【第3回】出来たら配信!気が向いたら執筆!(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)


前回:【第2回】さいむ、誕生(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)

◆最初の情報発信

「さいむ」としてTwitterで活動を始めてすぐの頃から、私は一つの課題を抱えていました。それは、私のぼっち侵略感想をどこに書いたらいいのかということです。3巻発売直後(※1)は感想をそのままTwitterに垂れ流していったものの、そんな方法では他の人にとって見返すことが困難なものになってしまいます。「『ぼっち侵略』について私より詳しい人を探す」という目的から考えれば、私のような弱っちい人間がいっちょ前に感想を公然と掲げることは避けたかったのですが、一方で『ぼっち侵略』という作品を自分がどの程度知っているか、その目安としての感想の開示は今後の活動を考えれば必要な手間でした。こうして2013年は、私自身がインターネットでどのように情報発信を行っていくか、模索する年になりました。

そんな中で私が最初に手を伸ばしたのは、Evernoteで自分の考察を雑多に書き殴る作業でした。困ったことに当時のEvernoteはデータが消えたのか消したのか、引っ張り出してくることが出来ないのですが、内容は主に『ぼっち侵略』1巻に関する内容でした。各ページの内容がどのようなものか、等の細かい読解が中心でした。

このEvernoteでは、『ぼっち侵略』のオマージュに関する話題は書いていませんでした。『ぼっち侵略』には作者の小川麻衣子先生が影響を受けた作品のオマージュが多数含まれており、それが作品のテーマにも影響を与えているのではないか……というのが当時の私が『ぼっち侵略』を読む中で得られた最大の発見だった訳ですが、これらの発見は当時の私の中でも確証が無く(そもそもオマージュの定義づけすらまだ曖昧で、そこから導き出されるテーマについても言語化しきれていないような状態でした)、おいそれと口にはできなかったというのが主な理由です。他には、そういったオマージュ的な話題は所謂ハイセンスなものなのでおいそれと口にしてはいけない、という何とも見当外れな思い込みもあったのですが、これは後々フォロワーとのやり取りでそうではないことが分かり大いに後悔します(オマージュの存在を隠していたことではなく、それが殊更に凄いことだと思い込んでいたことをです)。

何だかんだ当時の私にとっては『ぼっち侵略』のオマージュこそがこの作品の最も核心に近い部分だと思っていたので、そこを隠したまま内容の読解だけをしていたのではモチベーションがあがりません。必然的にEvernoteの活動は上手くいかず、2014年末に始めることになるブログ活動までこうしたネットへの投稿活動が安定することはありませんでした。ただ、今のようにきちんと作品の説明さえまともにできないような状態で下手にブログ活動が上手くいってしまっていたらかえって不味いことになっていたかもしれないと考えると、ブログを始めずにいた1年間もそこまで失敗ではなかったと思えるのは事実です。

次に私が手を伸ばしたのは、ツイキャスによる生配信でした。それじゃあ感想を発信できても保存できてないじゃん! と突っ込む方もいらっしゃるでしょうが、これには理由があります。まず、当時はSkypeで『ぼっち侵略』の話をするということがまだ主流のコミュニケーション方法でした。その中で、今目の前の人に話しているような内容を大多数に伝えることができればそれが一番楽なのでは? と考えたのです。当時話した内容は記録にも記憶にも残ってませんが、基本的には『ぼっち侵略』に関することだったのでしょう。『ぼっち侵略』3巻発売から2ヶ月後、7月末から私はツイキャスで『ぼっち侵略』の感想を発信するようになりました。Evernoteには最新刊の話題も書かなかったため、しばらくはこのツイキャスでの配信が最も最新の感想や考察を公開する場となっていました。

◆同人即売会での失敗と気付き

その一ヶ月後、私はCOMITIA(以下コミティア)と呼ばれる同人誌即売会に一般参加しました。コミケには大学のサークル関係で一度足を運んだことはあったものの、同人誌、またはフォロワーとの交流目的で同人誌即売会に参加したのはこれが初めてでした。前回お話ししましたが、当時私は所謂アニメ批評界隈の人々と交流するようになっており、彼らの新刊がコミティアで発売されると聞き参加を決意したのです。勿論最大の目的はそこでフォロワーさんとより交流を深めることで『ぼっち侵略』について詳しい人を探すことだったのですが、それと当時に、評論系同人誌とはどのようなものなのかを一目見ておきたいという気持ちもありました。当時の私にとってそれは未知の世界であり、そこには『ぼっち侵略』の読みをより深めるためのヒントもあるのではないかと考えていたのです。

さて、実際に参加してどうだったかという話ですが……散々でした。まず会場が広い。しかも8月で暑い。一人で来たから頼れる人がいない。コミケ程混雑していないとは言え、こんな状況で知識ゼロの人間が狙ったところにすぐ辿りつけるほど大手の同人即売会は甘くありません。やっとフォロワーが本を売っているとおぼしきブースを発見しましたが、今度は声がかけられません。ただ棒立ちして新刊を20分立ち読みした後、震える声とともにやっと購入して逃走。Twitterで連絡を取った後、改めてようやくまともなコンタクトが取れるという有様でした。売り子をしていたフォロワーの人も「なんかめっちゃキョドってる人だなぁ……」という反応をなさっており、大変恥ずかしかったです。

このようにひどい結果に終わった同人誌即売会初参加でしたが、一方で購入できた同人誌そのものは私にとっては刺激的なものでした。それは評論系合同誌とでも呼ぶべき本で、色んな人が様々なテーマで論考やコラムを寄稿しているような内容でした。各人が好きなテーマで好きな書き方で文章を書いている、ということに私は惹かれます。こういう方法で『ぼっち侵略』について書くこともできるのか! という発見ができたのです。

評論系合同誌を読んで気付いたのは評論というものの可能性だけではありませんでした。「詳しい」とは何なのか、それを考え始めるきっかけも私に与えてくれたのです。その合同誌に寄稿している人達は、寄稿した原稿のテーマについて(少なくともその文章を読む限りでは)勉強なり準備なりをして、その結果を文章として私に届けています。低く見積もっても一つの結論を出せるくらいの詳しさを、彼らはそれぞれ持っていることになります。

そこで私はふと気付いたのです。「私は一体何を基準として他人の詳しさを考えているのだろうか?」と。自分の中に「詳しさの物差し」を持つこと無しに、他人のそれをはかることは出来ません。評論系合同誌に寄稿していた人達は、論考としてそれを発信することで各自の「詳しさの物差し」を読者に明示しています。そんな「他者に明示できる『詳しさの物差し』」が、私にはなかったのです。しかし、『ぼっち侵略』しかない自分に果たして物差しが存在するのでしょうか? 考えても答えは出ません。悩みはつきないまま、10月がやってきます。

◆せめて、“一番”が見つかるまでは

マチアソビ:ぼっち侵略1巻サイン
小川麻衣子先生から頂いた一枚目のサイン。作家さんはサイン中に話しかけまくられるとサインを描くのに苦労するという基本的なことを学びました。反省しています。

2013年10月は、今現在の私にとっても大事な時期でした。『ぼっち侵略』の作者である小川麻衣子先生初のサイン会が徳島県のマチ★アソビ(※2)で開催されたのです。私は大学の授業の合間を縫ってそのサイン会に参加しました。それがどのようなものであったかは私のブログに書きましたので、そちらをご覧ください。

このサイン会に参加する中で、私は考えました。このサイン会には最大50人が参加しているけれど、この中で私のように作品を読解したいと思っている人は何人いるか分からない。もし私が『ぼっち侵略』を読み込もうとまでは思っていない読者に『ぼっち侵略』の読解を提示して欲しいとお願いするのであれば、少なくとも私がその例を提示しなければ作品を読むという行為を互いに共有できないのではないか? と。そして私のように『ぼっち侵略』を読解している人に仮に出会えたとしても、その人の読解を図る物差しとして私の読解はやはり必要になるのではないか、と。

サイン会から帰る新幹線の中で、私はEvernoteを更新しました。記憶が正しければそれは3巻に関する内容でしたが、私はその記事に今までとは明確に違う方針を込めていました。すなわち、私より詳しい人が見つかるまで、私が仮の基準として『ぼっち侵略』に詳しい人になり情報を発信しようと、このとき初めて決意を固めたのです。暫定的な措置とは言え、それは「さいむ」が『ぼっち侵略』で本当に一番を目指そうとした最初の一歩でした。しかし、その「自分より詳しい人」という漠然とした概念同様、「一番」という基準さえも端的に言って間違った考えをしていたことには当時はまだ気付きもしなかったのです。

◆「さいむ」として立つ

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私が2015年以降同人即売会で使用していた自作アイコンの名札と付け耳。フォロワーの人と円滑にコミュニケーションを取るために初対面でも誰だかすぐ分かるようにしていました。でも名札はともかく付け耳って……。

サイン会の更に一ヶ月後、私は再び同人即売会に参加します。文学フリマ東京(以下文フリ)です。11月の寒空の下会場に向かうと、そこではコミティアの時よりも多くのアニメ批評界隈の人々が様々なアニメ批評同人誌を頒布していました。コミティアで一度経験していたこともあり、そのときの私は比較的スムーズにフォロワーとコミュニケーションを取ることができました。この中からきっと私より『ぼっち侵略』に詳しい人が出てくるに違いない! と私の胸は大きく高鳴っていました。

というのも、10月のサイン会以降、私は、自分より作品読解が上手い人に『ぼっち侵略』を読んでもらうことでその人に『ぼっち侵略』に詳しい人になってもらおうと考えていたのです。それは、「さいむ」として半年以上活動しても自分より詳しい人を見つけられなかったが故の代案でした。今思えば完全な押しつけなのですが、当時の私はそれがその人にとっても幸福だろうとまで無意識ながら考えていたほどなので、省みることはありませんでした。

そうしてアニメ批評界隈のフォロワーの人と交流する中で、図らずもその頒布活動の手伝いをすることが何度かありました。ここで誤解のないように捕捉しておきますと、同人即売会で参加していないサークルの活動にいきなり加わるのは良いマナーではありません。各サークルはそれぞれ細かいルールを定めている場合もありますし、そもそもフォロワーであろうと部外者がおいそれと口や手を出していいものではないからです。が、当時の私はサークル主と会話をしているうちにいつの間にか荷物の移動や新刊の在庫運び出しなどを手伝ってしまっていて(私から手を差し出したのか相手にお願いされたのかも微妙なくらい知らぬ間に手伝っていました)、彼らの輪にヒョイって加わってしまっていたのです。

そうして楽しく文学フリマの時間を過ごす中で、フォロワーの人から提案がありました。

「さいむ君、今やってるアニメで何か評論って書けない?」

「評論」の「ひ」の字にさえ足を踏み入れたことのない私にとって、それは魅力的な提案ではありました。ですが、私がそうした批評系同人誌に寄稿することは2016年までありませんでした。その理由は主に二つありました。まず第一に、私の目的はアニメやマンガ等の作品評論をしっかりやることではなく、あくまで『ぼっち侵略』をもっと知ることだったので、そこがブレるのは何となく嫌だなと思ったのです。第二に、『ぼっち侵略』という作品だけに属していた方が、何かしらの人の集まりに属するよりも効率よく情報を集められるのではないか? という打算もありました。他にも自分の実力が本当に評論誌に載る程度のものか分からないという疑問等色々ありましたが、ともあれ『ぼっち侵略』だけを自らの軸として他者に接し続けること、それがきっと正しい判断だろうと当時の私は感覚的に判断していたのです。

この判断が正しかったのか間違っていたのかは今でもよく分かりません。『ぼっち侵略』に専念することができたおかげで私は途中で『ぼっち侵略』を諦めることがありませんでしたし、一方で同人誌に寄稿しなかったことで誰かと疎遠になってしまうということもありませんでした。ただ、そうして誰かと何かを作る活動をもう少し早く始めることができればまた違った今もあったのではないか、と今でも思い返してしまうのは確かです。

◆そういえば、そんな出会いもありました

さて、文フリではフォロワーでないアニメ批評界隈の人とも交流する機会を得ていたのですが、その中である出会いがありました。フラフラと会場を歩いていると、突然前後を知らない人に挟まれてしまったのです。

「やぁ、そこの君! ……新刊、買わないかい?」

といった会話の後にいきなり手渡された本には、何故かコスプレしている人が表紙の本が。ページを捲ってみると、内容はアニメに関することでもなく、なにやら雑多な話題について個々に面白く言及しようというもののようでした。

目を白黒させていた私でしたが、折角の機会と考え、結局その同人誌を購入することにしました。後々その人達とも相互フォローの関係になるのですが……この出会いが、当時は否定していたサークルへの参加に繋がっていくとは、このときの私には知るよしもなかったのです。(続)

【注釈】
(※1)
公式では2013年5月10日(金)発売となっていますが、実際に店頭に並んだのは5月13日(月)だった記憶があります。

(※2)
徳島県徳島市で開催される、アニメ制作会社ufotableが企画制作するサブカルチャーイベント。私が参加したのはマチ★アソビvol.11でした。

次回:【第4回】その灯火を手がかりに(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)

[記事作成者:さいむ]