一昨日、僕たち〈アレ★Club〉もお世話になっているジュンク堂書店京都店およびロフト名古屋店が、2020年2月29日をもって閉店することが発表された。
両店舗は、どちらも僕たちが制作するジャンル不定カルチャー誌『アレ』を委託販売してくださっている店舗さんだ(ロフト名古屋店については、昨年春に同店の売り場縮小に伴い丸善名古屋本店に移管したが)。僕(永井)自身、今でも『アレ』の発注や在庫調査関係で定期的に電話やメールでやり取りをさせていただいているが、これまでそういう話は特に聞いてはいなかった。そのため、今回の発表にとても驚いている。
また、(株)丸善ジュンク堂書店関係で言えばジュンク堂書店福岡店が、入居している「メディアモール天神」の再開発に伴い、今年6月末に一時閉店するというニュースが昨年末に飛び込んできた。こちらはあくまでも「一時閉店」とのことだが、2024年末頃に完成予定の新ビルに入居するかは未定で、代替店舗の出店先についてもまだ決まっていないらしい。
ジュンク堂書店福岡店が一時閉店へ 来年6月末、天神地区再開発で(西日本新聞)
現代は「本屋が潰れる時代」とよく言われる。実際、今回の京都店とロフト名古屋店の閉店も、年々厳しくなる書店事情に耐え切れなかった結果だと僕は思っている。とはいえ、実際に直取引でお世話になっている書店がなくなるのは、自分たちの作った本を置かせていただいている一同人サークルとしてもショックである(もちろん、一番辛い立場なのは現場の書店員さんであることは言うまでもない)。
◆厳しい書店事情
先に述べたように、今は店舗の規模を問わず、書店が次々と潰れていく時代である。孫引きになってしまうが、「ガベージニュース」が『出版物販売額の実態』や経済産業省の商業統計をまとめたものを見ると、書店数は減少の一途を辿っており、2018年度にはついに1万店の大台を割っている。一方、書店1店舗あたりの平均坪数は年を追うごとに微増しているが、これはおそらく、中・小規模のいわゆる「町の本屋さん」が潰れ、現在も残っているか、あるいは新たにオープンしている書店が比較的大型であるためと考えられる。
書店数とその坪数推移をグラフ化してみる(最新)(ガベージニュース)
書店が潰れていく原因については、既に様々な原因が唱えられている。近年は電子書籍の登場がその原因としてしばしば挙げられるが、それ以外にも中・小規模の書店なら出版物のジャンルや書店の地域・規模などを判断材料に配本部数を決定する「ランク配本」のような諸制度が、大型書店なら物件の賃料がそれぞれ大きな要因だろう。また、ネットを中心に無料で視聴・閲覧可能な媒体が増えたことにより、有料の書籍を購入する人々が減っていることも、相次ぐ書店の閉店の一因として、容易に想像することができる。
これらの諸原因について、ここでは特に大型書店の「物件の賃料」に着目したい。ジュンク堂書店や丸善のような大型書店の場合、大体の場合は都心の駅から近い場所か、あるいは郊外の売り場面積を確保しやすい場所に出店している。売り場面積が広ければ広いほど様々な本を置くことができ、また書籍の売り切れやそれに伴う追加発注といったロスを防ぎやすくなれば、それだけ多くのお客さんに来てもらえるからだ。
こうした大型書店は、その大きさや立地の良さゆえに賃料が高い。仮に自社ビルであったとしても、土地の所有者から土地を借りている場合もあるし、自社ビル自体も固定資産税がかかる(さらには従業員の人件費も)。
加えて、現代は書籍が売れない時代である。実際、公益社団法人全国出版協会が運営する出版科学研究所の調べによると、国内における出版物の推定販売金額は、1996年頃をピークに減少の一途を辿っている。しかし、出版点数自体は減少傾向にあるものの、ピーク時の2013年頃からあまり変わっていない。そのため、大型書店は書籍が売れないにもかかわらず在庫を確保せざるを得なくなるという悪循環に陥り、結果として賃料を賄えなくなり閉店するというのが、昨今の大型書店の相次ぐ閉店の原因の一つであると考えられる。
◆京都店とロフト名古屋店の閉店についての所感
では、こうした現状について、書店と直取引している同人サークルとしてどう思っているのか。以下、僕個人の私見になるが述べていきたい。。
まず京都店とロフト名古屋店の閉店については、とにかく残念であると言う他ない。既にTwitter上では閉店を惜しむツイートが多数上がっているが、直取引させていただいている立場としても、取り扱ってくださる店舗が減るということは、その分だけ手に取られる可能性が減ることを意味するからだ。
その一方で、厳しい書店事情に対応するための致し方ない選択だったことも、作り手・売り手としては理解できる。京都店の場合は近くに丸善京都本店が、ロフト名古屋店の場合は名古屋店および名古屋栄店の他、同グループの丸善名古屋本店および名古屋セントラルパーク店がある。それゆえ、今回の件は経営を維持するための不採算店舗の整理と考えるのが妥当だろう。とはいえ、店舗が減れば従業員の数も減るので、お世話になっている方々をはじめとする書店員さんの今後が非常に心配である。
◆「評論誌」と「批評誌」から考える「書籍離れ」
次にいわゆる「書籍離れ」について。これについては当会が作っている『アレ』が「評論系」と呼ばれるジャンルの同人誌であるため、以下の話も「評論誌」や「批評誌」と呼ばれる書籍に関する話題が中心となることを、あらかじめお断りしておきたい。
「評論誌」および「批評誌」とは、文字通り評論や批評を中心に扱っている本のことだ。こうした本は評論・批評以外にも小説、詩、短歌、俳句、論考、エッセイ、コラム、インタビューなどの様々なジャンルの記事が掲載されていることから、別名「総合雑誌」とも呼ばれている。ちなみに、僕たちが作っている『アレ』も構成的には「総合雑誌」と言って差し支えないと思われるが、活字同人誌の場合は「創作(小説、詩、短歌、俳句など)」もしくは「評論(評論、批評、論考、エッセイなど)」のいずれかに大別されることが多く、それゆえに『アレ』は「評論系同人誌」を名乗っている。
話を戻して、書籍が売れない時代である現在、この流れは総合雑誌においても決して例外ではない。実際、2000年代に入ってからは『論座』や『諸君!』、『新潮45』などといった総合雑誌が相次いで休刊(という名の事実上の廃刊)している。また、小説を中心に掲載している文芸雑誌も、いわゆる「五大文芸誌(すばる・群像・文學界・文藝・新潮)」の売れ行きが軒並み低下している。一応、五大文芸誌のうち『文藝』については、昨年4月に刊行した2019年夏季号から雑誌全体の構成やデザインの大幅なリニューアルを行った甲斐あってか、リニューアル後は好調な売れ行きを見せているらしい。
「紙の雑誌」衰退の中、文芸誌『文藝』のリニューアルが大成功した理由(ダイヤモンド・オンライン)
では、こうした評論誌や批評誌、言い換えれば総合雑誌が売れない原因は何だろうか。書籍全体の売れ行きが落ちているが、こと総合雑誌に限って言えば、①ソーシャルメディアの発達によって個人での発信が容易になったこと、②SNSの登場によって思想や主義主張の対立が顕在化した「分断」の時代において総合雑誌の「総合性」、言い換えれば「多様性」が担保できなくなったことの二つが主に挙げられるのではないかと考えられる。以下、この二つの原因について、それぞれ解説していく。
まず①について。ソーシャルメディアが発達した現在、例えば「YouTube」で個人の意見を発信する動画をアップする人がプロ/アマ問わず散見される。また、オンラインサロンや「note」での有料記事の公開のように、ファンや読者からお金を得る手段も存在する。これらの方法は、総合雑誌のように「雑誌」としてのコンセプトや統一性を意識する必要がなく、また既にネット上に存在するプラットフォームを利用すれば手軽に始めることができる上、紙媒体と比較してコストもほとんどかからない。
次に②について。総合雑誌を含む「雑誌」では、先述したようにコンセプトや統一性を意識する必要がある。実際、総合雑誌は雑誌ごとに何らかの、分かりやすい例で言えば政治思想的なコンセプトの違いで分類されることが多く、例えば『世界』や『論座』などは左派、『Will』や『諸君!』などは右派に分類される。しかし、SNSの登場によって思想や主義主張の対立が顕在化した「分断」の時代である現在、「知識人」と呼ばれる人たちを中心に人々が「敵/味方」に安易に分類されるようになり、自分とは異なる考えを参照する機会が失われつつある。そして、これらの背景を踏まえて産経新聞社文化部の磨井慎吾氏は、「分断」によって読者が読みたいものしか読もうとせず、加えて総合雑誌の総合(多様)性を担保するための「編集」の力が、出版不況に伴う人員不足や雑誌のコンセプトの先鋭化によって退潮していった結果、総合雑誌が「袋小路に陥って」しまっていると指摘する。
【論壇時評12月号】総合をあきらめる総合雑誌 強まる読者の分断 文化部・磨井慎吾(産経新聞)
これらのことを踏まえて、個人的にはこうした現状について、評論・批評の(広い意味での)「シーン」を作れなかったことが、この問題の根底にある原因なのではないかと考えている。もっとも、ネットを介した個人の発信が容易な現在において、「書籍離れ」の責任が全て総合雑誌自体にあるとは言い切れない。とはいえ、『新潮45』がLGBTに関する記事を機に「限りなく廃刊に近い休刊」に追い込まれた件のように、総合雑誌が「分断」の加速に関わっている側面については否定できないだろう。
このような状況では、総合雑誌の復活はおろか、異なる思想や主義主張の相互参照や「対話」すらも難しいように思われる。思うに、「分断」に乗っかって「商売敵」や「敵/味方」といった安易な区別に陥るのではなく、界隈の人々と議論を重ねることや、狭い業界で読者の奪い合いをせずに、業界全体で読者を増やすこと、つまりは評論・批評の「シーン」を作ることが、これからの総合雑誌に必要なことなのではないだろうか。
◆『アレ』を一般書店に置く理由
ところで、こうした意見について僕、ひいては僕たち〈アレ★Club〉に対して「じゃあ、お前(たち)はどうしていくんだ?」と思う方もおられるだろう。そこで以下では、僕たち〈アレ★Club〉が同人誌である『アレ』をなぜ一般書店で委託販売しているのか、一般書店で委託販売することを通じて何を発信したいと考えているのかについて述べていきたい。
実を言うと、僕たち〈アレ★Club〉が作っているジャンル不定カルチャー誌『アレ』は、同人誌の専門書店に限らず、ジュンク堂書店や丸善のような本来なら同人誌をほとんど扱わない一般書店でも委託販売することを、Vol.1の創刊当初から目標の一つにしていた。同人サークルがこうした目標を掲げることは極めて稀だと思うが、その理由については、主に次の二つが挙げられる。
第一の理由は、最近は一次創作(オリジナル)も増えてきたとはいえ、それでも「同人誌=二次創作のマンガ」というイメージが依然として根強いためである。実際、専門書店でも置かれている同人誌のほとんどは二次創作のマンガで、一次創作、特に活字中心の同人誌は、それらの中ではどうしても埋もれてしまいやすい。そのため、専門書店よりも一般書店の方が、僕たちの作っている『アレ』の場合は手に取ってもらいやすいのではないかと考えた(一応断っておくが、これは決して「専門書店には置かない」という意味ではない)。
第二の理由は、「評論系」の同人誌である『アレ』を作る際に僕たちがモデルとしたのが、『ゲンロン』や『ユリイカ』のような商業出版されている評論・批評誌だからである。「分断」によって総合雑誌が衰退したことについては先程述べたが、これらの雑誌の読者は『PLANETS』や『nyx』などといった、同ジャンルの別の本も比較的チェックしていることが多い(もっとも、このことは見方を変えれば、もはや「分断」すらできないくらい評論・批評のコミュニティが縮小した結果であるとも言えるのだが)。しかし、商業出版されている評論・批評誌を読んでいるからといって、それらの読者が評論系同人誌も読んでいるとは限らない。とはいえ、〈劇団雌猫〉の同人誌『悪友』が『浪費図鑑――悪友たちのないしょ話』という名称で商業書籍化されたこと、元々は同人誌だった『エクリヲ』がISBN(国際標準図書番号)を取得して取次経由で全国流通を行ったことなどを鑑みれば、書籍の内容や陳列の工夫次第で、普段は評論系同人誌を読まない層にも手に取ってもらえるのではないかと考えた。
これらのことを踏まえた上で、僕たちは『アレ』の委託販売について、専門書店だけでなく一般書店にもお願いしていこうと決めた。幸い、現在『アレ』の委託販売を引き受けてくださっている店舗さんは、直取引の相談をさせていただいた際に、上記の僕たちの考えに共感してくださり、書店事情が厳しい中で、何処の馬の骨とも知れない僕たちが作った本を棚に並べてくださった。
そして、ジャンル不定カルチャー誌『アレ』の創刊から丸3年が経った現在、委託販売を引き受けてくださる書店さんが少しずつ増えていった結果、昨年ついに(株)丸善ジュンク堂書店のインストアコードを取得することができた。この時点で、僕たちはISBNを取得していないし、取次も利用していない。つまりインストアコードの取得によって、『アレ』は「同人誌」という形態のまま全国のジュンク堂書店および丸善(さらにはネットストア「honto」でも)で購入可能な同人誌となった。もちろん、これは次の段階へ進むためのスタートだと思うし、これを機に、今後はさらに多くの方へ『アレ』を届けていきたいと考えている。
◆同人誌を一般書店に置く意味
こうしてインストアコードを取得することができたのは、何よりも『アレ』を辛抱強く置いてくださった丸善およびジュンク堂書店で働く皆さんのおかげである。正直な話、実際にインストアコードを取得するまでは、『アレ』の全国流通なんて夢のまた夢だと思っていた。しかし、3年間コツコツと地道に営業活動を続けていき、読者の皆さん、書店員の皆さんに支えられて、僕たち〈アレ★Club〉はここまで来ることができた。
ところで、僕たちが作っている『アレ』はこの記事を書いている現在、全て直取引で委託販売を行っている。この「直取引」とは、簡単に言えば「取次を介さずに書店と直接委託契約を結んで委託販売を行う方式」のことだ。僕たち〈アレ★Club〉の場合、事務局長である僕が営業活動を担当しており、一軒一軒直接書店を訪ねるか、あるいは電話で委託の相談をさせていただいている。
こうした営業活動の中で、僕は書店員さんから様々なお話をこれまで伺ってきた。最近流行りの人文書のことや、地域による売れ行きの違いなどについて教えていただくこともあれば、時には書店員さんから尋ねられて文学フリマの動向について解説したり、面白そうな評論系同人誌についてご紹介させていただいたりすることもあった。
そうした書店員さんとのやり取りの中で特に印象深かったのが、今後の書店の在り方について話した時のことだ。書店員さんは書店がどうにか生き残るための方法について、日夜必死になって考えている。しかし、Amazonでほとんど全ての商業出版されている書籍を購入することができ、また電子書籍が台頭して紙の本を買う人が徐々に減ってきている現在、「どんな本でも手に入る」という大型書店の特徴は、皮肉なことに書店自体の体力を奪う原因の一つとなっている。
かつての強みが「強み」とならず、電子書籍が普及しつつあるこの状況に対して、紙の本を販売する書店が対抗する方法は、もはや残っていないのだろうか。残念ながら、この問いへの答えは今もまだ出せていない。とはいえ、このことについて全くアイデアがないわけでもない。幸いなことに紙の本を欲しがる人はまだいるし、「書店に行かなければ買えない本」を探し求めている人もいる。ならば、同人誌が「書店に行かなければ買えない本」になる道もあるのではないだろうか。
最後に、僕たち〈アレ★Club〉は、これからも同人誌である『アレ』を一般書店で委託販売することで、同人誌でも創意工夫次第で一般書店に委託販売できることを示すとともに、一般書店における評論系を含む活字同人誌の委託販売のモデルを作っていきたいと考えている。また同時に、ISBNを取得して取次を介することが当たり前となっている書籍の流通構造に対して、「同人誌を扱う」という選択肢があること、「書店に行かなければ買えない本」が置かれていること自体が書店の強みになるということについても、併せて問題提起していきたい。
願わくば、僕たちの活動がお世話になっている書店さんへの恩返しとなり、書店がこれからも生き残るための一助にならんことを、心から祈っている。
◆余談:電子書籍版『アレ』について
このような記事を書くと、もしかすると読者の中には「お前たちのサークルは電子書籍版も作っているじゃないか」という感想を抱く方がおられるかもしれない。確かに、僕たちは電子書籍版『アレ』を、AmazonのKindleストアで販売している。だが、僕たちが作っている電子書籍版『アレ』は、読む端末のサイズに合わせて文字の大きさやレイアウトが最適化される「リフロー型」と呼ばれる方式を採用している。この方式では、紙媒体版で作ったレイアウトは残らないし、誤解を恐れずに言えば、そこにあるのは「本」として作った物のうちの「テクスト」だけだ。
また、電子書籍の読者の中には「自分は電子書籍しか読まない」という人もだろう。少なくとも個人的には、そうした考えを否定するつもりは毛頭ない。加えて、「媒体が異なる」という理由で情報にアクセスできない人が出てくるのは、僕たちとしても好ましいとは思わない。そのため、僕たちは電子書籍版『アレ』を、「自分は電子書籍しか読まない」という人の考えを尊重し、そう考える人のために作っていることを、この場を借りて断っておきたい。
[記事作成者:永井光暁]
1986年生まれ。〈アレ★Club〉事務局長で機関誌『アレ』副編集長。某大阪府内の大学院の修士課程を修了後、ひょんなことからフリーライターになる。大学院での専攻はヨーロッパ方面の哲学。現在はライター業(お仕事ください)に精を出しつつ、空いている日は実家の飲食店で手伝い仕事をしている。カレーが好き。