『アダム・スミス』:「神の見えざる手」の正体とは何か?【山下泰春の「入門書」入門(番外編)】


◆アダム・スミスという思想家について

「古典派経済学」の父と名高いアダム・スミス(1723~1790)は、極めて数多くの誤解・誤読に晒されてきた人物の一人だ。その一例が「神の見えざる手」という、彼の思想を端的に表現する言葉に詰まっている。その言葉は一般的に「価格機構」ないしは「市場メカニズム」と解釈され、その後のミクロ経済学の主要な理論へと繋がっていった。つまり、各人が私的な利益を追求すれば「見えざる手」が社会に善をもたらすというのが、通俗的なスミス思想の理解である。

だが、既に数多くの研究者が指摘しているように、アダム・スミスはその言葉をたった三回しか使用しておらず(さらに言えば、スミス自身は「神の」という言葉を書き記していない)、それも彼の生前に発表された著作である『道徳感情論』(1759)および『国富論』(1776)でそれぞれ一回ずつ、そしてスミスの死後、彼の友人で化学者のジョセフ・ブラックおよび地質学者のジェイムス・ハットンによって公開された『哲学論文集』のうちの「天文学史」においてのみである。この「天文学史」については後で触れるとして、言わばたった三度しか使われていないこのスミスの「見えざる手」を、私たちを含む後世の人々(特に経済学者)は捏ねくり回してきたのである。

そして、日本の入門書レベルで、この「見えざる手」について詳細に書き記したものは、残念ながら「ない」と言うより仕方がないのが現状だ。とは言え、日本のアダム・スミス研究は明治期から行われていたこともあり、極めて水準が高く、どの入門書を読んでも一定の知識・理解を得ることができる。そうした意味では、あえて高島善哉『アダム・スミス』(1968年初版,岩波書店)を読んでみてもいいかもしれない。およそ半世紀以上前に書かれたこの書の時点から、私たち(を含む社会全体)は一体どの程度変化し、あるいは変わっていないのかを振り返るためのいい材料になるだろう。この書だけでも、アダム・スミスの思想の勘所を抑えることができるし、一般に「レッセ・フェール(=自由放任)」の始祖として考えられていたスミス像を喝破してくれることだろう。

◆「見えざる手」とは何か?

では、改めてスミスの「見えざる手」とは何か。それについて述べる前に、まずは「見えざる手」についての研究状況を見てみよう。オーストラリアの歴史家であるピーター・ハリソンは、「アダム・スミスと見えざる手の歴史」(2011)という論文の冒頭で、「スミスの『見えざる手』ほど注目された表現は思想史の中ではほとんど存在せず、この表現を取り上げた二次的な文献は数多く存在している」にもかかわらず、「スミスがこの表現を用いたときに何を意図していたのか、あるいはスミスの思想の中でどのような役割を果たしたのかについては、合意が得られていない」と述べている(Harrison 2011: 29)。その上で、ハリソンは「見えざる手」についての背景を探究し、一定の視座を示した。

結局のところ、「見えざる手」とは何か。あえて一言で言えば、それは「自然の摂理を説明するための単なる比喩」以上のものではない、というのが筆者の結論だ。ハリソンによれば、「見えざる手」はスミス自身が考案した言葉でもなければ、広めた言葉でもなかった。その証拠としてハリソンは「見えざる手」という語が、17世紀以降によく見られるようになった表現であり、文学作品などでも登場するようになったと述べている(その最も有名な例が、シェイクスピアの『マクベス』(1606)であると彼は述べている)。それ以前では、例えばギリシア教父とよばれる神学者の一人で、アレクサンドリア学派のオリゲネスによる旧約聖書についての註釈や、聖アウグスティヌスの『嘘をつくことに反対する』(420)においてなど、主に神学的なモチーフとして使われていたことを指摘している(Harrison 2011: 32)。そして、17世紀以降は神の摂理としての「見えざる手」という表現が明確に、次の二つのパターンで使われるようになっていったのだという。

一つは、神が自らの目的を達成するために、人間の行動を微妙に変化させる方法を指す言葉として用いられていた。つまり、人間は「神の見えざる手」に動かされて、知らず知らずのうちに、神の思いのままになっているということを表現するためのモチーフである。そしてもう一つは、「自然界を指揮する」という意味においてであった。その場合、人間は生き物の仕組みや、自然の法則によって証明された知恵や洞察においてそれを垣間見ることができた。その後ハリソンは、こうした背景のためにスミスは「見えざる手」という表現を用いたのであり、さらにスミス自身がたった三回しか、さらに何の註釈も加えていないということから、この表現が極めて一般的なものであり、伝統的な神学的意味合いを持たせることを意図していたと結論付けている(Harrison 2011: 46)。

したがって、「神の見えざる手」という表現はある程度正しかったと言えるだろう。だが、そこで問題となるのはその神の内実だ。ハリソン自身は「見えざる手」の分析の結果、スミスが決して信仰心の篤い人物だったかどうかは分からないが、上述した二つのパターンのどちらともとれるような表現をしていたということが分かったという、極めて穏当な結論を導き出している(Harrison 2011: 47)。だが同時に、現代の「見えざる手」解釈では、前者のパターン、つまり神権を強調した形(=カルヴァン主義)でなされるきらいがあることに注意を促してもいる。筆者としては、スミスの生きた時代状況を考えると後者の理解、つまり「自然界を指揮する」という意味での神を念頭に「見えざる手」という表現を用いたのではないかと思われる。その根拠として、最後にスミスの初期著作である「天文学史」について見ていこう。

◆スミスの「天文学史」

まず断っておかなければならないのが、「天文学史」の正式な表題は「哲学的研究を導き指導する諸原理――天文学の歴史による例証(The Principles which Lead and Direct Philosophical Enquiries Illustrated by the History of Astronomy)」といい、単純な天文学史というよりは、人間精神の探究に主眼が置かれた論考であり、それも理性ではなく「感情(驚愕、驚異、驚嘆)」を起源とする学問論である。スミスは結局これを完成させることはなかったものの、1773年に彼の友人である哲学者のデイヴィッド・ヒュームに宛てた手紙では、それを「デカルトの時代までに次々と流行した天文学系の歴史を収めた偉大な著作の断片」(Smith 1976-1983: VI 168)であると述べていることからも、この「天文学史」を重視していることは間違いないだろう。

「デカルトの時代まで」とスミスは述べているが、実際に「天文学史」を繙いてみるとニュートンの万有引力まで触れられており、スミスの伝記を記したI.S.ロスによれば、1748年に発表されたスコットランドの数学者コリン・マクローリンの『サー・アイザック・ニュートン』までの科学文献を検討しており、コペルニクスからニュートンまでの天文学について精通していたことを記している(Ross 2010: 97)。ただし、現代では彼がニュートンの業績を完全に理解していたかどうかは怪しいものの、スミスがニュートンを高く評価し、自然科学の手法を自らの哲学的原理に取り入れようとしていたことは事実である(水田 1997: 31-4)。例えばスミスは次のように述べている。

哲学とは、自然の結合原理の科学である。……哲学は、これら全てのばらばらな対象を束ねる見えない鎖(invisible chains)を示すことで、混乱と不調和に満ちた諸現象のカオスの中に秩序を導入し、想像力の乱れを静め、そして想像力が宇宙の大回転を捉える場合には、それ自身のうちに最も快適で、その性質に最も適した平穏と落ち着きの調子を取り戻そうと尽力する。したがって、哲学とは想像力に訴えかける学芸(arts)の一つであり、その理論と歴史は、それゆえに私たちの主題の範囲内に適切に収められると思われる。(Smith 1976-1983: III 45-6)

こうした点に、私たちは社会科学と自然科学の結節点としてのアダム・スミス像というものを捉えることができるかもしれない(註1)。実際、この「天文学史」は学問体系変革論という観点から、科学哲学者のトーマス・クーンが提唱した「パラダイムシフト」の先駆けと言われたりもしているようだ(水田 1997: 33)。最近の学問においては「文理融合」や「分野横断性」が盛んに叫ばれているが、その参照点としてアダム・スミスは非常に面白い人物と言えるのではないだろうか。分からないことを調べる上で、特定の学問の見地に立つことは非常に有益だが、他分野との連携や協力によって、はじめて未知なる現象に立ち向かうことができるのではないだろうか。

◆はしがき

最初はアダム・スミスに関する優れた入門書を紹介するつもりが、彼の「見えざる手」について調べるうちにかなり書き込んでしまった。ここではさらなる読書案内として、アダム・スミスを知る上で役に立つ本をいくつか紹介しておきたい。

①ケネス・ラックス『アダム・スミスの失敗――なぜ経済学にはモラルがないのか』(田中秀臣(訳),1990=1996,草思社)

「失敗」とタイトルにあるが、正確にはアダム・スミスの誤読の連鎖によって経済学という学問がいかに駄目になったか、ということについて書いた本であり、いわゆるトンデモ本に見えるかもしれないが、そんなことは全くない。同書は、アダム・スミスの影響関係を整理し、誤読を招いたスミスの表現を指摘した上で、慈愛心に基づく経済を打ち立てるべきだと主張したものである(著者のラックスは、ヒューマニスティック・エコノミクスなる学問を提唱した人物の一人だ)。ヒューマニスティック・エコノミクスの主軸は、心理学と経済学の融合という点にあり、そうした意味では、現代の行動経済学に繋がる議論かもしれない(事実、行動経済学も1990年以降に急速に認知度を高めていった学問である)。古本屋で見かけたら購入することをオススメする。

②水田洋『アダム・スミス――自由主義とは何か』(1997,講談社)

既に何度か参照にしている点が多いが、アダム・スミスの伝記的な側面を知る上ではかなり有効なため、高島のものが古すぎると思われる方はこちらでもいい(また、スミス自身が著書であると考えた『道徳感情論』については堂目のものが良いが、全体像を掴む上では個人的には水田のものをすすめる)。ただし、思想的交流という点から見た場合、上記のラックスの著作の方が、単行本という形式もあり内容が豊富であるため、併せて読む方がいいだろう。とはいえ、いずれにせよ通俗的なアダム・スミス理解については、この記事で挙げた書物が、それぞれ三者三様に喝破してくれることは保証できる。

【註釈】
(註1)なお、この記事の冒頭で「天文学史」に「見えざる手」が登場すると述べたが、ここにおける「見えざる手」とは「ユーピテルの見えざる手」という語として登場し、科学がまだ未発達だった時代の無知な人々が、自然界の不規則な出来事を説明するために用いられたもので(Macfie 1971)、「天文学史」においてはネガティブなものとして語られる「見えざる手」であり、ハリソンは他の著作における「見えざる手」とは無関係であると見なしている(Harrison 2011: 45)。

【参考文献】
・高島善哉,[1968]1978,『アダム・スミス』岩波書店.
・水田洋,1997,『アダム・スミス――自由主義とは何か』講談社.
・堂目卓生,2008,『アダム・スミス――『道徳感情論』と『国富論』の世界』中央公論社.
・Harrison, Peter, 2011, “Adam Smith and the History of the Invisible Hand,” in: Journal of the History of Ideas, Vol. 72, Number 1, Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 29-49.
・Macfie, Alec, 1971, “The Invisible Hand of Jupiter,” in: Journal of the History of Ideas, Vol. 32, Number 4, Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 595-9.
・Ross, I. Simpson, 2010, The Life of Adam Smith, Second Edition, Oxford and New York: Oxford University Press.
・Smith, Adam, 1976-1983, The Glasgow Edition of the Works and Correspondence of Adam Smith, commissioned by the University of Glasgow to celebrate the bicentenary of the Wealth of Nations, Clarendon Press, Oxford. 6 vols. in 7, with 2 associated vols.

[記事作成者:山下泰春]