「表現による謎の世直し」をテーマに、音楽とコミュニティを紐づける様々な活動を各地で行っている文化活動家のアサダワタル氏。今回は今年6月に刊行した新著『想起の音楽:表現・記憶・コミュニティ』(2018,水曜社)の出版を記念し、イベントで来阪中だったアサダ氏に〈アレ★Club〉がインタビューを行った。(聞き手:山下泰春・永井光暁)
【インタビュイープロフィール】
アサダワタル(Wataru Asada/@WataruAsada)
1979年大阪府生まれ。現在、東京都小金井市に在住。文化活動家・アーティスト・博士(学術)。「表現による謎の世直し」をテーマに、これまでに「住み開き」などの様々な活動を行う。また、2016年には滋賀県立大学大学院環境科学研究科にて、学位論文『音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインの研究』で博士号を取得。現在は自身が設立した個人事務所〈事編 kotoami〉の代表を務める傍ら、大阪市立大学都市研究プラザの特別研究員としての研究活動と並行して、継続的に創作・文化事業などの実践活動を展開している。サウンドメディアプロジェクト〈SjQ/SjQ++〉のドラマーでもある。
◆最近のアサダワタル
―まずは改めて『想起の音楽:表現・記憶・コミュニティ』(以下、『想起の音楽』)のご出版おめでとうございます。イキナリで申し訳ないんですが、最近どうですか?
『アレ』Vol.3のインタビュー(2017年9月)を受けてからという話だと、あの後はいくつかのプロジェクトを各地でやりつつ、引き続き執筆活動も並行してやってました。去年の年末から今年の3月くらいまではこれまでの活動やコミュニティのことを今回出した本にまとめていましたが、それもその一つですね。相変わらずですけど、何かに絞ってという形ではなくて、色々なことをやってきました。そういう意味では、取材を受けてから何かがパキッと変わったということはなくて、あの時の延長線上にあることをずっと続けてきたという感じですね。
―『アレ』Vol.3のアサダさんのインタビュー記事(「日常と場所:コミュニティと繋がりの発想法」)については、編集部が把握している限りでは「やっとアサダさんが何をしている人なのかが分かった」という感想をしばしばいただいております。
マジですか(笑)実は、僕の周りでも結構反応をいただいています……というか、僕のインタビュー記事もそうなんですが、僕のことは知っていたけど『アレ』を知らなかったっていう方から「『アレ』っていう雑誌はメッチャ面白いね」っていう感想をもらってます。
しかし……そうか、僕は謎の存在だったのか……(笑)いや、確かに友達からも「お前、自分のやってること分かってもらうつもりないやろ」って言われたりするんですよ。そんなことはないはずなんですけどね。これは『アレ』Vol.3のインタビューでも少し触れましたが、僕は自分の活動を上手く説明してくれる既存のカテゴリーがなかなかないと思っているからこそ、どうやってそういうカテゴリーを介さずに僕の活動がどんなものかを伝えようかずっと考えてきたんですが、まだまだ伝え切れていないようですね……。
―『アレ』Vol.3のインタビュー記事の最後の方で「今は子供がいるので(中略)生活の状況に引っ張られていくことになる」と仰られていましたが、「生活の状況」という点では何か変化はありましたか?
先に前置きについて話しておくと、これは取材の時にも話しましたが、僕は元々は関西で生まれ育ちました。それで、色々とあって関西以外の地域でも仕事をするようになって、2010年頃からは東京でオフィスを借りるようになりました。今は中央線の武蔵小金井にオフィスを構えていますけど、要するに僕は大阪と東京の二拠点生活をずっと送ってたんですね。
「生活の状況」という意味では、僕は元々滋賀県で〈ボーダレス・アートミュージアムNO-MA〉という「社会福祉法人グロー(GLOW)~生きることが光になる~(旧:滋賀県社会福祉事業団)」が運営している美術館にずっと関わってきました。〈NO-MA〉は障害を持っている方々の表現活動の支援や作品の展示を通して「人が持つ表現衝動とは何か?」や「表現の本質とは何か?」といったことについて発信していく場所なんですが、端的に言えば「福祉」と「芸術」の「あわい」について探求していく活動を2004年からやっている場所なんですよ。僕もこれまで委員の一人として関わったり、それから音楽やパフォーマンスについてのワークショップを開いたり、こういった「あわい」をテーマにしたラジオ番組のパーソナリティをちょうどこの3月まで4年半担当してきました。
それで、これは本当につい最近のことなんですけど、「グロー(GLOW)」を含めたいくつかの社会福祉法人が中心になって、これから品川区で新しい福祉の形を作っていくプロジェクトを始めるんですよ。まだ未確定な部分もありますが、ハードとしても6階建ての施設を作る予定なので、結構大きなプロジェクトになると思います。一応、そういった施設を作ること自体は数年前から知っていたんですが、今そこに美術館とホールを入れるという計画が進んでいて、実現すれば全国的にもかなり珍しい事例になるんですが、そこのディレクションをやることになりそうです。これまで話がなかなか進まなかったんですが、ここ2ヶ月くらいで急に話が動き出して、イキナリ区との会議にも呼ばれたりして一気に忙しくなりました(笑)
で、このプロジェクトがこの10年の僕の仕事と違うのは「具体的な場所を持つ」ということです。一応、2010年3月までは大阪で場所を持って仕事をしていましたが、大阪を離れて各地を転々とし、東京に移ったこの2010年代は特に場所を持たずにプロジェクトをやってきたんですよね。なので、来年以降は約10年ぶりに場所を持つことになります。それが僕の中での大きな「変化」ですかね。この話があったからこそ場所を運営することに再び興味が湧いてきたし、僕自身、今までやってきたことを総合的にどうやってそこに持ち込もうか色々と考えています。
―10年のブランクがあるとのことですが、久々の場所作りについて何か思うところはありますか?
「場所」って、なかったらなかったでフットワークが軽くなって動きやすいのは事実なんですよね。だけど、「場所」がないと今度は「活動」が見えにくいんですよ。今回新しい本を出しましたけど、僕の場合は本が「活動」を表してくれるものになっています。そういう意味では本もある意味で「場所」みたいなもので、「場所」があることで「活動」のニュアンスや空気感が凝縮されて見えてきます。ただ、ここ10年はそのこと自体の窮屈さがネックだったので、特定の「場所」を運営することはしなかったんですが、そろそろ自分のキャリア的に「福祉とまちと表現」ということを象徴的にやる時期が来たということもあって、今回の「場所」作りに関わってみようと思いました。
これからやる場所作りですが、自分自身としては今までの活動の曖昧な部分をクリアにしたいと思っています。また、今まで関わってきた表現者や先端的な福祉活動に携わっている方々、広い意味での同志というか、とのコラボレーションをやっていきたい。一方的に全てをディレクションするというよりは、彼ら彼女らをコーディネートさせていただきつつ、それぞれがもっと自発的に活動してもらえるような「場所」を作ることを目指しています。そういう人と人とを結び付けてその場を編集するというようなことは昔大阪にいた頃には結構やっていたのですが、しばらくブランクがあった後でまたそういう「異なる背景や知恵を持った人と人との出会いの編集」みたいなことに戻ってきた感じですね。
―『アレ』Vol.3を少し前に〈ココルーム〉さんに献本に伺った際、代表の上田假奈代さんが「アサダ君最近見てへんなぁ」ということを仰られていたのですが、最近は大阪でのイベントはあまりやっていらっしゃらないのでしょうか?
大阪には毎月来ているんですけど、〈ココルーム〉にはあまり顔を出せていませんね。『アレ』Vol.3のインタビューでもお話ししましたが。僕は最近、堺市にある〈kokoima〉というコミュニティカフェ兼イベントスペースに毎月顔を出しています。インタビュー記事を未読の方向けに改めて説明しますと、〈kokoima〉は精神疾患を抱えた患者さんが多い浅香山病院の長期入院者の人々の居場所を作る目的で立ち上がった場所で、浅香山病院の元看護部長の小川貞子さんを中心に、看護師の方々が主な運営を担当なさっているんです。その場の立ち上がりには、僕の仕事仲間でもある大西暢夫さんという写真家が患者さんの写真を撮って、それを患者さんや看護婦さんと一緒に地域でその写真の写真展をする「ナラティブ写真展」っていう企画と関係があります。この写真展では、写真を見ながらそこに写っている当事者の方がその写真について喋るということをやっていて、僕もそこに遊びに行ったことを発端にし、小川さんたちと出会い、かつ小川さんが僕の書いた『住み開き:家から始めるコミュニティ』(2010,筑摩書房)を読んでくれたこともあり、そこから彼女から場所の立ち上げについて力を貸して欲しいというお願いがあった。そうして関わりが始まったんですね。2015年の春のことです。その意味で〈kokoima〉は僕にとっては自分が関わらせてもらっている「場所」という現場であると同時に、今自分が着任している大阪市立大学の都市研究プラザ特別研究員のお仕事における「研究対象」(※1)でもあるんです。
◆『想起の音楽』について
―ここからは新著『想起の音楽』のお話を伺いたいのですが、まずは『想起の音楽』がどんな本なのかについて、著者であるアサダさんからご紹介をお願いします。
『想起の音楽』は、僕が滋賀県立大学で2013年~2016年に書いた博士論文「音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインについての研究」を下敷きに単行本向けに加筆修正をしたものです。大まかな内容としては、音楽の持つ「記憶を呼び起こす」という機能について、それがノスタルジアを感じさせるということだけでなく、そこに立ち会っている様々な人々にとって、その表現を通して色々な「記憶」を交換し合うことに繋がっていくというところに着目した本です。これは、ある意味で音楽のリミックスや記憶のリミックスみたいな話にもなっていくのですが、音楽を介して普段は表に出てこない人の側面を互いに共有・交換し合うことで生まれる、コミュニティ内での更新され続ける繋がり・関係性が存在するんですね。そして僕は、この繋がり・関係性の更新こそが音楽を通したコミュニティ作りの本質なのではないかと考えていて、これを通して新しい音楽の可能性を示そうと考えています。具体的には、自分が作ってきたコミュニティの事例はもちろん、自分が感銘を受けた北九州にある〈カラオケスナック銀杏〉の入江公子さんという方の活動を取り上げて、そうした事例について理論的な観点も盛り込みつつ考察しています。
とはいえ、この本は僕にとってかなり難産したものなんです。自分にとって「音楽とコミュニティ」というテーマがあまりにも距離が近いものだったこともあって、当初はなかなか対象化して書くことが難しかったのですが、お世話になっていた先生に「大学院に行って研究としてそれを書けばいい」というアドバイスをいただいたことでようやく書くことができた本なんですよね。だから、この『想起の音楽』は僕にとっては初の研究書でもあるんです。書くのはしんどかったですが、おかげで自分の活動に「研究」っていう手段で厚みを与えられたなと思っています。
―とすると、『想起の音楽』はある意味で、これまでのアサダさんのご活動についての集大成といった位置付けにある本なのでしょうか?
もちろん今もまだ過程の途上ではありますが、この段階で一旦、書籍として形にしておきたいという思いはありましたね。もちろん、研究が自分の活動を支えてくれる部分は多々ありますが、やっぱり自分は研究者というよりは実践に生きる人間になりたいと思っていたので、一先ず出版することで、研究メインで動く活動にケジメをつけたかったところがあります。
―『アレ』Vol.3でもコミュニティ作りについて色々とお話をしていただきましたが、「音楽とコミュニティ」という点に絞って考えた場合、他の芸術行為と比べて音楽が持つ独自の特徴とはどういうものでしょうか?
音楽って、実はコミュニティデザインをするのに元々向いてるものなんですよね。音楽フェスとかが分かりやすい例ですが、音楽は個人の表現でありながらも、聞き手の共同性や同じ景色を見る感覚を生み出す上でとても大きな力を発揮します。2000年代半ばくらいまでは、個々人が音楽から受け取る感覚の違いが、コミュニティの生成にとってマイナスに働いてしまうのではないかと思っていたのですが、最近は音楽がそうした差異に光を当てて、それらを活かしつつ内包するコミュニティを作る力を持つことが見えてきたんです。その力こそ、『想起の音楽』にも書いている聞き手の一人一人にそれぞれ違う記憶を呼び起こさせる機能なんです。そしてそこを掘り下げていけば、「共異体」的なコミュニティをデザインをしていくための音楽という、僕が本来得意としてきた技術が使えるんじゃないかということに思い至ったのが、僕が30歳を過ぎた2010年くらいの頃のことですね。
―「音楽を通して集まったり繋がったりする」ということを考えると、多くの人はフェスのような「イベント」をイメージするのではないかと思われ、アサダさんがやっておられるような「場所」を作るということはなかなか想像しにくいようにも考えられます。その上で、アサダさんが考えておられる「音楽を中心とした場所」とはどのようなものでしょうか?
抽象的になってしまいますが、単に一人あるいは複数の人が演奏しているのを皆で聴くというのではなくて、聴衆もまたそこで作り出されている音楽に貢献していて、かつその貢献が見えやすい形で示されるような場所ですね。そこで僕が注目したのが、聴くことによる関係性の誕生です。たとえば、『想起の音楽』でも紹介している、ミュージシャンであり長年音楽教育にも携わってきたクリストファー・スモール(1927~2011)が提唱した「ミュージッキング(musicking)」という概念がありますが、これは大まかには「作曲」「演奏」「聴取」という通常僕らが想定する「音楽的行為」に加えて、その「行為が成り立つ場を支える行為までもが“音楽的行為”である」と言い切ってしまった概念です。例えば、コンサートのチケットの「もぎり」や掃除夫の行為も「音楽をしている」と。そして、そういった「音楽をし合っているという、“関係性”」もまた「音楽的行為」であると。例えば、僕の本に照らし合わせれば、それはリスナーがそれぞれに音楽を聴いて、思い出したことや考えたことをそれぞれ言葉にして、そしてその言葉を見聞きした人がその音楽の聴き方を変えていくという、変化の連関そのものも「音楽」と言い切っていい、ということなんです。ややこしいですよね(笑)
―今のお話は、『アレ』Vol.3でアサダさんと同じくインタビューをさせていただいた〈アトリエ・ワン〉の塚本由晴先生の「コモナリティ」の概念(※2)や「ふるまい」の話にも通じるところがあるように思われます。
そうですね。塚本さんのインタビュー記事に絡めて言えば、僕が書いた『想起の音楽』は音楽に対する「ふるまい」の問題でもあるんです。たとえば本の中でも紹介したティア・デノーラ(1958~)という音楽社会学者は、音楽がリスナーによってどのようにそれぞれの日常の文脈で勝手に使いこなされているのか、どういう環境でどんな音楽を聴いて自分たちの感情をコントロールしているのかということを『Music in Everyday Life』(2000)という本で考察しています。
でも、こういう研究って実は日本だと少ないんですよね。なので、じゃあ僕が実践も兼ねてやっていこうとなったんです。そこで、例えば先程出てきた〈カラオケスナック銀杏〉の入江さんとかが出てくるんです。実際あの人は凄くて、自分で勝手にカラオケの映像を作って、つまりはその曲についての彼女自身が持つ固有の記憶を映像化して形にしているんですよ。これは、試みとして面白いということ以上に、「音楽に対するふるまいの在り方とはどういうものなんだろう?」という問題を浮上させるきっかけとしてとても有効なんですよね。「作曲する」でも「演奏する」でも「聴く」でもない、だけどその行為から見えてくる「コモナリティ」とは何かみたいな……若干無理矢理でしたが、繋げるとそういう風な話になると思います(笑)
とはいえ、こういうことをする時に問題になるのって、やっぱり著作権なんですよね。僕の活動は場合によっては弁護士に相談して何とか対処していますが、皆が皆そういう風に対処できるわけでもない。こういったコミュニティをより活発なものにしていくためにも、「著作権との付き合い方」についてはもう少し考えなきゃいけない部分だと思います。
◆音楽を演奏する「場所」と「価値」
―「音楽とコミュニティ」について考えると、「音楽を“何処”で演奏するか?」という問題も出てくるのではないかと考えられます。これは例えば、ある地域で演奏するにしても、どうしてその地域で、その曲のラインナップで、その曲の並びで演奏するのか、という話です。また、アートの世界ではアーサー・ダントー(1924~2013)が唱えた「アートワールド」のように、一部の資本力に富んだ購買者によってアートの価値基準が決まってしまう構造がしばしば問題視されますが、こうした音楽がある「場所」やその「価値」については、どのように考えておられますか?
今のご質問はかなり重要で、本来ならば問題にしなくちゃいけない部分なのに、大抵やり過ごされちゃったり見過ごされちゃったりする部分ですよね。あと、一部の支援者が価値基準を決めちゃうって話は、とても西洋っぽい話でもある。でも音楽はもちろん、美術もそうですが、一つの価値基準に縛られなかった、その外部にあったものって絶対にあるはずなんです。例えば音楽なら「民謡」がその例でしょう。どの文脈が強いか弱いか、という問題はあるかもしれませんが、「アートワールド」のような大きな文脈だけではなくて、地域や場所ごとに様々な文脈はあっていいと思うし、あるべきだと思います。
「価値」の話についてもう少し言えば、大石始さんっていう音楽ライターさんがいらっしゃるんですが、最近、足立区千住エリアでやっている「千住タウンレーベル」というプロジェクトに関わっていただいてます。あの方は民族音楽とかも含めた色々な世界中の音楽を聴いていて、その中で日本の盆踊りとかお祭りの音楽に注目していくつか本を書いておられます。大石さんの本は、音楽に触れる時の基準をフラットにしてくれる見方をベースに書かれていると個人的には思います。
例えば、そもそもお祭りでの音楽の在り方について考えると、あれって「聴く」ことが主な目的じゃないんですよね。お祭りという「場所」を作り出すという、「その場」や「その土地」の文脈の上で成り立っている役割がある。でも、それを録音してCDにして、そういう形で「聴く」ものとして距離を取ってしまうと、まず「これこそが●●民謡である」っていうスタンダードを作ることになる。いわゆる「正調」という問題です。すると、そのスタンダードは次第に力を帯びて、広くその民謡の「本物」として流通する。あるいは、こういう力の付け方を利用して現代の文脈に沿った新民謡みたいなものが作られて流通したりもする。
で、こういうことを考えた時、大石さんがやっておられる盆踊りや民謡の研究というのは、「真正性(オーセンティシティ)」や「やっぱり“本物”がいいよね」的な考え、あるいは「伝統」を尊重する流れもあっていいけど、他方でニュータウンとかのお祭りで流れてる「アラレちゃん音頭」みたいなものから僕たちが学ぶことは何もないのか、そういった「場所」に支えられた表現というものは本当に何もないのか、という問題提起になるんですね。どうして大石さんがそういう問題提起をしたのかというと、彼は幼少期三鷹辺りの郊外に暮らしていて、さらに川越のより一層郊外の風景で青春期を過ごしたそうで、彼の原風景にあった音楽として今言ったようなものがあったからだと思います。こうした「●●音頭」の価値を考えるとなれば、もちろん「伝統」とか「本物」とか、そういう「既存の問いかけ」から価値判断を始めたって何の意味もないんですよ。
あと、大石さんと先日話していて、三重県四日市市出身のJEVAさんというラッパーの活動を知りました。彼の『イオン』という曲のPVが面白くて、イオンの中でふざけて遊びまくるって内容なんですけど、一方で歌詞に注目すると「昔は良かったじゃないけども/豊かになるのもまた物悲しいかも/変わらず大好きな場所だけど/デカい力に呑まれた様な気分さ」というフレーズがあったりするんですよ。JEVAさんはこうした自分たちにとって土着の原体験としてのイオン、つまりはショッピングモール的なものがある現状を認めつつも、でもそれだけだとなんか寂しいよね、という思いを歌詞に乗せていて、僕自身もこういう感覚は必要なものだなと思うんですよね。
もちろん、「こういう薄い体験は“原体験”なんて言えない」みたいな意見もあると思いますが、でも、現にその体験がベースとなって成立してる表現はあるわけですから。ちなみに、僕は今話したような「薄い体験のようにみえる原体験から培う表現的感性」について、2015年に『表現のたね』(モ・クシュラ)という本に書いています。
ともあれ話を戻すと、ご質問のように演奏の場所やラインナップに「自分なりの文脈」で筋を通してやるということになると、もちろん「お前は“本当”のこの曲(場所)を分かってねぇな」っていう意見は当然出てくるとは思います。でも僕としては、チョット乱暴かもしれませんが「そういうことを言う人は来なくて結構」と思いますね。
◆「批評」と「日常」、そしてこれから
―これは私たち〈アレ★Club〉のWebマガジン「コレ!」にも通じる話なんですが、アカデミックな人たちや批評をやってる人たちの中には「特殊な体験でもないのに、それを題材に何か語ってどうするんだ?」と言う人もいます。でも、「コレ!」がなぜ『アレ』よりももっと個別具体的な人々にとっての「コレ」を取り上げているのかというと、「特殊なものを題材にしないといけない」ということに対して「自分は特別な体験をしたことがないから」と気後れしてしまう人がいるのはもったいないと考えたからです。その上で、様々な人々の「コレ」を発信していくことで「別に世間的に見れば大したことのない自分の日常や生活を題材にして批評をしたっていいじゃないか」ということをやることが「コレ!」のコンセプトの一つにもなっているのですが、アサダさんには「日常」や「生活」を題材に何かを表現する、あるいは語るということに対する思いって何かありますか?
批評の文脈に乗って言えば「批評は必ず文字にしないといけないの?」と考えることはありますね。くだけて言えば「『Instagram(インスタグラム)』や『Tik Tok(ティック・トック)』じゃダメなの?」と。僕としては、『インスタ』で食べ物の画像をシェアするとか、その投稿に「いいね!」するとか、そういう人々の日常を話題にすること自体はありふれたことであって、むしろ問題なのは「それをどのように意識化するか?」ということだと思うんですよね。だけど、批評家がやってることと『インスタ』的なことが分断されてるという現実はあると思います。
例えば〈ココルーム〉における日常って相当批評性が高いし、そこでは実際に批評的な言語も飛び交っています。詳しくは僕も関わった上田假奈代さんの『釜ヶ崎で表現の場をつくる喫茶店、ココルーム』(2016,フィルムアート社)という本を読んだり、できれば実際に〈ココルーム〉に行ってみたりしてほしいんですが、あそこでは色んな人々が共存しているけれどお互いに浸食はせず、でも人々が集まってご飯を食べたりお酒を飲んだりしています。その人たちは、〈ココルーム〉の中にいれば見える場所にいるんですね。僕はここが大事だと思っていて、〈ココルーム〉は《批評において使われる言葉》と《日常で使われる言葉》が同時に体験可能で、それらがどうやって繋がっているのかを可視化できるような場所になっているんです。なので批評家の人たちには、そうした異なる言葉が交差したり連関する場所や体験についても考えてみてほしいですね。
―とすると、「批評」とは私たちのコミュニケーションを可視化する行為であり、「批評」と「日常」の間にある境界は特に気にしなくてもいい、ということでしょうか?
僕個人が「『批評』と『日常』の境界」のようなものについて課題を感じていないという意味ではそうですね。むしろさっきも話したように、「批評」にせよ「日常」にせよ、それらがどういう時にどういう経験によって意識化されるのかの方が大事だと思います。例えば編集者で写真家の都築響一さんがやってらっしゃるような仕事は、そういう境界に注目してやってらっしゃるのかなと思いますね。都築さんの作品は見ていて理屈抜きで面白いっていうところを兼ね備えつつ、やっぱり都築さん自身の批評的視点が確実にあるんですよね。でも、都築さん自身は「批評家」としてそれを語ることをしない。つまり、批評の持つ「ふるまい」みたいなものは、それが「批評」と呼ばれていないところで沢山獲得されたり、あるいは醸成されたりしているものだと思うんです。そういう「批評」の外にある批評にもっと目を向けてもいいかもしれません。
あと、こういうことを一番手っ取り早くやるには、実は家族の中で考えるのがいいかもしれないと最近は考えています。食卓でメシを食いながら、子供の発言に対して親が真顔で答える、みたいな感じで。実際、僕も今自分の子供と喋っていて、そういう風に思うことが多いですね。僕からすると「なんでこんなことやってるんやろ」って部分は沢山あるんだれけど、子供には子供なりの理由がちゃんとある。なので、「子供だから」と切り捨てるんじゃなくて、まずは真顔で話を聞いてみる。そうすれば、こっちとしても結構得るものがありますから。
―最後の質問です。『アレ』Vol.3の時と同じ質問ですが、これから新たな「場所」作りを始めていかれることも踏まえて、アサダさんご自身は今後どのように生きていかれますか?
まず、「場所」については頑張って作っていきたいと思います。ある空間の中で仕事をさせていただいてるってことを踏まえた上で、それをきちんとやっていきたいですね。それと並行して、今後も執筆活動はやっていきます。ちょうど今、平凡社さんのWebマガジン「ウェブ平凡」で「『家族』という場所はどういうものなのか?」をテーマに「ホカツと家族:どんな場所でも“親”になる」という連載をしているんですが、内容としては保育園の待機児童問題に始まって、自分の家族や他の家族の価値観の違いについても考えていくっていうものになってます。これはおそらく来年に書籍化できるかな。
あと、『ソトコト』を出版してる木楽社で新しい本を書いていて、ここでは「ルーズプレイス」っていう概念を考えています。「ルーズプレイス」っていうのは、余白があって、ヘンテコで、一見すると何の目的でやってるか分からないんだけど、そのルーズさに支えられている場所って意味なんですが、これは僕がやってきたような名付けようのない場所作りをちゃんと考えようと思って打ち出した概念なんです。この本は、編集者を外部からも募集していて、現在は6人で色んな話題について会議する形で作っているんです。なので、今後は「ルーズプレイス」ってことを理論面はもちろん、僕自身の表現活動自体にも取り入れていって、書くことも「場所」にしていくってことをやっていきたいですね。
―今後のご活躍を楽しみにしております。本日はどうもありがとうございました。
【注釈】
(※1)
2016年から大阪市立大学都市研究プラザの特別研究員(文化創造ユニット所属)として、〈ボーダレス・アートミュージアムNO-MA〉の活動や〈kokoima〉の活動を現場に関わりながら執筆している。その一部は、日本看護協会出版会のウェブマガジン「教養と看護」での連載「超支援?!:支援現場に表現的まなざしを向けてみる」を参照。
(※2)
建築家の塚本由晴が提唱した概念。「コモンズ(commons)」のようにシェアをすることで量的に減るような対象ではなく、個々人のスキルや知恵など持ち寄ることで新たな気付きを得たり、それらを伝搬させることで増やすことができる対象のこと。詳しくは『アレ』Vol.3に収録にされている同氏のインタビュー「『コモナリティ』から考える日本の暮らし」を参照。
[記事作成者:アレ★Club]