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ロルフ・ヤコブセン「君が望むなら」翻訳+解説

今日は3月8日、ノルウェーの詩人ロルフ・ヤコブセンの生誕115周年の日である。遠国ノルウェーのハーマルでは、明後日の3月10日から13日にかけて「ロルフ・ヤコブセンの日」と称された北欧詩祭が開催される(前夜祭は9日から)。私自身はノルウェーには行けないが、現地の実況等が見れるのであれば、それを追っかける予定だ。

ともあれせっかくの生誕祭ということなので、長らく止まっていたロルフ・ヤコブセンの詩を紹介しよう。今回紹介するのは、彼の最後の詩集『何か別のことを考える』より、「君が望むなら」だ。その詩の後半部が、ハーマルにある東広場の壁面に記されていることからも、彼の詩の中でも有名なものの一つに数えていいだろう。

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(Foto: Thomas Andersen)

君が望むなら

君には
ぬくもりがあるか?
君にはあるね。
眠りが、思考が
君にはただで与えられている。
でも君の中のぬくもりは
君が与え
また与えなくちゃいけない。

喜び
という言葉もそう。
君はもう手にしている、
ぬくもりを、
君が望むなら。

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◆解説

極めて率直な詩である。ここでぬくもりと訳した「varm」という語は、英語でいう「warm」にあたり、真心や親切さといった意味合いも含んでいる。詩の冒頭で詩人は「君にはぬくもりがあるか?」と訊ねるが、そうした「ぬくもり」は当然持っているものとして既に想定されている。「眠り」や「思考」が無償で(gratis)出来ることが、その紛れもない証左とされている。そうした「ぬくもり」を持つ君は、その「ぬくもり」、そしてさらに「喜び」を、また別の誰かに与えなくてはならないのだとされる(ちなみに「眠り」という主題は、ヤコブセンの有名な詩「眠るとき」でもある種の特権的な時間として描かれている)。そうして「ぬくもり」の輪を繋げていくことが、私たちの人生の究極の目的、と考えるのは言い過ぎだろうか。

こうした考え方は、「恩送り」に近いと言えるだろう。恩送りとは、誰かから受けた「恩」を、また別の誰かに繋げていくことである。ヤコブセンはそれを「ぬくもり」と言っているが、そうした「恩」や「ぬくもり」は、共に目に見える形でわざわざ与えられるようなものでもない点も類似している。実際、眠りや思考は物ではない。そしてまた、「ぬくもり」も「恩」も、それを望むときには、既に与えられているということも。



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