これは、失うことしかできなかった1年間の記録である。
スマートフォンを起動したとき、皆さんは最初に何をするでしょうか。もちろん人によりけりでしょうが、こうしたサイトを覗いている皆さんの多くは、SNSで知り合いが発信した情報を眺めることがもっぱらなのではないでしょうか。かく言う私もそうでした。いえ、その「はず」でした。
自己紹介が遅れました、「さいむ」と申します。『ひとりぼっちの地球侵略』の作者であり、現在は『ゲッサン(月刊少年サンデー)』で『てのひら創世記』を連載中の漫画家・小川麻衣子先生の作品のファンであり、また〈アレ★Club〉の編集メンバーでもあります。そんな人間が、ある日あることがきっかけで、1年以上もインターネット上における交流活動の一切を断ったとき、一体何が起こるのか。これから記すのはその記録であり、そして懺悔です。何卒よろしくお願いいたします。
◆さいむは逃げ出した
時は2019年の夏に遡ります。その頃の私は、ネットとはさして関係の無い、いわゆる「リアル」の事情によって、じわじわと追い詰められつつありました。即時的に人生を失うような危険ではなかったのですが、それでもこのままネットとリアルの生活を二足の草鞋で突っ走っていけば確実にバランスを崩す、そういう焦燥感が私を襲いつつありました。その詳細については公にすることはできませんが、強いて言えば「生活」と「職業」の事情であると書いておきます。
かくして、最低でも1年単位でネットにおける交流活動を断たざるを得なくなった……というのが、ネットで活動している「さいむ」として私が発信できる最低限度の情報になります。もちろん、〈アレ★Club〉のメンバーにはさらなる詳細を伝えてありますが、私はネットで自身の近況を明らかにする人間ではないので、これ以上をここに記すことはしません。もし私の知り合いの方でより詳しいことを知りたい方がいらっしゃいましたら、内々にご連絡ください。
閑話休題。私のネット断ちは、ネットの知り合いの誰にも伝えること無く実行に移されました。正確には、全方面での交流を同時に絶ったのではなく、折を見て次第に頻度を落としていった形になりますが、それでも2019年9月になる頃には、完全にネット上の交流活動を遮断しました。
このときの私の脳内は、非常に身勝手な考えで埋め尽くされていました。とにかく「自分が生きるため、将来を安定させるためには、他者との繋がりを蔑ろにしても許されて然るべきだろう」という言葉を精一杯振りかざし、それまでネット上で知り合った人々との関係を闇雲に断ち切っていったのです。そこには「どうせいつか戻ってくるのだから、変にお別れや近況報告をする必要は無いだろう」という稚拙な言い訳が作用していました。そんなものに頼りたくなるくらい当時の私は弱っていましたし、弱っている姿をネットで見せたくなかったのです。もし万が一このまま消えるとしても、追い詰められて消えるような終わり方にはしたくなかったのです。
そして、仮にも「戻る」ということをその前提とした以上、交流する手段の全てを捨てることはできませんでした。Twitterのアカウントは残したままでしたし、自身のTL(タイムライン)で流れてくる情報についても、時たま目を通すような状況が続くことになります。そのTLを眺めながら「いつかはここに戻ろう」と自分に希望として言い聞かせ、また一方でそれを言い訳にして、ネットで少しでも近況を語らねばという倫理観を投げ捨てることに没頭し続ける、そんな1年間がいよいよ始まろうとしていました。
◆さいむは後ろ髪を引かれた
最初の数ヶ月は、何も起こりませんでした。あらゆる通知を切り、送られてくるリプライやDMには耳を傾けず、一切の安否確認に答えず、生きるために、やるべきことをやる。毎日、刻むように生きる。それで事足りました。
それは「安定した生活」でした。どこにも行くことの無い、現実でただ生きるだけの逃避行。ネットの交流に費やしていた時間は生活や職業のために使われ、休日はのんびり休み、美味しいものを食べ、作品鑑賞やゲームに勤しみ、そして日々の労働に戻る。成功も、失敗も、平穏も、異常も、その全てが手が届く「現実」という地続きの世界にしか無い。ネットが無いだけの、「いつもと代わり映えの無い毎日」に、ただ没頭しました。
だからこそ、そのときの私は、自分が何を失っているのか知ることができませんでした。そうなっていくことの意味も、以前との変化にも、目を背け、あるいは気付くことができずにいたのです。
それでも、ただ一つだけ、私を「以前」へと立ち戻らせてくれない存在がありました。
その存在こそ、私が完結までただひたむきに愛した漫画、『ひとりぼっちの地球侵略』です。
ぽっかりと開いた穴をコンクリでただ平面に均したような私の内心に、それはモノリスのように、しかし厳然たる意志を持って鎮座していました。
「この作品のために生きてみたい」
「この作品と共に生きていきたい」
「この作品を読むという行為がふさわしい人間になりたい」
馬鹿正直にそんなことを考えていたかつての記憶が、そこにあったはずの情動をじわりじわりと掘り起こしつつあったのです。
ですが、僅かに体温の上昇を感じる私に、逃げ出したいもう一人の私が囁きます。
「お前の目指した“『ぼっち侵略』と生きる自分”は、今のままでも達成できるじゃないか。今は戻るな。生きることに専念しろ」
けれども、そういう声に「普通の人間」として迎合することにもやがて限界が来ました。何故なら、私にとって『ひとりぼっちの地球侵略』を読むという行為は、ただ単に作品の内容を再確認するだけでは済まなかったからです。それは私がTwitterを、ひいてはネットを始めた理由でもあります。私はこの作品のことをもっと知りたかったのです。自分一人では辿り着けない深奥に、あらゆる手を尽くし、そこに最初に辿り着くのが私でなくとも構わないから、「本当」を知りたかったのです。だからこそ、自分の知らない世界で、自分の知らない人々に可能性を教えてもらいかった。それが、私がネットに身を投じた最初のきっかけだったのです。
その思いがある意味で決定的にズレたものであったことを、当時の私は既に知っていました(作品に「本当の深奥」などあるわけがありませんから)。けれども、その思いでネットの世界を走ったこと、それ自体を根本から否定した人もまたいませんでした。
もし自分がネットに無事戻れるのであれば。そのとき自分をネットへと引っ張り戻す存在は『ひとりぼっちの地球侵略』をおいて他にありません。それさえも失えば、たとえネットに戻れる環境が整ったとしても、私が後ろ髪を引かれることは最早無かったでしょう。
ですが、ただ当たり前の日々を生きるだけの毎日でも、それだけは、嫌だったのです。
そしてもう一つ、私をネットに駆り立てる存在がありました。2019年末から連載が始まろうとしていた小川麻衣子先生の最新作、『てのひら創世記』です。『ひとりぼっちの地球侵略』が完結してから1年以上が経ち、ついに始まる最新作。それを逃してもやはり、「一体さいむは何をしていたのか?」と自問自答せずにはいられないでしょう。『ひとりぼっちの地球侵略』が「さいむ」の「過去」からの要請ならば、『てのひら創世記』は「未来」へ進もうとした「さいむ」の意志による要請です。そうである以上、やはり逃げることは許されません。
こうして年末に差しかかった頃、私は『ひとりぼっちの地球侵略』に関する活動だけを、段階を踏んで細々と再開しました。
最初は自分のPCが日々Twitterから半ば自動的に抽出していく『ぼっち侵略』関連のツイートを眺めるだけでした。やがてそれらに「いいね」を押したり、気になるアカウントはフォローしたりするようになり、最終的にはブログを更新することで、「さいむ」としての最低限の存在意義を守り通そうとしました。私がネットから去った当初の目的と完全に矛盾していますが、それでもこれだけは捨てられなかったのです(もっとも、この時点で実はこうしたブログ活動にも深刻な弊害が発生していたのですが、その根幹に気付くのは、ネットでの交流活動に復帰して以降のことでした)。
そうして年を越す頃には、『ぼっち侵略』を通して新たな相互フォロワーも増えていき、それも相まって「どうやらさいむは生きてはいるらしい」という情報が一通り広まっていきました。その結果、Twitter上で私を心配する声は次第に減っていきましたが、それに反比例する形で〈アレ★Club〉上での私が置かれた状況を確認する方針はより強くなっていきました。
〈アレ★Club〉のメンバー、特に事務局長・永井光暁、『アレ』編集長・堀江くらはの両名からは、丁寧に生存確認を問う連絡を何度もいただきました。しかし、それでも〈アレ★Club〉の安否確認に答える勇気は自分にはありませんでした。もしも答えて、今の自分の惨めさを伝えて、それでどうなってしまうのか。このときの私には、結果を見る勇気が無かったのです。そのため私は、都合よく「普通の生活」を送っている自分を振りかざして「現実」に「引きこもり」ました。つまるところ、私は「私が生きるために都合のいいこと」だけをして、他者を切り捨てていたのです。
◆さいむは帰ってきた
後は、そんな矛盾に満ちた生活を送り続けるだけでした。『ひとりぼっちの地球侵略』や『てのひら創世記』のことを考え、ブログに記事を投稿して自分を定義し、時たまゲームに現実逃避し、ネットからの声に耳を塞ぐ。「長期的に見て利益になることをしているんだ」と自分に言い聞かせ、「そんな出鱈目な行為もいつかは実を結ぶ」と妄信し、日々をただ無意味に過ごしました。
ですが、新型コロナウイルスが蔓延し始めてさえも変わることの無かったその姿勢は、2020年10月に唐突過ぎる終焉を迎えることになりました。目標を達成したのです。それは私の当面の人生の安定であり、ネットに戻る余裕と体裁を整えたことの証でもありました。
でも、ようやく達成できた目標であるにもかかわらず、私に達成感はありませんでした。「あ、上手くいった」という程度の感慨しか湧かず、なんとなく状況の変化だけを頭で理解しました。
少ししてから気付きました。
ネットに戻れるのではないだろうか。
もう目標達成のための時間的な制約はありません。人生への不安もありません。最低限「さいむ」であるための面目も保つことはできているはずです。
戻らない理由は何もありませんでした。
それでも、ネットでの交流活動に復帰する旨をブログに投稿するのに2日。そこから1日間を置いてTwitterへの投稿を再開。その上で〈アレ★Club〉メンバーと連絡を取り、生存報告兼今後の活動を検討する会議の日程を決めるまでには、さらに1週間を要することになりました。
〈アレ★Club〉に連絡することをためらった理由は、単に叱責されることが怖かったからなのでしょう。しかし、その割に自分が鈍磨であることがなんとなく気になりました。
実際、「おかえりなさい」と、かつて親しかったフォロワーから変わらないリプライが送られてきて、それに返信してみても、ピクリとも心が動かなかったのです。せいぜい、軽い溜息をつく程度の安堵があったのみでした。
一体これは何なのか。その答えは、〈アレ★Club〉メンバーとの通話が始まってすぐに判明することになります。
準備が整った旨をDMで受け取り、最後の覚悟を決めて通話ボタンを押します。
メンバーのアイコンが、あるいは映像が画面にパッと映りました。
私は話し始めました。ゆっくりとその場で、自分が何をしていたのか、何故戻ってこれたのかを端的に伝えました。「リアル」の事情を、ありのままに伝えました。当然、〈アレ★Club〉メンバーたちは、さらなる説明を求めました。何故連絡ができなかったのか。そうなるに至った精神状態はどんなものだったのか。それを聞かなければ納得はできないと彼らは言いました。
一度覚悟を決めていた私は、何故自分が逃げたのかを、臆病で惨めで、矛盾に満ちた自分の在り方を、正直に吐露しました。
そのときでした。
「やっとさいむ君がいつもの感じになってきて安心した」
「……え?」
最初、何を言われたのか分かりませんでした。
「君、最初の報告、まるでロボットみたいな話し方でまったく人間味が感じられなかったよ?」
「さいむ君自身のメンタルの話を始めて、ようやく人間っぽくなったって言えばいいのかな……」
思わずその場で、何も無いはずの後ろを振り返りました。そして、そこで私はようやく気付きました。
私が「ネット」だと言っていたもの、「現実」のために犠牲にすべきものだと優先順位をつけたものは、ただの現実の一部だったのです。それは「虚構」でも「架空」でもありませんでした。
私は自分を失っていたのです。
呆れ果てるほどの勘違いを自分がしていたことを、ようやく理解しました。「今後の未来のため」、「ネットでの活動を安定させるため」と言って、私は「さいむ」としての生き方の一部を切り離しました。しかし私にとって、「さいむ」として生きた時間は、とっくの昔に現実の人生と境目が無くなっていました。偶然の出会いがあり、そこから望んだ関係を築き、直接対面した人々がいて、その中で生まれた作品や同人誌がある。そうした人々との営みを、私は「ネット」だからという理由で切り捨てようとしたのです。それは、文字通り「現実逃避」そのものでした。そしてその代償として、私はそれまであった「自分らしさ」を失ったのです。
この1年を、無為に生きた1年を、私は一気に振り返り始めました。
現実を生きるために心を潰して取り組んだ日々。「さいむ」を保つために行った『ひとりぼっちの地球侵略』のファン活動。半ばヤケになって取り組んだゲーム。普通の、当たり前の、「いつもと代わり映えの無い毎日」。
そこには、「他者」との関わりはほとんどありませんでした。「ネットという現実」から逃げた自分に、そのために「さいむ」を潰した自分に、他者と向き合う自分の姿を描くことなどできるはずもありませんでした。「いつもと代わり映えの無い毎日」は、つまるところ「全ての他者から目を背け続けた日々」でしかなかったのです。
他者のいない世界で、他者がいたときと同じことをやっている自分が、ひどく滑稽でむなしいことのように思えました。いえ、「思う」だけではありませんでした。私は他者のいない世界で、「さいむ=私」というものを全く客観的に観測できずにいました。それどころか、「さいむ=私」というものの輪郭自体が見えなかったのです。
こんなあやふやなものを、「さいむ=私」と言い張って、私は守り切ろうとしていたのか。
再び前を見ました。
全ては荒れ果てていました。
「さいむ」として関わってきた人々との交流は極端に薄まり、「さいむ」として行ってきた〈アレ★Club〉での活動の全てが途絶え、「さいむ」として他者と楽しんできたゲームはただの作業に成り下がり、「さいむ」として築いてきた小川麻衣子作品の読み込みは、今や自身の存在だけを辛うじて保てるレベルまで落ちていました。
冗談でも、体の良い教訓でも無く、ネットで繋がってきた人々との営みこそが、「さいむ」を、そして「私」を育ててきたのです。
失敗を、そこで知りました。
『ひとりぼっちの地球侵略』さえ捨てなければ……などということはとんだ思い上がりでした。私は、一度だってネットから目を逸らすべきではなかったのです。
こうしたことを全て告げると、編集長である“堀江くらは”が口を開きました。
「さいむ君、相変わらず面白いねw」
「……すいませんでした」
そこではじめて謝罪の言葉を口にしたことさえ、しばらくしてから気付く体たらくでした。
こうして、「他者」から逃げ、「現実」に引きこもった私の逃避行は終わりました。
今、私はこうしてこの1年の総括を書いています。Twitterで呟く感覚を思い出し、『ひとりぼっちの地球侵略』の読み方がズレていると知り合いに指摘され、〈アレ★Club〉の作業をリハビリで手伝いつつ、自分の失敗と失った1年を振り返っています。この文章を書くのにも、想定していたよりかなりの時間をかけてしまっています。
それでも、私は「自分」と呼べるものを、「さいむ」を取り戻しています。
今週末、高校時代の友人たちと久々に再会する予定があります。1年ぶりに会う人もいれば、久しく会っていなかった人もいます。これこそはまさにいわゆる現実の、リアルの人間関係です。ですが、それでも少し連絡を怠っただけで、彼ら彼女らとの距離は無限とも思えるほどに離れていきました。たとえ顔を合わせれば昔のように話せるとしても、姿が見えなくなった途端にその全てが虚構のように、嘘だったように思える。「人間関係」と呼ばれるものは、いつだって「過去」と「記憶」の中にしかないのではないか。私はそう思っていました。
その考えを、今も完全に捨て去ることはできません。それでも、そこで形作られた「さいむ=私」という存在は確かに「ここ」にあって、その存在を覚えている人がこの世のどこかにいる。そう信じることでしか築けないものが、手に入れられないものがある。
私は、それこそが大切だと思えたのです。
ネットと、ネットで「生きた」日々が、それを教えてくれたのです。
◆今回の件に関してのご連絡
最後に今一度、改めて謝罪をさせていただきます。
私こと「さいむ」は、一身上の都合でネット上における各種交流および〈アレ★Club〉での活動に対し、一切の事前連絡無しに雲隠れしてしまいました。ご心配をおかけした皆様、ご迷惑をおかけした〈アレ★Club〉メンバーの皆様、本当に申し訳ありませんでした。再びこのようなことが起きないよう、これからは事前の報告・連絡・相談などを徹底していく所存です。こんな私ではありますが、今後ともよろしくお願いいたします。なお、『コレ!』の各種連載も順次再開していく予定です。
【追記】
復帰してすぐ、〈アレ★Club〉内で緊急連絡先を共有しました。
くらはさんはとても優しい方です
[記事作成者:さいむ]
緑の人。ひょえー