『命題コレクション 社会学』:社会は一体どこにある?【山下泰春の「入門書」入門(第7回)】


◆「社会」は一体どこにある?

Societyという語を「社会」と訳したのは明治時代のことであった。それを今の私たちは何も疑うことなく、「社会」という語を日常的に使い、話している。例えば、社会科学、社会制度、社会福祉、社会保険……等々。挙げていけばキリがないが、どうやら社会というのは(文化や世間という語もこれに近いが)、何となく「ある」らしいが、どこにそれがあるのかは分からない。それが具体的な実体を伴うものなのか、人間の数の総和なのか、人工的な規範なのか、少なくとも私にとってはいまいちピンと来ない。

では、社会を扱う学問たる社会学では一体どのように定義されているのだろうか。結論から先に言えば、残念ながらそれもまとまった見解というものは出ていない。これは1983年に、1mの長さが「光が真空中を299,792,458分の1(≒約3億分の1)の時間に進む距離だ」と定義された物理学の分野とは対照的ではないだろうか。聞いた話では、「社会学者の数だけ社会の定義がある」と言われることもあるらしく、社会というものがあまりにも複雑なことの裏返しなのかもしれない。

ともあれ、だからと言って社会学という学問がこれまで手をこまねいて過ごしてきた訳ではない。今回紹介する『命題コレクション 社会学』の編者である作田啓一・井上俊の両氏は、社会学という分野において巻き起こってきた論争の中で、今でもなお生き残っているものを、とりわけ〈意外性〉や〈非自明性〉という観点から選び出し、命題コレクションという形で編んだのだと言う。端的に言えば、この書は、社会というものを、人間の行為との関係から、または集団と組織から、あるいはシステムとして見る立場等、様々な角度から考察した社会学者たちの打ち出した命題について各研究者が解説しているものであると言える。

◆現代を見るための社会学

例えば、私が『アレ』Vol.3の記事で触れたE・ゴフマンという社会学者についても取り上げられており、彼が取り組んだ問題は、まさに〈非自明性〉のあるものだったと言えるだろう。ゴフマンは、私たちが日々経験している様々な人との対面場面について考察した人物であり、例えば彼は〈儀礼的無関心〉という概念を生み出した人物である。それはつまり、エレベーターに何人かで乗り込んだ時、私たちは無意識に「相手をじっと見ない」ようにしている、それはつまり、相手に対して見て見ぬ振りをすることを儀礼的に行っている、ということを意味している。

他にも、L・フェスティンガーという社会心理学者が提起した「認知的不協和」なども、私たちの日常を読み解く上では重要だろう。それはつまり、人間は自分の生きる世界にたえず意味秩序をもたらすべく行為しようとする動物であり、そうした「意味の一貫性」を目指してしまう性は、しばしば現実の否定をも行ってしまう、というものである。そうした認知的不協和の例として、フェスティンガーはデマを挙げる。なぜ不吉なデモがはびこるのかについて、彼は人々が感じる怖れや不安を正当化するためであると述べている。

上記のような例は、あくまで48個ある命題集のうちのほんの一例である。ただし、留意しておくべき点が二点あって、この文庫版では元となった同名の本(1986年初版)が存在しており、その元本から2項目削除されていること、そしてこの文庫版も、1980年代当時の日本の社会学の研究状況を反映している、ということだ。前者に関しては何かしらの事情があるとして、後者に関しては、時代を経ることで、より「現代でも有効か否か」という視点がより鮮明になっていると言えるだろう。上記で挙げたゴフマンやフェスティンガーなどの研究は、まさに現代でも通用し得るものである。

◆複雑な「社会」を分割しよう

ともあれ最初の話に戻ろう。「社会」とは一体何なのか。もちろん、既に見てきた通り、それは一つの命題のような形でまとめられるようなものではない。仮にある程度妥当性が認められるような命題(たとえば「社会はそれを構成する個人の総和以上のものである」というような)が提示されたとしても、それはやはり「ある程度」の妥当性でしかない。そこで見逃されているものを取り上げ、それを包括する新たな枠組みやその機能の妥当性を考え続ける――こうした姿勢こそが社会学、ひいては学問の営みの本質であると言えるだろう。

「現代社会は複雑だ」とはよく聞く。だが、「複雑」ではない「現代」「社会」とは果たして存在していたのだろうか。もっと言えば、複雑という概念も、やはり相対的なものであって、何とどういう部分において比較した場合に「複雑」と判断されるのか。そうしたことに疑いの目でかかるのも、ある意味社会学らしい発想なのかもしれない。「困難は分割して考えよ」とはデカルトの言葉だが、私たちはそのような「複雑な社会」について、少なくとも48もの分割された視点を、この書を通じて得ることができる。

最後に、こちらは入門書ではないが、社会学がなぜ「社会」を捉えそこなうのか、ということについて社会学者の立場から、初学者にも分かるように書かれた名著である。機会があれば是非ご一読して欲しい。


[記事作成者:山下泰春]