前回:【第7回】接触、〈アレ★Club〉(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)
◆君じゃなきゃ駄目みたい
前回は2016年2月の出来事を紹介しましたが、実は今回も2016年2月にあったもう一つ出来事をお届けします。というのも、前回が〈アレ★Club〉に関わる出来事だったのに対して、今回は私と『ぼっち侵略』の関係に直接関わる出来事だからです。2月の中旬にあったこの出来事によって、私は『ぼっち侵略』を読み続ける中で探していた答えの一つを遂に手にすることになるのです。
まずその前に、私がこの頃『ぼっち侵略』とどう向き合っていたのかを説明しておきます。第6回でも書いたとおり、私はオマージュや細かい描写に依存することなく「自分が『ぼっち侵略』の何に惹かれたのか?」を言語化しようともがき苦しんでいました。2015年の後半に行った様々な試みはどれもその直接的な解決には至らず、『ぼっち侵略』を読んではその魅力を言葉にする努力を続ける毎日でした。読んでは考え、また読んではメモに書き出し、そしてこれは違うと破り捨てる。そういうことを何度も繰り返したのです。私がどういう人間であるか、作品に何を求めていたのかを考え直しても、それらはどうしても『ぼっち侵略』の描いている「何か」とずれてしまいます。
自分はぼっち侵略によって何を得たのか? 自分のどういう欠けている部分が補われたのか? 「作品読解」よりも「自己分析」の方を多くやってしまい、その結果、鬱々とした気分になる日もありました。『ぼっち侵略』の面白さを外に発信する活動を続けながら、その裏では『ぼっち侵略』を読んでいる自分という存在が分からなくなりつつあったのです。
しかし、それほどまでに苦しめられても、私は結局『ぼっち侵略』を読み続けました。私の心情とは無関係に『ぼっち侵略』は面白かったですし、また私が外部に向かって行ってきた活動の数々が逃げることを赦しませんでした。『ぼっち侵略』ファン活動は私にとって最早ライフワークとなっており、そうすることで私は日々の原動力を得ていましたから、『ぼっち侵略』で躓いた心を癒やすものも『ぼっち侵略』になってしまっていたのです。自分のあらゆる活動の全てを『ぼっち侵略』が回しながら、しかしそれほどまでに『ぼっち侵略』が自分に適合した理由を説明できない……。
そんな日々は、2016年2月某日、遂に終わりを迎えることになります。それは皮肉にも、私が一人で『ぼっち侵略』と向かい合っていたときではなく、外向きに『ぼっち侵略』ファン活動をしていた瞬間に訪れました。
◆君に届け
その日、私はとあるTwitterの相互フォロワーの方が配信されているツイキャスにお邪魔していました。その方とは、『アレ』や『エクリヲ』への寄稿経験があり、現在は批評系同人誌『大失敗』で活動されているしげのかいりさんでした。きっかけは思い出せませんが、しげのさんに既に『ぼっち侵略』を読んでもらっていた私は、しげのさんから感想を伺うべくコラボツイキャスを始めたのです。勿論、そこには私の本来の目的である「私より『ぼっち侵略』に詳しい人を見つけ出す」ことも含まれていました。しげのさんがもし初見で私よりも深い読みを披露してくれていたら(ここでの「深さ」の定義について、当時の私は全く考えていません)、それはすなわち私より『ぼっち侵略』に詳しいということになるからです。
ですが、残念なことにしげのさんからは『ぼっち侵略』についてあまり芳しい感想を得ることはできませんでした。どうやら『ぼっち侵略』があまり面白く感じられなかったようなのです。そして、「さいむさんはこの作品の何が面白いと思ったの?」という質問をいただきました。『ぼっち侵略』の面白いところは散々調べて書いてきた私ですから、当然すぐさま大量に話し始めます。ここにはこういうオマージュがある、そこにはこういう細かい描写があって、こういう意図がある……と、そんな感じです。
しかし、それについてもしげのさんは首を捻ります。この反応も私にとってはよく見かけた風景でした。『ぼっち侵略』の細かい話をしても、相手からいい反応が得られず、そのまま微妙な雰囲気で会話が終わってしまう……そして、その解決の糸口を探していていても、どうしても上手くいかなかったのが今までの日々だったのです。
どうしようか……私が思わず唇を噛んだとき、不意にしげのさんが言いました。
「さいむ君が今話しているのは、作品を細かく読み返した後に気づいた“知識”の話でしょ? そうじゃなくて、最初に読んだときに、さいむさんはこの作品のどこに惹かれたの?」
それは、私が今までずっと悩んでいた疑問そのものでした。当然、すぐ答えを口に出せるわけも無く、私は黙ってしまいます。しげのさんは、私が答えを出すのをじっと待っています。私からしげのさんのツイキャスにお邪魔したのに、これでは完全な放送事故です。何としても今この場で答えを出さないといけない。私は集中し、全力で考え始めました。
……このとき、私が何をどう考えたのか、実はよく覚えていません。あまりにも多くのことを同時に考えようとして、頭がごちゃごちゃになっていたのです。自分が今まで積み重ねてきた知識と経験の泥の中に沈んでいくような感覚でした。今から私が書くのは、その混沌とした思考を、今の私なりに順序立てて整理したものです。本当はもっとバラバラな手順でこうしたことを考えたという点を理解して、以下をお読みください。
◆ビリーバーズ・ハイ
私は昔から集団活動が苦手で、よく友達と上手くコミュニケーションが取ることができず、揉め事を起こすことが多い子供でした。本が好きだった私は、文章の読み書きでそれが挽回できないだろうか、そう考えました。直接的なコミュニケーションでない文章でのやり取りに熟達すれば今の自分の弱点を克服できる、そう考えたのです。
結果として、それは上手くいきませんでした。どれだけ文章力があろうと、それを書く本人の意識次第で幾らでもアクシデントは起きてしまうからです。どうすれば集団の中で生きていけるのだろうか。そう悩んでいた私は、高校生の頃、とある部活動に専念しました。その部活の顧問の先生が、「集団の中で生きていきたいのなら、人として何かの役割を果たせ」とアドバイスしてくれたからです。私は自分の役割を部活の中で果たそうと頑張り、また部活の仲間もそれを手助けしてくれました。自分のような人間を赦してくれた彼らに、私はとても感謝したのを今でも覚えています。
思えば『ぼっち侵略』も、孤独だった宇宙人が仲間や他人という概念を少しずつ学び、成長していく物語でした。ヒロインであり宇宙人でもある大鳥希は、地球侵略の際、細菌を地球に持ち込まないために、誰とも会うことなく機械によって育てられました。そのため、「他人」や「仲間」という概念に疎く、主人公の広瀬岬一に対してひどい行いを何度もしてしまいます。それでも広瀬岬一はそんな大鳥希を受け入れ、そして図らずも彼女の成長を促していくことになるのです。
私はこのツイキャスの直前まで、「『ぼっち侵略』は自分にとって欠けていた何かを埋めてくれた存在なのかもしれない」という予測のもと、何に惹かれたのかを考えようとしていました。しかし、それは間違っていたのです。私は『ぼっち侵略』に出会う前から既に救われていたのであり、もう未来に向かって歩き出さなければならなかったのです。しかし、高校を卒業した後、私は「あの高校生活は、部活動は何だったのか」を考えつつも、それを自分の中で整理できずにいました。そんなときに私が出会った『ぼっち侵略』は、私が如何にして救われたのか、そしてこれからどうしていけばいいのか、改めて目の前で再現してみせてくれたのです。だからこそ、私はこの作品を人生の傍らに置き、この作品のようにありたいと願ったのです。『ぼっち侵略』こそ、私の人生の途上そのものであり、そして未来への道しるべだったのですから。
……繰り返しますが、当時こういったことを整理して考えていたわけではありません。思考はぐちゃぐちゃのまま、こういった発想がジグソーパズルのように一瞬だけ繋がったのです。これだ、という確信はありませんでした。しかし、それでもすがるように、私はその発想に飛びつきました。
自分という存在がもしも既に救われた存在であるのなら、私が忘れていたものは何なのか。未来に向かって走り出していいんだ、そう思えたきっかけは何だったのか。『ぼっち侵略』が最初に思い出させてくれたものは何か。
問いの答えは短い単語へと集約され、私は頭で確かめるよりも先に、それを口にしました。
「……“赦し”、でしょうか」
30秒か、1分か、それとも3分か……どれほど黙っていたのかも分からないほど考え込んだ末の回答でした。言ってしまった。「今の言葉は正解なのか?」と再度自問自答するよりも早く、しげのさんからのリアクションが返ってきます。
「あぁ、なるほどね。それは面白いな」
このツイキャスが始まって初の好意的なリアクションでした。思考が追いつきます。そうだ、これでいいんだ。
「その発想はいいかもね。『バカでも生きていてよい』っていう肯定だから」
私の話を聞いたしげのさんはそう返してきます。少し首を捻りかけましたが、すぐにそれが正しい理解だと気づきます。大鳥希は頭は悪くありませんが、「他人」という存在を理解できず傷つけてしまったという意味では愚かでバカ、と言うこともできます。『ぼっち侵略』は、そんな彼女を赦すことで生きていていいと肯定する話なのですから、しげのさんの理解は、確実に作品の根幹を突いたものでした。
ここにきて、私は作品のテーマをはじめて他人と共有できている手応えを感じていました。その後、『ぼっち侵略』の参考になりそうな書籍をしげのさんから教えてもらい、ツイキャスは無事終了しました。
ツイキャスの配信を終えた後も、私は自分が得た手応えに興奮を抑えられませんでした。自分が惹かれていたものの正体、そして作品の全体像が、今までとは全く異なる形ではっきりと掴み取れます。『ぼっち侵略』をはじめて読んだあの日のことも、もうしっかりと思い出せるようになっていました。
もう間違えない、そう思えた夜でした。
この日以降、私は『ぼっち侵略』を「赦し」というキーワードを軸に語るようになります。今までの細かな要素の説明ではない、作品の魅力を自分なりに語ることを可能にする一つの言葉。最初に『ぼっち侵略』を読んで以来、ずっと求めていた答えの一つを、私は手に入れたのです。
このように、『ぼっち侵略』については大きな進展を迎えた2016年2月でしたが、前回も書いた通り、この頃から私は〈アレ★Club〉に寄稿する「ヒーロー考」の原稿にも着手していました。それは、『ぼっち侵略』で私が味わったものとは全く別種の、新たなる地獄の始まりでもありました。「さいむ」が『ぼっち侵略』と共に走り抜ける七転八倒の日々は、その彩りを変えながらもまだまだ続くことになるのです。(続)
次回:【第9回】〈アレ★Club〉と『ぼっち侵略』(前編)(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)
[記事作成者:さいむ]
緑の人。ひょえー