窮した農村の人々の心に訴えかけようとする傾向があったのではないかと筆者には思われる。

そうした傾向を持つ当時の新宗教と民衆思想は、同時並行的に発展していった。天理教と金光教は大阪を中心に、報徳社運動は静岡県を中心に、ともに明治10年代後半から20年代初頭にかけて急速に発展した。というのも、当時行われていた経済政策、すなわち西南戦争による戦費調達から生じたインフレーションに対して行われた松方デフレという緊縮財政が、当時の農民たちに経済的な苦境を与えており、そのなかで人々は自分たちの苦難を克服するための原理を求めざるをえなかったからだ。つまり、19世紀に成立した新宗教は、勤勉革命を通して勤勉・倹約・和合といった道徳観を獲得した人々の苦難を背景に、そうした苦難とどのように向き合うべきかを教えるものとして発展したのである。

◆まとめ

以上をまとめると、日本の農民層は勤勉革命の時期に自立を果たすと同時にみずからの生活に責任を負う主体となったのであるが、それと同時に膨大な作業量を農業に費やさなければならなくなり、勤勉さという道徳に価値を認め、それを獲得せざるをえなくなった。しかし、近世後期からは外的な状況によって貧困を味わうことが多くなり、そのなかで病気や貧乏や不和といった問題に直面せざるをえなくなっていった。そこで彼らは新宗教の中に苦難に対処する術を求めていったのである。そして、その新宗教は明治期に発展を遂げ、日本の近代史のなかに名を残したと同時に、現在にまで存続している。

このような新宗教についてその歴史との関わり合いを次回から見ていくことで――例え私たち個人がそこで扱われる新宗教とは直接の関係がなかったとしても――日本人の「勤勉」神話の性質を理解し、ひいては解体あるいは乗り越えていくヒントを探してみようというのが、この連載の狙いである。(続)

次回:【第2回】小沢浩『生き神の思想史』について(日本人の「勤勉さ」と近世後期の新宗教)

【註釈】
※1
速水融,2003,『近世日本の経済社会』麗澤大学出版会.

※2
安丸良夫,1974,『日本の近代化と民衆思想』青木書店.

【執筆者プロフィール】
竹宮猿麿(Sarumaro TAKEMIYA,@supply1350
1994年生まれ。同人サークル〈抒情歌〉所属。サークルでは機関誌『GRATIA』を年2回発行し、文学フリマ東京を中心に頒布している。最近の十代の若者がどのようなサブカルチャーに触れてどのような感情を催しているのかに関心を持っている。