前回:「星空」がもたらす想像力とエネルギー:北海道地震の停電から考える【「数字」から垣間見る過去(第4回)】
フラッシュバックと呼ばれる現象がある。ふとした経験がトリガーとなって、全く状況とは関係のない過去のことが鮮やかに想起される現象のことだ。トリガーとなるのには様々なものがある。部屋の隅からひょっこりと出てきたオモチャであったり、特定の意匠や花であったり、あるいは街中を歩いているときに漂ってきた匂いであることもある。
今回は、そうした様々なモノの中から「住宅の外壁」に注目したいと思う。技術や文化や経済的事情などの影響で、住宅の外壁は大きく変わる。住宅の外壁は、その建物が作られた時代の様々なモノを私たちに示してくれるのである(リフォームされたりして外壁が大きく変わっていない限り)。ちなみに、今回はあまり数字は出てこない。
◆外壁の作り方の変遷
かつて日本の民家には、裸木造住宅という特に防火のための工夫が為されていない建物が多かった。そのため、大規模な火事が頻繁に起きていた。例えば、徳川治世下での江戸では頻繁に大火が発生していたというし(※1)、1923年の関東大震災では9万2千人にもなったという(※2)。近年でも2017年3月に糸魚川で大火が発生し、144棟が焼損するといったことがあった(※3)。こうした裸木造の建物は、現在では規制の対象となるケースもある(※4)。
裸木造に代わって、日本住宅公団の発足した1955年以降は(「色モルタル吹付け」の採用と挫折を経て)「リシン」を外壁に吹き付けるスタイルの住宅が広まっていくことになった(※5)。このリシン仕上げの壁を見ると、筆者は「ちょっと古めの建物なのかな?」という所感を抱くことが多い。

このリシン仕上げの壁のように、漆喰やモルタル壁などを用いた外壁の作り方はまとめて「湿式工法」と言われる。現場で水と混ぜながら作った材料を壁に左官さんが塗ったり吹き付けたりするためだ(※6)。
一方でこの湿式工法とは異なり、工場で生産されたパネルや合板などを現場で取り付ける作り方は「乾式工法」と呼ばれる。工場生産のパネルを取り付ける「サイディング」が代表的だ。湿式工法と異なり、材料が乾くのを待たなくてよく、しかも左官いらずなので、近年はこの乾式工法を採用した住宅が増えてきている。サイディングを用いた家を見ると、筆者は「最近建てられた家なんだろうな」と感じる。

◆どの壁にも新しかった時はあった
筆者は1980年代末の生まれで、子供の頃はリシン仕上げの家に住んでいたのが、2000年代末に上京してきてからサイディングを用いた築年数の浅い家を多く見るようになった。それからは、サイディングを用いた様々なデザインの新しい外壁に私は憧れを抱くようになっていった。その時期に筆者がそれまで経験できなかった様々な新しく楽しい経験ができたことも、そうした憧れを強化する役割を果たしたと思う。
その結果、今となっては自分の中ではどうしてもリシン仕上げの壁を見ると気分が沈み、サイディングを用いた壁を見ると気分が明るくなるようになってしまった。今住んでいる家も外壁にはサイディングを用いている。
とはいえ、当然リシン仕上げの壁には何の罪もないわけで、むしろ人によってはリシン仕上げの壁に懐かしさや温かみを感じるという場合もあると思う(なので、どれだけ気分が落ち込んでもなるべくリシンdisにはならないように気を付けている)。
そこで、リシン仕上げの壁に自分がネガティブなイメージを持ってしまった原因をもうちょっとだけ考えてみた。すると、自分の「リシン嫌い」は住んでいた家が既に建てられて三十年程度経っており、外壁が経年劣化していたためではないかということに思い当たった。
そこで気になって調べて初めて知ったのだが、実は経年劣化はサイディングを用いた外壁でも起こる。

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◆かつての憧れ、いまの現実
古びて手入れの行き届いていないモノを見ると、心が寂しくなるという人は少なくないと思う。Google画像検索でサイディングを用いた外壁が経年劣化を起こしている画像を見たが、自分はそのような外壁をほとんど見たことがなかったので軽く衝撃を受けた。今は新しく気分が高まる外壁も、いずれはこのようになる可能性が十分あるということだ。
このことを敷衍して考えると、将来生まれてくる世代の人々は私がリシンを用いた壁に対して抱くような感情をサイディングを用いた壁に対して抱くようになるかもしれない。また、翻って考えれば、リシン仕上げの壁も新しくできた時代には人々の胸を高鳴らせたのかもしれない。
ここで筆者は、かつて「文化住宅」という言葉があったということを思い出した(※7)。

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関東圏において文化住宅とは、大正期に建てられた和洋折衷的な一戸建ての建物を指す言葉だったという。それまでの住宅にはなかった様々な要素を取り込んだ、当時の人々の憧れを詰め込んだ住宅だったようだ。なお、関東と関西ではこの言葉が意味する対象は異なる。関西では文化住宅とは高度経済成長期に建てられて集合住宅について使われた言葉だ。これが文化住宅と呼ばれたのは、当時の集合住宅の多くとは異なり、便所や台所が各住居別であったからだという(※8)。
考えてみれば、リシン仕上げの壁を広めた日本住宅公団が生まれたのも、第二次大戦後の420万戸に上る住宅不足を解消するためであった。
人々はその時あるものを活用してできる限り良い生活をしようと努力してきたのかもしれない。だとすると、住宅を見ることは、その時代ごとの人々の現実と憧れを見ることに繋がっているのではないだろうか?様々な時代の現実と憧れを、住宅の外壁ひとつひとつから読み取ってみようとするのもいいかもしれない。
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【注釈】
(※1)
「江戸の火事 – Wikipedia」
(※2)
武村雅之
「過去の災害に学ぶ(第13回) 1923(大正12)年関東大震災 :揺れと津波による被害」
(※3)
糸魚川市大規模火災を踏まえた今後の消防のあり方に関する検討会
「糸魚川市大規模火災を踏まえた 今後の消防のあり方に関する 検討会報告書」
(※4)
安井昇、2014、「木造建築の防耐火性能:火事に負けない木造をつくる」『木材保存』、 40(2)、 46-54。
(※5)
小俣一夫
「吹付けの歩んだ道:嚆矢となった先人たちの偉業と企業の軌跡 」
(※6)
「乾式工法とは?乾式工法の意味を調べる|不動産用語集」
(※7)
「多摩の近代建築・歴史的建造物;「文化」今昔 八王子市 沢淵の文化住宅 | 東京都日野市の一級建築士事務所 タウンファクトリー一級建築士事務所(古民家再生、リフォーム、和モダン・和風住宅)」
(※8)
「文化住宅 – Wikipedia」
[記事制作者:市川遊佐]
〈アレ★Club〉副代表。趣味は業務改善と論旨構成。東京工業大学大学院博士課程修了。バイオインフォマティクスで工学の博士号を取ったが、色々とあって大学のアカデミックポストは諦めた。現在はアジャイル開発にハマっている。