【第9回】〈アレ★Club〉と『ぼっち侵略』(前編)(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)


前回:【第8回】覚醒(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)

※注意:今回、記事中にさいむが〈アレ★Club〉のメンバーから投稿原稿の査読を受ける場面がありますが、本稿における〈アレ★Club〉の編集体制は2016年当時のものであり、現在の編集体制とは異なることを、あらかじめご了承ください。

◆「論考」として軸がぶれている

2016年4月、私が『ぼっち侵略』の作品テーマへ着実に迫っている間にも、〈アレ★Club〉(なお、2016年上半期当時はまだ雑誌名およびサークル名は知らされていませんでした)からの寄稿依頼への準備は続いていました。論考を書く準備として私が最初に取りかかったのは、原稿のアブストラクト(要旨)を書くことでした。1000文字程度の要約文を書き、その内容について査読を実施し、査読に通過すれば原稿本体のの執筆に取りかかれるというわけです。

私はアブストラクトを書くにあたって、何かしら追加で資料を用意しようとは思っていませんでした。〈アレ★Club〉から提案されたのは、以前自分のブログに執筆した「ヒーロー」に関する記事を論考として書き直すというものでしたが、この時の私は「それなら別段追加の資料等は必要なさそうだな」と適当に考えていました。『ぼっち侵略』の読解について大きな進展があったことで個人的に浮かれていたのもありますが、これがとにかく不用心だったことを、私は間もなく思い知ることになります。

もちろん、この話をサークルメンバーから持ちかけられた際に「原稿を掲載できるレベルになるまで、さいむ君を死ぬほど鍛え上げる」と言われたことを私は覚えていました。しかし一方で、今の自分の文章がひどいと言っても実際どれほどのものであり、またサークルメンバーの目指す原稿がどの程度のレベルなのかも分かっていない以上、下手に取り繕ってもしょうがないと、変な開き直り方をしてしまっていたのです。

肝心のアブストラクトについてですが、ヒーローとは何か、それを分かりやすく整理するために、当時の私はヒーローを「敵を倒す」、「人を救う」、「平和を守る」の三つの要素に分類して考察していました。それぞれに「桃太郎」や「泣いた赤鬼」、「かぐや姫」などの例を当てはめて、それに反発することで新たなヒーロ-が生産される……というのが、当時の私が雑に考えていた構想でした。アブストラクトを作ることも初めてだったので、とりあえずそれっぽい形で1000文字程度の要約文を書き、私はホイホイと打ち合わせに赴きました。

『ヒーロー考・序』のアブストラクト(一部抜粋)。今読み返すととても恥ずかしい。本当に恥ずかしい。

Skypeを起動すると、なんとそこには当時の〈アレ★Club〉のメンバー数人が待機していました。何も知らないペーペーがいきなり完全武装した人間数名に取り囲まれている、そんな状況です。

(あれ、もしかして何か根本的に間違えた……?)

手汗をかきつつ軽く混乱していると、「では、これよりアブストラクトの査読を始めます。さいむさん、まずはアブストラクトの提出をお願いします」と、事務局長の永井光暁から声がかかりました。

「あ、はい。お願いします」と言いつつ、アブストラクトのテキストファイルを提出します。メンバーは黙ってそのアブストラクトを読み始めました。

「…………」

大体3分ほどでしょうか、全員が無言でアブストラクトを読んでいました。私はというと、プレッシャーの強さに声も出ず見守るばかり。

「これさ、分類の仕方が微妙だよね……」と、唐突に代表の山下泰春が発言しました。それを皮切りに、一斉に私以外の全員が凄まじい勢いで喋り出します。

「これ、そもそもなんでマズローを出してるんだろうね?」
「もっと適切な分類の仕方があると思うよ。現状だと分類が列挙というか単なる羅列になっていて、概念的に重複や抜け漏れがあると思う」
「『泣いた赤鬼』の部分だけど、ここはいわゆる『トロッコ問題』辺りと絡めた方がいいんじゃない?」

私が聞き取れたのは大体そこまでで、そこから先は完全に話についていけなくなりました。哲学者の名前やら人文科学の用語やらがバンバン飛び交い、私は「あ、はい」、「そうだと思います」、「えっと……知りません……」と、曖昧な相づちを打つのが精一杯。そして、それすらも話がより複雑になっていくとなくなり、私は完全に置物と化しました。後はもう、どこまでも白熱するメンバーの議論を聞き続けるばかりです。

ただ、その内容はどれも私の原稿の掲載可否ではなく、「このアブストラクトから如何なる発想が生まれるか」といったような議論になっているようでした。私の原稿そのものというよりも、私のアブストラクトを読んで各々のメンバーが考えついたものについて激論を交わしているようなのです。

「え、えぇっと……要するに駄目な感じですかね……?」メンバーの議論が一段落したところで、私が確認を取ってみます。

「いや、駄目ってことはないんじゃない? このままでは書かせられないけど、発想自体は面白いと思う」
「どうしてこういうことを議論しているのかというと、それはさいむさんの発想が面白かったからです。途中の僕たちの話で分からない部分があったと思いますが、それはまださいむさんにその話に関連した知識が足りないから話の内容が分からなかっただけで、議論の大本はさいむさんの書かれた内容から派生したものですから、そうやって話が広がったことはむしろ誇っていいと思いますよ」
「背伸びして書こうとしたせいでおかしくなっているところがあるから、余計なことはあまり書かないで、まずはこっちのアドバイスに従って書いてみるのはどうかな?」

どうやら駄目でないらしいのですが、メンバーの言う「発想の面白さ」が、当時の私には全く理解することができません。とりあえず執筆方針に関する大量のアドバイスをもらい、私は当初用意したアブストラクトを6割ほど書き換えて(発想の大本は残っている)再度提出し、メンバーからのOKが出たので、初稿の執筆に取りかかることになりました。

そこから二ヶ月ほどかけた2016年6月、初稿がやっと完成しました。「やっと」と言っても、脱稿〆切は10月前後と聞いていましたから、大分時間に余裕があります。私は「これなら安心だぞ」と胸を撫で下ろしつつ、早速初稿完成の旨をメンバーにTwitterのDMで伝え、その数日後にSkypeで初稿の査読・編集が行われました。私がWordで書いた初稿がGoogleドキュメントに移植され、それを編集メンバーがチェックし、マーカーを引き始めました……。

――その時、私は完全に油断していました。

アブストラクトの査読の時点で「発想自体は面白い」と言われ、嬉しかったのもあります。原稿執筆許可の連絡を早めにもらったので、早めに書き終わればその分だけ楽ができると急いだのもあるでしょう。しかし結局のところ、当時の私は完全に実力不足だったのです。それに気付かずにホイホイと約1万字を書き上げて何とかなったと思い込んでいた時点で、結果は見えていました。

地獄でした。
査読・編集に携わった人数、私を含め5人。
かかった時間、4時間超。休憩込みで5時間弱。
結果、全ボツ……私は、第二稿を新規に書き直すこととなりました。

あの時のことは、今でも忘れられません。メンバーほぼ全員が悲痛とも憤怒ともつかない声で杜撰な箇所を指摘しては凄まじい勢いで赤を入れ、私に共有されたGoogleドキュメントは、それぞれが色分けしたマーカーで不気味な虹色に染まり果て、全てが終わった時には、時刻は午前3時を大きく過ぎていました。

文章力、構成力、知識、発想……私はあらゆる面において、メンバーの求める水準に達していなかったのです。私は彼らが考える同人誌の水準、そして私の原稿に求めている方向性を、この過酷な4~5時間を経て、やっと自分の身をもって感じ取ったのです。

驚くべきことに、私の原稿は書き直しになっても「掲載不可」ということにはなりませんでした。〈アレ★Club〉のメンバーは、あくまでも私を「死ぬほど鍛え上げる」という行為を徹底して遂行するために、私の原稿に赤を入れ続けたのです。休憩の折に愚痴を吐くことはあっても、誰一人として、私の原稿の査読・編集を打ち切ろうとはしませんでした。

そしてそれは、私が〈アレ★Club〉の編集メンバーが如何なる方針の下に本を作ろうとしているのかも、朧気ながら悟らせてくれるものでした。彼らはただひたすらに真面目でした。面白いものを仲間と協力しながら、真面目に徹底して作り上げる。そのために必要な人間同士が志を共有し合っている。そんな団結感を私は感じ取りました。彼らが共有している目的意識とそれに向けた熱意は、私の目にはとても魅力的に映りました。このメンバーならば、面白い本を作ろうとするためのリソースを惜しみはしないだろう……そう思えました。

ともあれ、まずは自分の問題からです。先述した最初の査読・編集は、「骨子として面白くなることは分かりました。ただ、それ以外の部分でマズいところがかなりあるので、次回までにそこを直してきてください」ということで一旦終わりました。それから一夜明け、私は早速第二稿の執筆に取りかかりました。この時の私は、自分のためというよりは、彼ら〈アレ★Club〉のメンバーのために良いものを作ろうと思っていました。

しかし悲しいことに、当時の私では彼らの志や自分の未熟を肌感覚で感じ取っても、どうにも頭が追いつきません。悲劇は繰り返されました。焦りと混乱の中、慌てて一週間程度で執筆した第二稿は、7月を待たずに再び査読・編集にかけられ、そしてまたしてもその日の内に全ボツとなったのです。

◆『ぼっち侵略』を読むこと、『ぼっち侵略』を伝えること

こうして、私は二度の挫折を味わいました。〈アレ★Club〉のメンバーはまだ私の原稿を掲載することを諦めてはいませんでしたが、そのためにこのようなロスの大きい作業を連発するわけにもいきません。「まだ〆切まで日数があるし、一旦時間をおいて色々調べてからまた書いてみませんか?」という提案が出され、私はそれを承諾しました。こうして、私は〈アレ★Club〉の原稿執筆を一度忘れて休むことになったのです。

その期間を含め、6月頃から行っていたことが幾つかあります。

まずは、やはりというか案の定というか『ひとりぼっちの地球侵略』の感想ブログの更新です。いくら〈アレ★Club〉の原稿を抱えていたとはいえ、当時の私がこんなことで『ぼっち侵略』ファン活動をやめるはずがありません。『ぼっち侵略』10巻発売時に感想を1万字ほど書いた他、いくつかのWeb漫画サイトで『ぼっち侵略』が期間限定公開された際もブログを更新しています。こうして振り返ってみると、当時の私は色々手を伸ばそうと躍起になっていたんだなと苦笑します。

ただ一方で、前回の出来事から私は『ぼっち侵略』感想ブログの扱いについても、色々と方針を変えようと試みるようになりました。自分が『ぼっち侵略』のテーマを自分なりに見出せたのなら、むしろそれに特化した方が、より作品の魅力を引き出せる文章を書けるのではないかと考えていたのです。新刊が出るたびにブログを更新して感想記事を長々と書く、というスタイルは結局最後まで変わることはありませんでしたが、この頃から私は、ブログ記事の内容をより作品のテーマを掘り下げられるものへと微調整していくことになります。

ちなみに、この頃に書こうとしていた『ぼっち侵略』の細かい設定に言及しようとした記事がそのまま更新を止めているのはそういう事情だったりします。まさかいないとは思いますが、楽しみにしていた人は申し訳ありません……。

そしてもう一つ、私が『ぼっち侵略』のブログに関して方針を変えた部分があります。こちらはとても大きな変更です。その提案がなされたのは、意外にも「『ぼっち侵略』の話題は禁止」という条件を用意していた〈アレ★Club〉からでした。第二稿の査読・編集中、『アレ』編集長の堀江くらはから、こんなことを言われたのです。

「さいむ君のブログ、『舌足らずですみません』ってタイトルだけど、少なくとも僕はこういうタイトルのブログを読みたいとは思わないし、『読んでもらおう』という気概も全く感じられない。君が『ぼっち侵略』を本気で布教したいのなら、自分の気概に見合ったタイトルに変えた方がいいんじゃない?」

なるほど、と頷いた私は、ブログタイトルを変えることにしました。そのブログタイトルが、現在使っている『ぼっちQ&A!~『ひとりぼっちの地球侵略』感想ブログ~』です。作者の小川麻衣子先生が当時何度か使っていた「ぼっちQ」という略称に「&A」を付け足し、「『ぼっち侵略』の答えを自分で見つけ出すんだ!」という思いを込め直したのです。これでアクセス数が増えるということまでは考えていませんでしたが、少しは物を書いて発信する身として相応しい姿勢を見せられたのかな、とは思っています……中身はともかく。

また、2016年7月に、私は〈アレ★Club〉とは別にある原稿を書き上げていました。それは、現在ライターとして活躍している羽海野涉さんが主宰を務めていた同人誌『PRANK! Vol.3 Side-A』に投稿する予定の、『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜』(以下『コンレボ』)に関する論考でした。羽海野さんからは2016年1月に依頼を受けたのですが、第2期に当たる『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜THE LAST SONG』が2016年4月~6月に放送されていたので、その放送終了を待つ必要があったのです。

一ヶ月で2クール分のアニメを一通り見て論考を書く。ある程度文章を書くのに慣れていればそう難しくはない作業にも思えますが、〈アレ★Club〉の原稿執筆で自分の未熟さを思い知った私には、一ヶ月で人に見せられるクオリティを目指せる自信がありませんでした。結果的に原稿自体はどうにか〆切に間に合わせることができましたが、もう少し上手く書けた部分もあったかもしれないと今でも思っています。

ただ、この時に『コンレボ』の論考を書いたことで、自分の中でいくつかの発見もありました。一つは、はからずも『コンレボ』が「ヒーロー」を題材とする作品であったために、〈アレ★Club〉の原稿について自身の考えをまとめられたことでした。『コンレボ』で活躍するのは「超人」であり、厳密に言えば「ヒーロー」ではないのですが、その差異こそが逆に「ヒーロー」という存在に関する思考を明快にさせてくれたのです。

もう一つは、自分が作品について語ることで何を目指しているのかを再確認できたことでした。当時の私が作品について何かしら感想を書く際、技術的な側面は全て『ぼっち侵略』の感想を書いた経験に依存していました。その『ぼっち侵略』の感想ブログの内容について悩んでいたからこそ、私は批評というものを書いてみようと考えていたのです。

しかし、『PRANK!』に寄稿した経験と、『ぼっち侵略』の作品テーマの理解を通して、私は今までとは違う答えを見つけ出せるようになっていました。私が『ぼっち侵略』の感想を書くことで求め続けてきたのは、常にその作品の「魂」に辿り着くことだったのです。それは、作品から伝わってくる根本的な衝動であり、作品全体に通底するある種の共通項です。それを見出すためには、作品の細部の読み込みが不可欠であり、私の感想とは、それを証明する行為に他ならなかったのです。そこに自分の価値観までもが噛み合ったからこそ、私は『ぼっち侵略』という作品に執着し続けてきたのです。

そして、それさえ分かってしまえば、「批評」というスタイルに固執する必要もない、ということに気付きました。実際、批評というスタイルにしなければ自分の目指す文章が書けないということは全くないのです。むしろ、誰にでも読んでもらえる平易な文章で、ブログという媒体で自分が『ぼっち侵略』について考えたことを書くというスタイルは、結局のところ、私の本来の目的に当初からマッチしていたのです。私は諦めるのでも開き直るのでもなく、今一度自分の意思で『ぼっち侵略』の感想を書き続けようという動機を、『PRANK!』への寄稿を通して得ることができたのです。

ところで、こうして自分のブログの存在価値を見出せたのには、先述した堀江くらはのアドバイスによるブログタイトルの変更も大きく影響していました。ブログタイトルによって情報を発信しようとする意識改革があったからこそ、私は自分が発する情報の価値を再確認できたのです。しかし一方で、私は〈アレ★Club〉に寄稿をする理由を未だに見出せないでいました。『ぼっち侵略』に関する答えは手に入れられたものの、『ぼっち侵略』とは関係のない〈アレ★Club〉への寄稿を通して自分は何を手に入れられるのか? 誰に何を届けることができるのか?

……2016年の夏が終わり、再びその命題と向き合うことになった時、私はついに〈アレ★Club〉の活動に、サークルメンバーの一人として参加することになるのです。(続)

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[記事作成者:さいむ]