夏の風物詩である甲子園が盛り上がっている一方で、今大会は何かと議論の的にもなっている。たとえば、新潟県大会では昨年の夏に練習後に熱中症で倒れて亡くなった女子マネージャーの遺影を飾っている高校が話題になったり(※1)、第100回目にして史上初めてタイブレークが導入されたり(※2)、さらには2020年の東京都大会を東京ドームで行うプランが浮上したり(※3)と、毎日何かしらの話題がテレビやネットを賑わせている。
そのような中、今大会で特に問題となっているのが、投手の球数に関する問題と、試合中のガッツポーズの問題だ。
球数の問題は、甲子園に出場する投手の投球数が非常に多く、怪我により選手生命が断たれてしまうのではないか、という話だ。これについては球児たちの将来を心配する声がある一方で、「高校球児は覚悟をもって臨んでいる」、「限界ギリギリで投げる球児の姿に感動できる」といった声も見られる。
済美・山口の184球は「熱投」か。美化すべきでない異常な球数、問うべき投手起用のあり方
一方のガッツポーズの問題は、創志学園(岡山)の投手が大きなガッツポーズを注意されたという話題である。ちなみに、日本高等学校野球連盟(高野連)が定めている「高校野球特別規則」では特にルールとしてガッツポーズについては記載されていないものの、同じく高野連の審判規則委員会による「高校野球・周知徹底事項」には「喜びを誇示する派手な『ガッツポーズ』などは、相手チームヘの不敬・侮辱につながりかねないので慎む」と明記されている。この問題については「挑発行為に見える」という意見や「ルールにしっかり明記すべきだ」という意見などが見られた。
■「高校球児らしさ」とは何か?
ところで、この二つの問題について調べると、いずれにおいても「高校球児らしさ」というワードを何度も目にする。この「らしさ」というのは、一体何なのだろうか。少し考えてみても「熱いプレイ」や「まっすぐな態度」といった、どうにも抽象的なものしか思い浮かばない。
ならば、具体例に落とし込んでみるとどうだろうか。「一塁でのヘッドスライディング」や「負けた時の悔し涙」みたいなものは割と簡単に思い浮かぶが、今回のような「選手生命を危うくするような投球数」や「ガッツポーズ」がそれに当てはまるのか、それともそぐわないものなのかについては意見が分かれるだろう。だからこそ、これらの問題はワイドショーで取り上げられ、議論されているわけだ。
誤解を恐れずに言えば、結局のところ「高校球児らしさ」とは、個人や大衆の中にある勝手なイメージに他ならないのではないだろうか。多くの抽象的なイメージが巻き起こす議論がそうであるように、これらの話題も、最終的な結論が出ないまま何らかの対策が取られてその賛否が叫ばれるか、あるいは何の対策も取られずにしばらく放置されるかのどちらかだろう。
もちろん、「高校球児らしさ」のように抽象的なものについて議論したり、共有したりことは悪いことではない。こうした「一般意思」的なものは、物事をより良くするための源泉になるからだ(一方で悪くすることもあるが)。しかし、だからと言って高校球児をこうした議論で振り回すのは、少々身勝手が過ぎるのではないかとも思う。
高校野球には確かに固定のファンが存在する。しかし、昨今のそれは過度に「見世物」と化しているように筆者には感じられる。プロ野球や他のプロスポーツとは異なり、高校野球は本来ならば見世物ではないが、試合がテレビで中継されるのに留まらず、選手個人にスポットライトを当てた番組や新聞記事、ネットでの言及なども散見される(ちなみに、そのほとんどは敗れ去った球児たちを扱ったものだ)。
「高校球児らしさ」に関する議論は、これまでも幾度となくなされてきたし、今後も多分続いていくのだろう。だが、昨今の騒動を見聞きする限り「少なくとも『高校球児らしさ』とは『見世物になること』ではない」と、筆者には思えてならない。
【注釈】
(※1)
「練習直後に倒れ…亡き女子マネジャーへ、捧げる2本塁打」(朝日新聞,2018年7月22日配信記事)
https://www.asahi.com/articles/ASL7P2RPKL7PUOHB00N.html
(※2)
「夏の甲子園で史上初逆転サヨナラ満塁弾を生んだタイブレーク導入は成功か」(THE PAGE,2018年8月13日配信記事)
https://thepage.jp/detail/20180813-00000001-wordleafs
(※3)
「珍事!涼しい東京ドームで高校野球の決勝戦を」(リアルライブ,2018年8月13日配信記事)
https://news.nifty.com/article/sports/baseball/12184-42059/
[記事作成者:堀江くらは]