【第2回】小沢浩『生き神の思想史』について(日本人の「勤勉さ」と近世後期の新宗教)

前回:【第1回】近世後期の新宗教と民衆思想の概説(日本人の「勤勉さ」と近世後期の新宗教)

◆前回の内容と今回のテーマ

前回、筆者は安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』(青木書店 1974年9月)を通し、江戸時代の勤勉革命を通して勤勉さや倹約、和合といった道徳観を獲得していった人々の間で、江戸時代末期からの苦難を背景に新宗教が発展していったことについて言及した。たとえば、明治10年代から20年代にかけて行われていた松方デフレという緊縮財政が当時の農民たちに経済的な苦境を与えており、そのなかで人々が自分たちの苦難を克服するための原理を求めざるをえなかったことから、天理教と金光教は大阪を中心に、報徳社運動は静岡県を中心に、ともに急速に発展したのだった。

ところで、勤勉な民衆の道徳観を根底から支えている人間観とはいったいどのようなものであるのだろう。そのことは、勤勉な民衆が支持していた新宗教の人間観について概観することから明らかにできるだろう。つまり、新宗教の思想全体に流れている雰囲気を掴むことによって、当時の勤勉な民衆が持っていた価値観をうかがい知ることができるだろう。

◆勤勉な民衆のネガティブな人間観

上記の問いに対し、ヒントを与えてくれるのが今回取り扱う小沢浩『生き神の思想史』(岩波書店 2010年12月)である。小沢は幕末から明治にかけて成立した新宗教の教祖たち、すなわち「生き神」たちが人間を神のもとで平等に救われる「神の子」として把握しており、そうした「神の子」観の前提には人間を、弱く、欲深く、自分の力では自分の根本的な罪深さを変えることが難しい「罪の子」として見なすような認識があったことを指摘している。

たとえば、如来教の教祖である一尊如来きのは「我々は悪心、夫(引用者註:それ)悪を持て出て参った其我々が身の上なれば(引用者註:我々は悪心である。そもそも、悪を持ってこの世に生まれてきたのが我々の身の上であるから)」と人間存在について説明しており、そこからはキリスト教にも似た「原罪」意識を確認することができる。また、黒住教の教祖である黒住宗忠は「地獄とは思ひなからも去りやらぬ、鬼の心ぞ憐れなり(引用者註:この世を地獄と思いながらも去ることができない、鬼の心は憐れである)」という歌を詠んでおり、人間を「鬼」として、業の深い存在として把握している。加えて、この世の全体性を「獣類(けもの)の世」「暗がりの世」「利己主義(われよし)の世」として把握した、大本教の教祖である出口なおにおいても、その前提には、人間の欲望に対する根源的な罪悪感があり、自身についても、その身に課せられてきた苦労はみずからの「罪の深い霊魂」ゆえのものであるという認識があった。その他、金光教の教祖である金光大神はしばしば「神への無礼」という言葉を用いており、その無礼さえも知ることのできない自分のことをみずから「凡夫」と呼んだ。

こうしたネガティブな自己把握は、日本においては勤勉革命や新宗教成立の時期以前から見ることができ、奇異なものではない。端的な例としては、鎌倉仏教のひとつである浄土真宗の開祖である親鸞においては、自分たちが「凡夫」であり、それゆえに阿弥陀如来による救済を期待しなければならない立場であることが強調されていた。そこにはやはり自分たちを弱い存在として見なす認識を確認することができる。その点では、新宗教の教祖たちが唱えたネガティブな人間観も日本宗教史においては孤立しているものではなく、むしろ鎌倉仏教、ひいては大乗仏教の系譜を引き継いでいるものであると言えるだろう。

つまり、新宗教の教祖たちには人間の有限性を認識する視点があったのであり、「生き神」たちを信じる人々には、自身の有限性を自覚する視点があったのである。そうした有限性の自覚は、人々に自身の内面的な救済への願望を募らせると同時に、それまで既に存在していた「凡夫」観の影響もあり、救済神として「生き神」たちを受容させるための土台にもなったのだと言えるだろう。

◆教祖たちを生み出した精神的・肉体的痛苦

このような「生き神」である教祖たちが出現した背景についても、小沢は記している。少し長くなるが、端的に「生き神」が出現した背景について記してあるので、ここに引用しよう。小沢は「一見突発的にみえるかれらの神がかりには、決して偶然とはいえない深い動機と、そこにいたるまでの長い精神の葛藤の歴史があった。まず、かれらの神がかりの直接の契機として例外なくみられるのは、自身あるいは家族の病気や死であるが、いわゆる老・病・死・苦は、むろんいつの世にあっても信仰への誘いの門である。しかし、かれらの背後には、それだけではなく、その時代に生きたひとびと、とりわけ社会の底辺に生きるひとびとに特有の苦悩が渦巻いていた。(中略)このような時代的苦悩を一身に背負った教祖たちの精神的・肉体的痛苦の彼方に神がかりをみるとき、それが少なくともその精神的重圧からかれらを解き放つ役割を負わされたものであったことは、容易に察知されるであろう。しかし、かれらにおける「不幸」をどのように受けとめたかということであり、その点にこそ彼らの主体が介在している。その意味でとくに重視しなければならないのは、かれらの宗教的環境とのかかわりである。」と書いている。

ここで小沢は、「生き神」である教祖たちもかつては勤勉な民衆のひとりだったのであり、苦痛から解放されようとする過程でかつての自分たちと同じような苦痛を味わう民衆から信仰される「生き神」になっていったのだと述べているわけだ。「生き神」たちが、人間たちと同様の苦しみをかつて味わっていた存在であるということは、経典に書かれるような超越的な存在としての神仏たちとは比べ物にならない共感のしやすさを彼らに付与しているように筆者には思われる。

◆考察:道徳観が内面の発展に与える影響

こうした有限性の自覚は「罪の子」として自身を否定することにつながるものであったと考えられるが、そうした自己否定を当時の民衆に促したのは、前回においても言及した当時の民衆の経済的困窮だったと考えられる。

だが、そうした自己否定が普及するさらに深い土壌としては、そもそも彼らが勤勉革命の時期に獲得した勤勉さという道徳観そのものがそのような自己否定を要素として含んでいたのではないだろうか。なぜならば、勤勉革命に潜在していた勤勉さというのは、今現在の自分を否定して将来の利益を獲得しようとする性質だとも言えるだろうからである。

そうだとすれば、人間の内面の発展の方向は、経済状況と同様に、事前に社会によって用意された道徳観によって大きな影響を受けるということが言えるだろう。日本では自己否定を促す勤勉さという道徳観が民衆の内面を規定し、彼らに「罪の子」としての自覚をもたらしたが、このような例は海外にも見ることができる。たとえば、マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』によれば、英米やオランダではプロテスタンティズム(特に、禁欲的な傾向を強く持つカルヴァン主義)が民衆に禁欲的な行動原理をもたらし、彼らに節約や貯蓄、より多くの利潤の追求をよしとする内面を形成させた。その結果として近代の資本主義が成立していったことを考えるのであれば、場合によっては道徳観は社会の経済的システムの方向性を決定づけることすらもあると言うこともできるだろう。

◆まとめ:勤勉革命と経済的困窮から、新宗教のネガティブな人間観が生まれた

このように、勤勉革命を通して勤勉さを獲得した民衆には、自分たちを弱く罪深い存在として見なすネガティブな人間観があり、それは自身の有限性を自覚する精神性でもあった。民衆から信仰を獲得した「生き神」たちもまた、有限な人間として苦痛から解放されようとする過程のなかで「生き神」になったのであり、彼らもまた民衆と同じ境遇から出発していたことは注目に値するだろう。そして、以上のことを考えれば、人間の内面の発展は、社会によって事前に用意された道徳観に大きな影響を受けると言うことができるだろう。

ここから、私たちの心性の起源を知ることで私たちの日常的な行動原理をより良く見直すことが出来るようになるという期待を持つことができる。人間の内面は一朝一夕で形作られるものではなく、長い歴史を通して発展するものだからだ。自分のなかにある伝統的な道徳観にも、それがもたらしている現実の行動についても、その背景にはさらに古い時代に起源を持つ考え方があるかもしれないのである。

そうした起源を理解することで、日頃の自分たちの行動についても、比較的簡単に変えられそうな部分と、より根源的なところに絡みついている容易には変えがたい部分とを区別して認識することができ、社会を「内側から」変化させていくことに繋げられるのではないだろうか。そして、そうした反省こそが勤勉な私たちの自己否定の性質をもっとも活かせる道なのではないだろうか。(続)

【執筆者プロフィール】
竹宮猿麿(Sarumaro TAKEMIYA,@supply1350
1994年生まれ。同人サークル〈抒情歌〉所属。サークルでは機関誌『GRATIA』を年2回発行し、文学フリマ東京を中心に頒布している。最近の十代の若者がどのようなサブカルチャーに触れてどのような感情を催しているのかに関心を持っている。