『バタイユ入門』:理性と非理性の深淵の思考【山下泰春の「入門書」入門(第9回)】


◆バタイユとは「誰」か

かつてドイツの哲学者フィヒテは「人がどのような哲学を選ぶかは、彼がどのような人間であるかにかかっている」と述べたことがあるが、「人がジョルジュ・バタイユを経由した時に何を感じるか」は、個人的にはその人の人となりを理解する上でかなり重要だと考えている。ただのパリの国立図書館職員で、破滅的な放蕩生活を送っていたバタイユの著作は、その肩書きや私生活からだけではおそらく想像不可能な水準で多岐に渡っており、彼のどの部分を評価し、どの部分に反対するかについては、今まで接してきた人たちの間でも意見が分かれる部分が大きかった。

おそらく多くの人は、彼を『眼球譚』(最近では『目玉の話』とも訳される)や『マダム・エドワルダ』の著者、つまりは小説家として見ているのではないかと思う。有り体に言えば、どちらも卑猥で救いようのないストーリーで、しかしそのインパクトゆえに、多くの読者を集めた作品だ(ちなみに、これらをヌーヴォー・ロマンの先駆けだと評価する人もいる)。また、他のバタイユの小説、例えば『空の青み』では、物語終盤で男が墓地で女を押し倒し、身体中に泥を塗りたくるシーンがある。どこか幻想的で、それでいて死を予兆させる。

もしくは、現代思想を少しでもかじったことがある人物であれば『エロティシズム』、さらに最近では『呪われた部分』や『有罪者』などがちくま学芸文庫から訳出されていることもあり、「ポスト・モダン」と呼ばれる思想的潮流に影響を与えた人物であり、20世紀最大の思考家の一人として数えられているということくらいは知っているかもしれない。しかし、『エロティシズム』はその名の通りエロティシズムを、『呪われた部分』は経済学を、そして『有罪者』は哲学的断章(ただしその半分近くは日記という形式である)であり、こうしたカテゴリーだけを見れば、バタイユという人物は文字通り「何をやっているのかよく分からない人」である(本人自身もよく言われていたらしい)。

◆理性の極限へ

そんなバタイユという人物についてまとまった形で知るための本として、今回は酒井健の『バタイユ入門』(1996,筑摩書房)を紹介したい。バタイユは訳書こそ多くあれど、入門書となると途端に数が少なくなる。これはある意味当然と言えば当然で、彼はいわゆる「哲学者」ではないし、バタイユ本人自身も「私は哲学者ではない。聖人か、さもなければ狂人だ」とさえ宣うような人物だった。もしかすると、このような「入門書」があること自体、彼は鼻で笑うかもしれない。

しかし、それでもなおバタイユが提起した様々な問題は根源的なものであると言える。とりわけ「理性」に対するそれは、最も徹底的に批判された。近代以後の西欧において、理性とはとにもかくにも人間性を特徴付けるものであり、それに反すると目されたものは、よくて批判され、大概の場合は無視された。そして、こうした非理性的なものを、あえて理性の力によって乗り越えようとしたのがバタイユであった。そうした非理性的なものの一例が、浪費、残虐行為や妄想などである。

上記のような例は、最初は「低い唯物論(あるいは低次唯物論)」として主題化され、彼が主宰する雑誌『ドキュマン(Documents)』(1929~1930)において論じられた。酒井によれば、「低い物質」とは「人間と自然界の奥底に潜む非理性的な力」のことを指しており、そうした「低い物質」を表出させている事物を写真などを通じて紹介することにより、読者に聖なるものの感覚――恐怖と陶酔の入り混じった感覚を触発させようとバタイユは試みたのである。

◆「低い物質」から「聖性」へ

バタイユの「低い物質」に対する視点は、その後は「低い物質」が呼び覚ます「聖性」の方へと重点が置かれるようになる。その一つの結晶が、彼の主著である『内的体験』(1943)である。ここでの「内的体験」とは、いわば神秘的体験のことであり(バタイユはもともと敬虔なカトリック教徒だったが、1924年には棄教している)、酒井はそれを次のように説明している。

バタイユの神秘的体験は西欧の個人主義的自由を擁護するためにあるのではない。彼の恍惚〔=脱自〕の体験は、逆に、個人の殻、個人という存在の全一性に対する否定である。この体験においては内部の力が噴出して個人の一体性が破られる。この個人の破綻を言うためにバタイユは、「亀裂」、「裂傷」、「開口部」なる言葉を用いた。(P.132-3)

このように、バタイユの内的体験は、何よりもまず西洋的な「個人」という存在のあり方を破壊するものであった。個人、つまり「分割可能(divisible)」という言葉に否定を意味する「in」が接頭辞についた「個人的な(individuel)」存在というものに、さらなる「亀裂」を加えるというイメージである。そして、そうした破壊を通じて、バタイユは人間同士(さらには人間と宇宙)の真の繋がり、彼が言うところの「交流(communication)」が可能になると考えた。これは端的に言えば、人間同士を結び付ける漠然としたエネルギーの流れである。

さらにこの「交流」は、上述した聖なるものを通じて可能になると言ってもいいだろう。事実、バタイユは1939年に「聖なるもの」というタイトルの小論の中で、「聖なるものとは共同的な一体性の特権的瞬間、通常抑圧されていたものの痙攣的な交流の瞬間に過ぎない」であると述べている。つまり、この時点のバタイユにとって「聖なるもの」は、個人を切り裂きながら、それでいて共同性を呼び覚ますアンビバレントなものである。

◆バタイユの可能性

戦後、バタイユはこれまでの世界において聖性がどのように現れてきたのかを本格的に探求するようになる。その格闘の様子は、『呪われた部分』(1949)で示されている。彼は古代アステカ文明からソ連に至るまでの、社会における「消費」のあり方の探究を通じて、人間の実存の回復ならびに聖性による共同体の可能性を模索していた。後者については、ジャン=リュック・ナンシーが『無為の共同体』を、バタイユと親交があったモーリス・ブランショが『明かしえぬ共同体』をそれぞれ執筆し、その後を引き継いでいる。

さて、冒頭で触れた『エロティシズム』という書は、バタイユのこうした背景があって誕生したものである。事実、彼の『呪われた部分』の構想は、もともとは「全般経済学(あるいは普遍経済学)の試み」として、その後にエロティシズム論と聖性論が予告されていた(この構想はバタイユの病気のこともあり頓挫したが)。つまるところ、エネルギーの消費という行為の徹底した形式(彼の言葉で言えば「消尽」)が、エロスや聖性の問題に繋がると考えていたのだ。そして、このエロティシズム論が独立して書かれたものが『エロティシズム』である。

もしもあなたがバタイユを小説家として、あるいは神秘家としてのみ捉えているならば、是非ともこの『バタイユ入門』を一読して欲しいと思う。ミシェル・フーコーをしてバタイユを「今世紀最大の思想家の一人」と評価せしめるのは、現代でも汲み尽くせない彼の思想的エネルギーの無尽蔵さにあるのだ。そんなバタイユの足跡を知る上で、間違いなく最良の手掛かりになるのが『バタイユ入門』だろう。

[記事作成者:山下泰春]