第八回文学フリマ大阪レポート:『彰往テレスコープ』Vol.1を読む


◆コロナと台風

2020年9月6日()、コロナ禍が未だ終息の兆しを見せない中、さらには台風10号の接近も懸念される中、第八回文学フリマ大阪が開催された。文学フリマ事務局の方々の尽力もあり、何とか無事にイベントは終えることができた。

体感ではおよそ半分近くの出店者が自主的に参加を辞退していたが、当会では感染症対策としてアクリルパーテーションやハンドジェルなどを持参し、見本誌もクリアカバーを付けた上で随時消毒を行うなど、対策を徹底した上で参加した。

一方の参加者については、こちらも体感では約1割減といった感じではあったが、基本的にそこまで大きな変化はなかったように思う。私(山下)が会場に赴いたのは午後からであったが、幸いにも当会の周囲のブースに関しては、それなりに切れ目なく参加者が足を運んでくださっている様子が伺えた。

文フリ大阪の開催概要にも書かれているように、感染症対策はイベント全体を通して行われていた。そして目下のところ、イベント参加者の内からクラスターが発生しているということもなく、ひとまず無事にイベントは終了したと言ってもいいだろう。

こうして無事にイベントを終えることができたのも、ひとえに文フリ事務局の方々をはじめ、出店者そして参加者の方々の多大な努力があったためなのは間違いない。この場を借りてではあるが、今回イベントに関わってくれた方々全員に感謝の意を述べるとともに、今後も文学フリマが無事に開催されることを、一参加者として祈願していることを記しておきたい。

さて、今回はそんな文フリ大阪で発見した面白い同人誌についても触れようと思う。というのも、こうしたイベントというものは、得てして参加者数や出店者数などの数的な基準で語られがちだが、そうではない質的な水準の高さを例示しておくことで、イベントの「成功/失敗」という単純な二分法を退ける語り口になるからだ。以下で詳述する、編集代表が若干18歳という若さで作られた『彰往テレスコープ』という歴史系同人誌は、今号が創刊号でありながらも、極めて先鋭的な雑誌であった。

◆『彰往テレスコープ』について

まずは巻頭言を見てみると、「彰往」とは、古代中国の歴史家である左丘明(生没年不明)が記したとされている、『春秋左氏伝』という歴史書の序にある「彰往考来(=過去をあきらかにして未来を考える)」という語に、「テレスコープ」は本居宣長の『古今集遠鏡』の総論にある「遠鏡(=望遠鏡)」という語にそれぞれ由来していることが書かれている。つまり『彰往テレスコープ』という雑誌名は、「(一見遠いと考えられている)過去をあきらかにするための望遠鏡である」ことを自らの使命としていることが伺える。

さらに敷衍すればこの雑誌は、現代からはぼんやりとしか見られない遠い歴史という景色を、望遠鏡を使って見ることで詳細に知り、その遠い景色が私たちの生活と地続きにあることを実感するための装置であると言えるだろう。実際、この雑誌は「博物館」であることをコンセプトにしている。私たちが普段、博物館に入って遠い過去の出来事を知るように、『彰往テレスコープ』を読むことで、私たちは身近な物事の過去について眺めることができる。

また、博物館というコンセプト通り、雑誌の目次には「企画展示」と「常設展示」と題された二つのグループに分かれている。前者がいわゆる「特集記事」に、後者が「一般記事」にそれぞれあたるものである。そしてVol.1の「企画展示」では、角南隆(1887~1980)という建築家に着目しており、彼が行った神社設計にまつわる歴史が「展示」されている。そこではまず「入口」と題されたイントロダクション、次に「第一展示室」として角南以前の建築家について、そして「第二展示室」として角南の建築思想について、最後に「屋外展示」として角南が設計に携わった神社および編集代表である惟宗ユキ氏の解説が付されている。

◆角南隆という建築家

正直に言って、私は建築学や神社は完全に分野外の人間ということもあって、角南隆という人物であったり、彼の思想や建造物であったりについては、この雑誌を通じて初めて知った。以前『アレ』Vol.3で私および市川が、建築家の塚本由晴先生にインタビューを行ったことはあったが、同氏は神社などの(広い意味での)公共施設ではなく、家を建てる建築家であり、そしてインタビュー自体も「建築のふるまい」やコモナリティーという観点から伺ったものであったため、やはり全くの門外漢であることに変わりはない。そうしたこともあり、角南隆という建築家について今ここで自説を展開しようというような気にはとてもなれない。

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とはいえ、角南隆が行った神社建築および彼の思想については極めて示唆的なものが得られることは確かだ。例えば塚本氏が「建物」の共有可能性を考える上で有効だと捉えた「ヴァナキュラー建築」について述べた箇所は、極めて角南の思想と照応していると言えるだろう。その点について角南は神社を建立する際、神社がその土地土地の人々の生活に寄り添ったものでなければならず、むしろそうでなければ人々が神社に参拝し、信仰を維持していくことは不可能であるとすら考えていた。

今述べたことは言い換えれば、気候や様式などの、その土地土地ごとに宿る固有の「ふるまい」の延長線上にこそ、伝統と現代性とが合わさる地点があるということであると言える。そして、そうした彼の姿勢は、国内のみならず海外で神社を造営する場合であっても変わらなかった。しかし、当時の日本軍や行政の関係者には受け入れられることはなく、結局角南が建てた海外神社の殆どは終戦後には取り壊されたり、あるいは焼き払われてしまった。

要約すれば、角南隆という建築家は、今でこそよく耳にするような「伝統と現代の融合」といった考えを、当時最も先進的に考え抜いていた人物かもしれない。そこには、彼自身が傾倒していた独自の神道観(角南神道とも言われる)や、実用性という観点、そして土着性志向といった様々な要素が入り混じっているものの、そうした複雑な過去のレンズを通じて現代を今一度見てみることで、今あるものの「真の新しさ」について考えられるようになるのではないだろうか。『彰テレ』は、いわば「角南隆展」を通じて、今当たり前だと思っていることの裏側を見せてくれた。その発見を別の新たな発見に繋げるのは、読者自身の役目だろう。

◆まとめ

以上で文フリ大阪レポートおよび『彰テレ』の紹介を終えようと思うが、もちろん『彰テレ』の他にも、今回の文フリ大阪では『生活の批評誌』『SFG』といった魅力的な同人誌が頒布されていた。前者はその名の通り「生活」と「批評」を繋ぎ合わせ、社会に対してゆるやかな抵抗を行う批評系同人誌で、後者は20~30代の若い世代のためのSF情報誌で、両者ともに極めてクオリティが高く、今回紹介はできなかったが「文学フリマ」というイベントの可能性を考える上では外せないものであり、いずれ詳細にレビューしたいと思っている。

最後に繰り返しになるが、今回文フリ大阪が無事に開催できたことは、文フリ事務局および他の出展者、そして何より参加者の皆様のおかげである。どうかコロナ禍がうまく終息し、今後も文学フリマが継続することを、一参加者として祈願している。