名古屋弁について【「ことば」を語る(第1回)】

◆はじめに

 石川啄木が「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」(『一握の砂』)という短歌を詠んでいるが、最近、その気持ちがよく分かる。新幹線で東京から名古屋に帰ってきた時、周囲の人々が名古屋弁を話していることに安心感と嬉しさを覚える。「あぁ、故郷に帰ってきたんだな」としみじみ思う。子供の頃は意識しなかったが、20歳を超えた辺りから、この名古屋弁が自分の中で重要な一部をなしていることに気が付いた。そういうわけで、今回は私の「母語」である名古屋弁についてお話ししたい。

◆お年寄りの言葉?

 最初に、なぜ私が名古屋弁というものを意識しだしたのかについて書いていきたい。私は名古屋市の中村区という所で生まれ、小学校から大学まで、この中村区内で過ごした。中村区は豊臣秀吉の生まれた土地であり、いわば「ザ・名古屋」のような場所だ。私は中学2年生の時から東京に出てくる2年前まで、近所にある古武術の道場に通っていた。

 その道場の一番偉い先生(「館長」や「館長先生」と皆は呼んでいた)は、80歳ぐらいの人だった。入門に際してその館長先生と初めて話した時、私は先生の言葉に「典型的なお爺さんの話し方をしている」というような印象を抱いた。小学校のカリキュラムで近所のお爺さんやお婆さんから話を聞く機会があったが、その時に彼らが話す言葉と同じだったからだ。

 道場には「先生」と呼ばれる人が何人かいて、年齢は40代後半~80代とまちまちだ。私は稽古の時に先生たちが話す言葉を聞きながら、館長先生や年齢が上の人の言葉が自分や比較的若手の先生たちのものと違うと、しばしば思っていた。特に印象に残っているのは「あそばせ」や「○○さんがござった」という言葉遣いだ。そのような言葉を使う人は、私は館長先生やお年寄りしか知らない。

 そういうこともあって、そうした言葉遣いを私はずっと「お年寄りの言葉」だと認識していた。しかし、大学生になった頃に、それが名古屋弁であることを知った。その時、私はとても驚いた。自分の話す言葉と、先生やお年寄りが話す言葉が、同じ名古屋弁だとはとても思えなかったからだ。当然、館長先生を含めたお年寄りたちが話す言葉を、私は不自由なく理解することができる。しかし、そのように話すことはかなり意識しないと難しい。

◆名古屋弁と標準語

 私はよく東京の人から「高山さんは名古屋の人なのに全然訛りがないよね」と言われる。名古屋弁と標準語の混合が起きていないということだ。私の中では名古屋弁と標準語は全く別の系統として存在しているし、使用される状況も大きく異なる。

 私にとって名古屋弁が話される状況だが、これは基本的には家族や名古屋の親しい友人との会話に限られる。そのため私にとっての名古屋弁は、相手と気兼ねなく、ざっくばらんに話すための言葉である。これは言い換えれば、よく知らぬ人や年上、目上の人と話す時は地元の人が相手であっても標準語を使っているということだ。ちなみにこの記事も、標準語の回路を使って書いている。

 私の両親は、私に名古屋弁ではなく標準語を話させたかったらしく、子供の時から私は標準語で話すように教育を受けた。そのためか、幼い頃は「名古屋弁は恥ずかしいもの」という印象があった。無論、周囲が名古屋弁を使うので、私も友人といる時は自然と名古屋弁を使っていたと思われる。しかし、小学生の頃は周りの友達が使う方言が理解できないこともあった。たとえば、小学生の頃に友達が使っていた「ケッタ」という言葉の場合、その意味が「自転車」だと理解はしていても、自分で使うことができない。また、中学生の時には学校の先生から「高山君は関東出身だと思っていた」と言われたこともある。先生と話す時は基本的に敬語なので、名古屋弁を使わなかったためだろう。

◆「なも」という表現

 私にとっては「ざっくばらんな言葉」である名古屋弁だが、これは名古屋弁自体がざっくばらんというわけではない。何処の方言にもあるだろうが、名古屋弁にもしっかりとした敬語表現が存在している。たとえば「なも」という言葉がそれである。これは「~ですね」という意味だ。とはいえ、私の知る限りでは名古屋の人はほとんど使わない。そのため、「なも」がテレビなどで名古屋弁の例として取り上げられると、地元の人間から「そんなん使わんわ」とツッコミが入ることがある。

 多くの名古屋人が使わなくなっている「なも」だが、これはれっきとした名古屋弁だ。私は一度だけ、この「なも」が実際に使われる現場に出くわしたことがある。ある日、買い物に出かけようと部屋を出て自宅マンションのエントランスに降りて行った時のことだ。お年寄り同士が「あぁ、やっとかめなも(お久しぶりですね)」と挨拶を交わしていた。どちらも私と何度か話したことのある人で、その時はお互いに標準語で話していたと記憶している。しかし、彼らはその時、正真正銘の名古屋弁を使って会話をしていた。その場面に遭遇した時、私は軽い感動すら覚えた。

 とはいえ、感激する一方で、そこに寂しさも覚えた。なぜなら、私が彼らと同じように名古屋弁を喋ることができないからだ。本来ならば名古屋弁にあるはずの多様な表現を、私は使うことができない。彼らのような名古屋弁を日常的に使う人たちの間に、私は入っていくことができない。そこに、何とも言えない物悲しさを覚えた。

◆「ふるさと」としての名古屋弁

 関東に引っ越してからは、名古屋弁に触れる機会がぐんと減った。名古屋弁で話す人がいないので、そこは何とも堅苦しい場所のように感じられた。

 先日、名古屋の友人たちが東京にやってきたので食事をしたが、その時、皆が名古屋弁で喋るので安心して思わず笑ってしまった。私が「○○君、めっちゃ名古屋弁(笑)」と言うと「え、俺そんな名古屋弁で話しとる?」と返された。その日は、3時間ほど名古屋弁で語り合った。やはり、私には名古屋弁で話している時の方が楽しいし、安心する。

 かつてルーマニアのエミール・シオランという思想家は「祖国とは国語である」と言った。そういう意味で、私の祖国、私の故郷とは、名古屋弁に他ならない。

 「方言」というと、「日本語」という言語の中では何処か傍流のような感じがする。しかし、言語の数え方はそもそも恣意的であり、かつ政治的なものだ。たとえばヒンディー語とウルドゥー語は語彙や文法がかなり一致しているが、文字と国の違いゆえに別の言語として数えられる。一方、北京語と上海語は音声学的には別言語だが、どちらも中国語の方言として数えられる。1国1言語などという原則は、本来ならばあり得ないことなのだ。

 私たちが「方言」だと考えているものは、実際は一つの体系立った言語である。そして、言語はその言語による「世界」を作り出す。しかし近年、日本では多くの方言が消滅の危機にある。実際、東北出身の友人は「祖父母の話す言葉が分からないことも多い」と言っていた。はたしてこれは「時代の流れとともに消えるのは仕方がない」と、何もせずに放置していい問題なのだろうか。一つの「言語」が消滅するということは、一つの「世界」が消滅することを意味している。日本語はフラットな言語ではないし、その内部の多様性に目を向けるべきではないだろうか。

◆おわりに

 既に何度も書いたが、私自身はお年寄りが使うような名古屋弁は話せない。そして、だからこそ話せるようになりたいと切に思っている。家族や古い友人と話しているのに標準語を使ってしまうと、少しよそよそしい感じがする。流暢な名古屋弁で、近所のお爺さんやお婆さんと会話ができればどれだけ楽しいだろうか。次に名古屋に帰ったら、祖父母や友人たちと思う存分、名古屋弁で話したいと思っている。

[記事作成者:高山碧(@gaoshanbi)]
同人サークル<Project M.L.J>代表。同サークル機関誌『M.L.J』編集長。日々「名古屋に帰りてぇ~」と思っている関東住みの名古屋人。標準語、名古屋弁、三河弁、大阪弁(北摂)、英語、中国語、アラビア語(ちょっとだけ)に対応可能。たまに耳にする某市長の名古屋弁にイラついている。

※『M.L.J』Vol.1は現在、BOOTHにて通販を実施中です。

 

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