前回:【第1回】マーガリントーストの思い出(永井光暁の「日々是飯日」)
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営業時間にもよるだろうが、実家が個人営業の飲食店だと、夕食を食べる時間がどうしても遅くなる。僕の場合、夕食は早くても日付が変わってから、遅ければ夜明け前という生活を、物心が付いた時からずっと続けている。そのおかげで、子供の頃から現在に至るまで「夜遅くに食べると太るよ?」や「夜食は体に悪いよ?」と事あるごとに人から言われる。確かに平均体重は同年代の男性のそれを大幅にオーバーしている(※1)が、幸いなことに春の健康診断では尿酸値やコレステロール値も全く問題がなかったので、まだしばらくはこの食生活を続けていけそうだ。
飲食業をやっていると、自宅で米を炊くことがあまりない。我が家では、基本的には店で余ったご飯をその日の夜から翌日の昼頃までに食べることが多い。どれだけ店が忙しくてもご飯を切らすのは飲食店の恥なので、無くなりそうになったら追加で炊くことは日常茶飯事だ。閉店時にご飯が全く残っていないということの方が珍しく、自宅で米を炊くのは店でご飯が残らなかった時か、店が休みの日の昼か夜くらいである。そのため、「炊き立てのご飯」というのは、僕にとってはそれなりにご馳走だったりする。
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そんな米だが、2010年代に入ってからは、1世帯当たりの米の消費金額がパンのそれを下回る状況が続いている。総務省統計局の調査によると、1世帯当たりの年間の支出金額を米とパンとで比較すると、平成22(2010)年には米が23,315円、パンが23,773円とそれほど差はなかったものの、この時点で既に消費金額の逆転が起こっており、平成29(2017)年には米が18,917円、パンが24,723円と約6,000円の差が生じている(※2)。
また、近年は「低炭水化物ダイエット」(「糖質制限ダイエット」とも)が流行しており、このことも「日本人の米離れ」に拍車を掛けていると考えられる。「低炭水化物ダイエット」について簡単に解説しておくと、これは肥満の改善や糖尿病の治療を目的に炭水化物の摂取比率や摂取量を制限する食事療法であり、元々は1972年に医師のロバート・アトキンスが自著『Dr. Atkins’ Diet Revolution』で提唱した「アトキンス・ダイエット」に端を発する(ちなみに、同氏の著作は日本でも邦訳版が出ており、2000年には同朋舎から『アトキンス博士のローカーボ(低炭水化物)ダイエット』が刊行されている)。
この「低炭水化物ダイエット」だが、日本では糖尿病治療の観点からの提言がなされており、平成24(2012)年12月に開催された「実地医家のための会」の第546回例会にて、糖尿病患者向けの食事療法として管理栄養士の原純也によって「カーボカウント法(食事ごとの炭水化物量をカウントする食事療法)」と「低糖質食」が紹介された(※3)。また、同年には男性向け健康雑誌の『Tarzan』が2012年10月11日号で、一般誌としては初めて「低炭水化物ダイエット」に関する特集を組んでおり(※4)、これらのことから昨今の「低炭水化物ダイエット」ブームは、およそ2012年頃から始まったものであると推測される。
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これらの是非や僕自身の見解についてはここでは触れないが、少なくとも今述べた事柄が原因で、米に対する風当たりが強くなっているのは事実である。前回の記事ではマーガリントーストについて書いたが、僕の家では今も昔も米の消費量の方がパンのそれよりも圧倒的に多く、パン派の母を除けば、僕も父も朝食(もっとも、夜型の生活なので食べるのは正午前後だが)は米食じゃないと落ち着かない。米食派の人間としては、この風潮は世知辛い限りである。
辛い話ばかりしても気が滅入る(し、この記事を書く気も失せる)ので、話を「炊き立てのご飯」に戻そう。先程も述べた通り、普段家で米を炊かない我が家において、炊き立てのご飯はそれなりのご馳走だ。実際、炊き立てのご飯は単体でも甘みがあって美味しく、非常に抗い難い誘惑に満ちている。少量のおかず、言うなれば「メシの友」さえあれば、それだけで何杯もおかわりができる。我が家の場合、炊き立てのご飯が食卓に上がる時は、味噌汁以外のおかずは1品か2品程度だ。しかも、手の込んだものではなく梅干しや海苔の佃煮がほとんどで、僕も父も自分の好きな「メシの友」を用意する。
一口に「メシの友」と言っても、家庭や地域によって様々なものがある。ごく一般的なものを挙げれば梅干し、海苔の佃煮、納豆、ふりかけなどだろうか。とはいえ、これらの一般的な「メシの友」の世界も奥が深く、たとえば梅干しなら「しそ梅派」と「はちみつ梅派」の論争は昔から聞くし、海苔の佃煮の場合も「ごはんですよ!(桃屋)派」と「アラ!(ブンセン)派」の争いがいわゆる「きのこ・たけのこ戦争」の如く続いている(※5)。また、最近では「おかわりJAPAN」のように日本各地の「メシの友」を紹介するサイトも出てきており、見てみると「メシの友」の多様さに改めて驚かされる。
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このように様々なものがある「メシの友」だが、僕の場合は、炊き立てのご飯に限るが卵かけご飯(以下、TKG)が一番のお気に入りだ。ただ、TKGも「全卵派/卵黄だけ派」をはじめ、「卵黄と卵白を一緒に混ぜる派/それぞれをセパレートして卵白だけ混ぜる派」(※6)、「ご飯に卵をかけてから混ぜる派/あらかじめ混ぜておいた卵をご飯にかける派」、「ご飯にかけてから調味料をかける派/あらかじめ調味料を卵に混ぜこんでおく派」、「『カラザ(卵黄に付いている白いひも状の部分)』を取る派/取らない派」など、様々な派閥が存在する(ちなみに、僕は「カラザ」を取った全卵を調味料と一緒によく混ぜてからご飯にかける派である)。
また、TKGにかける調味料も多種多様だ。代表的なものは醤油だが、この他にも塩、めんつゆ、(食べる)ラー油、焼肉のタレ、オリーブオイル、マヨネーズ、ゴマ油、タバスコなどをかける人がいる。さらに、最近はTKGにちょっとした食材を足す「ちょい足し」が流行っており、なめ茸、しらす、大根おろし、天かす、韓国のり、鰹節、キムチなどを足す人もいる。TKGの作り方は十人十色であり、調味料や材料の組み合わせも無限に存在する。しかし、どれも「卵かけご飯」であることには違いがなく、これだけでもTKGがとても懐の深い料理であることが窺い知れる(※7)。
僕の場合、これまでTKGにはずっと醤油をかけており、「ちょい足し」をする場合は鰹節と刻みネギがお気に入りだった。しかし、数年前に「煎り酒」を入手してからは、それが僕の中での最強のTKG用調味料となった。これは、日本酒に梅干し(鰹節や昆布を足す場合もある)を入れて煮詰めたものであり、江戸時代中期に醤油が普及するようになるまでは、庶民にとって最も身近な調味料の一つだった。調味料としての特徴としては、醤油よりも塩味がまろやかで、素材の風味が立ちやすい。そのため、白身魚の刺身に付けたり、うどんのつゆに入れると梅の風味も相まってとても美味しい。
この煎り酒だが、読者によっては『美味しんぼ』第5巻の第6話「牛なべの味」に登場する「シャブスキー」のつけダレとして知った人もいるのではないだろうか。シャブスキーとは、「しゃぶしゃぶ」や「すき焼き」を「肉を不味く食う方法」と酷評した海原雄山が紹介した北大路魯山人(1883~1959)のすき焼きの食べ方(いわゆる「魯山人風すき焼き」)の対抗策として、山岡士郎が作中で紹介した肉の食べ方である(※8)。僕も煎り酒を入手してからこの食べ方を試してみたが、しゃぶしゃぶやすき焼きよりも肉の味がストレートに感じられるようになるので、肉好きの人にはオススメの食べ方だ。
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前回の記事の最後で僕は「『食べ物』は誰もが口にするものである反面、僕たちにとって『当たり前のもの』となりやすい」と書いた。その意味でTKGは、卵アレルギーでもない限りはほとんどの人が口にしたことのある、僕たちの食べ物において最も「当たり前のもの」の一つだ。米だけはあるけどおかずがほとんどない時、手軽に朝食を済ませたい時、二日酔いで食欲がない時……人はそういう時に卵かけご飯を食べる。
先述したように、今の日本では米の消費が年々減少している。実際、僕の周りでも朝食はおろか昼食も夕食もパンや麺類で済ませる人が増えており、こういうことからも、米の消費が減っていることを実感する。だが、ホカホカのご飯はそれだけで一種のご馳走である。実際、飲食店は数多くあれど、炊き立てのご飯を出してくれる店はさほど多くなく、どうしても食べたい時は店の開店直後を狙うか、それが難しい場合は自宅で米を炊くしかない。
今回紹介したように、TKGには様々な作り方や食材の組み合わせが存在する。「料理が嫌い」や「料理が苦手」という人もいるが、TKGは誰でも簡単に作ることができる(※9)し、自分の好きな組み合わせを見つける楽しみもある。その意味でTKGは、僕たちが最も手軽に作ること、食べること、味わうことの楽しみを見つけるための入口なのかもしれない。もしこの記事を読んでTKGのことが気になったら、是非とも色々な作り方や調味料・材料の組み合わせを試して、「自分だけのTKG」を作ってみてほしい。別に難しいことをしなくても、料理の楽しみ、ひいては作ることの楽しみは、こういうところから見つかるはずだから。
【註釈】
(※1)
総務省統計局が発行する『日本の統計2015』によると、平成24(2012)年時点での30~39歳の男性の平均身長は171.2cm、平均体重は69.2kgである。
(※2)
総務省統計局「家計調査年報(総世帯・二人以上の世帯・単身世帯)」の「平成29年(2017年)年報」内の「時系列(支出金額)―2010年~2017年(<品目分類>1世帯当たり年間の品目別支出金額)」より抽出。
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031705261&fileKind=0
(※3)
原純也,2012年,「糖尿病食事療法『カーボカウント法と低糖質食』を知っていますか?(第546回『実地医家のための会』12月例会『糖尿病ケアまるわかり講座』)」(『人間の医学』第48巻第2号:41-46頁).
http://www.jicchi-ika.jp/report/pdf/546.pdf
(※4)
「糖質制限の過剰ブームは間違いだらけ? 過去4回『糖質オフ』を特集した『Tarzan』編集長に聞いた!【前編】」(ダ・ヴィンチニュース2017年10月26日配信記事)
https://ddnavi.com/interview/408947/a/
(※5)
「最強の海苔の佃煮はどっちだ!?東の「ごはんですよ!」と西の「アラ!」を食べ比べてみた」(ロケットニュース24 2016年11月22日配信記事)
(※6)
セパレートして卵白だけ混ぜるTKGは卵白がメレンゲ状になっており、この派閥にはそのふわとろ感を好む人が多い。しかし、卵白がメレンゲ状になるまでかき混ぜるのは大変であり、割と手間のかかる食べ方である。ちなみに、2017年にはこのセパレートスタイルを容易に行える『究極のTKG』というクッキングトイがタカラトミーアーツ株式会社から販売されている。
(※7)
『東方Project』の二次創作動画シリーズの一つであるsae氏が制作する『るみゃ語り』の第2話「卵かけ」では、TKGの懐の深さについて「カレー茶漬け」と表現している。詳しくは当該動画を参照。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm32248458
(※8)
なお、このシャブスキーは魯山人が年を取ってから考案した「魯山人風すき焼き」のバリエーションの一つであり、『美味しんぼ』オリジナルのレシピではない。
(※9)
そのため、日本に限らず海外でもTKGを作ることを「料理 (Cooking)」と呼ぶか否かについては議論が分かれる。
[記事作成者:永井光暁]
1986年生まれ。〈アレ★Club〉事務局長で機関誌『アレ』副編集長。某大阪府内の大学院の修士課程を修了後、ひょんなことからフリーライターになる。大学院での専攻はヨーロッパ方面の哲学。現在はライター業(お仕事ください)に精を出しつつ、空いている日は実家の飲食店で手伝い仕事をしている。カレーが好き。