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「人間の条件」としての地球、そしてロルフ・ヤコブセンの「それは青い―」という詩をめぐって

先月の19日、NASAが2度目の火星探査車を着陸させることに成功し、生命の痕跡を本格的に調査できるようになったことがニュースになった。

NASAは以前にも2012年に火星探査車「キュリオシティ」を着陸させており、またYouTube上ではNASA提供による火星の4K画質の動画が上げられていたりと、近頃は宇宙関連では比較的明るいニュースが見られる。

こうした火星探査の歴史については『アレ』Vol.10の井田茂先生インタビューに詳しいが、同氏はそこで宇宙飛行士の受けたショックについても言及している。

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それはつまり、宇宙飛行士が宇宙に出たことで、初めて「地球にへばりつく人間」という存在について考えるようになった、ということだ。実はそうした発想自体は、1957年にソ連がスプートニク1号を打ち上げるのに成功させて以来あったりはする。哲学者のハンナ・アーレントは主著の一つである『人間の条件』(1958)の書き出しでわざわざその出来事で触れていた。

地球は人間の条件の本性そのものであり、おそらく、人間が努力もせず、人工的装置もなしに動き、呼吸のできる住家であるという点で、宇宙でただ一つのものであろう。(P.11)

牢獄である「地球」から人間を引き離し、それこそ「異形の生」を宇宙に求める姿勢は、ある意味で科学的合理主義の極地であり、人類は人間の条件を(アーレント的には)改変する禁忌に手を染めたのだ、と言いたかったのかもしれない。

ともあれそうした技術の進歩によって、ノルウェーの詩人ロルフ・ヤコブセンは遠近感を手に入れた、と考えた。人類が初めて月面着陸に成功したというニュースが世界中を震撼させた1969年、彼もまたその出来事に由来する詩を書いていた。それが第八詩集『表題(Headlines)』の冒頭の詩「それは青い――」である。

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それは青い―(DEN ER BLÅ — )

―空の青さは
月から見ると、
空色
あらゆる通りの(蒸し暑い)惨めなゲットーも
月から見ると青い
そこはトイレの紐を引っ張るところ
ネズミがゴミの山を飛び越えるところだが
月から見れば青い、
血のように赤いテールライトが犇めく16km
新しい洗剤スーパーXXの爆弾価格も
月から見れば青い、
ソフィー叔母さん、フレドリクスタ橋
君の口、僕の恋人
青い青い
月から見ればみんな同じ
物干し用ロープでウサギのケージを防止して
青青
宇宙を自由に漂い
自力でゆっくりと回転する
空色
空よりも青い
全くの青

人類の進歩を讃えるでもなく、アーレントのように人間の条件が脅かされることを危惧するでもなく、ただ「万物は月から見ると青い」というただそれだけの事実をどこまでも引き伸ばす。この詩人の感性が、今では陳腐なクリシェたる「君の悩みも宇宙規模で考えればちっぽけなものさ」というような台詞を遥かに凌駕していることが伺える。

便所、ネズミが行き交うゴミの山、血のような赤いテールライトが連なる道路といった汚い場所はもちろん、貧困の辛さを示すゲットーや新しい洗剤といった概念的なもの、そして私たちの身近な人や物たち全てを呑みこむ、宇宙から見た青さ。繰り返しその青さが詩行に挟まれることによってテンポが生まれ、より一層青さが強調される。そして最終的に宇宙遊泳を行う宇宙飛行士の視点だろうか、空よりも青い、完全な青(=地球)が描かれる。

元々ヤコブセンは「緑の詩」、つまり自然の景色から文明批判を行う詩を先駆的に書いた人物として描かれることが多いが、むしろ彼は「文明と自然の混淆」を描くことが上手い、と個人的には考えている。ヘーゲル的な意味での「第二の自然」を少し考えれば分かるように、アスファルトや回転ずしすらも既に私たちにとっては自然なものだろう。いずれ紹介する彼の詩「掘削機のある風景」も、文明が一面的に悪と決めつけるのではなく、まさに文明側も被害を被っている様子が描かれていたりする。

本日は3月11日と、またしても陳腐な意味づけに見えるかもしれないが、自然と文明について考えるにあたって、ロルフ・ヤコブセンの詩はその宥和の可能性を考える上ではとても優れた詩人ではないだろうか。

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