◆はじめに:この連載について
筆者が副代表をしている<アレ★Club>では、機関誌としてジャンル不定カルチャー誌『アレ』を半年に一冊のペースで刊行している。そんな活動をしているためか、筆者はよく人からこう尋ねられる。
「市川さんは、文化的なことが好きなんですよね」
だが、それは誤解だと言わねばならない。筆者は「文化」というものがどうにも好きになれないのだ。
無論、筆者とて文化に毎日浸りきって暮らしている。通勤の乗り換え駅で食べる駅そばはささやかな日々の楽しみになっているし、落ち着いて時間ができた時にはスマホゲームもする。好みの音楽もあるし、好みの種類の家具もある。全く文化的だ。文化は私たちの日常を満たしているし、文化は私たちの生活を快適で楽しいものにしてくれる。
しかし、それでも筆者は文化というものを手放しに好きになることができない。それは、文化が壮大で言語化の難しい「アタリマエ」の体系として立ち現れてくるものだからだ。
このことが明らかになる状況として、まず第一に「私たちの前に、私たちが『アタリマエ』だと感じる決まりに従わない者が現れた場合」を挙げることができる。たとえば、レストランで食事をしている時、隣の客が一般的なマナーを守らず、ひどい態度で食事をしているのを見てしまった時がそうだ。そうした時、私たちは私たち自身が普段当然のように守っているルール、それゆえにことさら意識することのないルールの存在を意識せざるを得ない。このようなケースでは、私たちの「アタリマエ」に他者がぶつかってきている、と言えるだろう。ぶつかられた私たちは、表現しにくく、その上どうしてそう感じるのかもよく分からないような不快感を覚えることになる。
この他にも、文化が「アタリマエ」の体系として立ち現れるような第二の状況がある。それは、第一の状況とは逆に「私たち自身が、他の者たちの見知らぬ文化にぶつかった時」だ。そうしたケースでは、私たちの方が他者の「アタリマエ」にぶつかることになる。他者の気分を害してしまったことに気付いて謝る際、ついうっかり「どうしてそれほど怒るのか?」と尋ねてしまい、結果として「アタリマエだろう」、「常識がないのか」、「普通はそう感じるのだ」などと言い返されて、却って「自分は普通ではないわけだな」と思わされたという経験があるという人も少なくないと思う。
いずれにせよ、人が持つ「アタリマエ」という感覚は不意に揺さぶられるものであり、その結果として自他の間には壁ができてしまうことがある。しかし、そうした壁を上手く解きほぐすことは難しい。なぜなら、蓄積された「アタリマエ」が生み出す感覚は、簡単に言葉で表現できるようなものでもなければ、言葉で表現されてすぐに共感できるようなものでもないからだ。
◆「文化」という壁
文化は壁になる。筆者は各地を転々として育ってきたが、そのたびごとにそうした「アタリマエ」の壁にぶつかってきた。私が文化を手放しで好きになれないのは、そうした幼少期をつい思い出してしまうからだと思う。
文化の違いは様々なところに存在している。今日において特に話題になるのは、海外旅行客や移民の増加による外国人との間の文化の違いだろう。そうした文化の違いはポジティブな笑いや楽しみを生み出すこともあるが、往々にして生活の悩みであったり、あるいは政治的な緊張に繋がってしまいがちである。
だが、この連載で筆者は、それとは別の種類の「文化の違い」を取り上げようと思う。それは、大人と子供の間にある文化の違いである。どの時代でも、大人と子供とでは「アタリマエ」とするものは違ってきた。大人が生きてきた世界と、子供が生きてきた世界は違うからだ。
しかし、大人も子供も、ことさらに自分たちが生きてきた世界を語ることは少ないのではないだろうか。というより、じっくりと考えれば「自分たちが生きてきた世界を語る」ということ自体が、実は結構難しいことだと分かるのではないだろうか。
なぜ自分たちが生きてきた世界について語ることが難しいのか、その理由は、他の世代に対して語るに値するものを自身の経験から選び出すためには、他の世代と自分の世代との違いを知っていなければならないからだ。相手のことを十分に知らない状態では、相手にとって新しいことを語ることは難しい。
それでも、そうした困難を超えて、相手がどのような世界を生きてきたかを知ることは、相手の感じ方や考え方に近付く上で有効な手段になり得る。相手と同じ展望を生きることは不可能でも、部分的に相手と同じモノを見ることができれば、それ以前よりも相手の行動の理由が分かるようになるからだ。
◆この連載の目的
この連載の目的は、そうした困難を超えるための「あるシンプルな方法」を実演することだ。その方法とは、「数字を読むこと」である。平均気温に平均年齢、相撲の視聴率や殺人事件の件数……そういった統計量を読むということを通じて、過去を、つまりは自分とは違う世代の人々が持つ「アタリマエ」を垣間見ることで、自分が生きてきた世界について知り、同時に自分とは違う世代の人々との違いについて知ることを提案したいのである。
無論、数字は物事の一部を切り取っただけのものに過ぎない。一種類の数字をもって別の国や別の時代をバッサリと論じて分かった気になってしまうことは避けねばならないだろう。
とはいえ、数字は何もないところから出てくるものではない。数字は現実から出てくる。ゆえに、数字を読むことは確かに現実の痕跡を読むことではあるのだ。勇み足になることには気を付けつつ、これから数字を通して過去を垣間見てみよう。
◆光化学スモッグと数字
さて、今回注目するのは「光化学スモッグ」である。具体的には、その発生日数と被害届出人数を取り上げようと思う。
その前に、まず光化学スモッグが何かということについて簡単に説明しておこう。光化学スモッグとは、自動車や工場の排ガスや大気中のチリなどの原因物質(その主たるものは「光化学オキシダント」と呼ばれている)が、日光に含まれる紫外線によって化学反応を起こして発生するスモッグのことである。
高濃度の光化学スモッグが発生すると、空に白っぽくモヤがかかる。この光化学スモッグは動植物に対して有害であり、人間の場合は目がチカチカしたり喉が痛くなったりする。重症例では、嘔吐や呼吸困難をもたらすケースもあるようだ。
この光化学スモッグは、日本では1970年7月19日に初めて発生が大々的に取り上げられた(※1)。前日の7月18日に発生した光化学スモッグによって、東京都内で5200人、埼玉県で407人もの人が健康被害を訴えたと言われている。東京都に限っても、同年の健康被害届出人数は10,000人を超え、その翌年の1971年には28,223人もの人が健康被害を訴えている(※2)。
しかし、光化学スモッグによる健康被害届出人数のピークはそこまでで、それ以降は増減を繰り返しつつ、被害報告の数自体は収まってきている。光化学オキシダントの健康被害届出数は、現在では全国でも年間50人程度しかいない(※3)。筆者の周りでも、光化学スモッグによって健康被害が出たといった話は特に聞いたことがない。
とはいえ、このことをもって光化学スモッグが過去のものになったと言い切れるかというと、それは少し怪しいようにも思う。実際、光化学オキシダント注意報には「1時間値が0.12ppm以上」などのそれなりに客観的な基準が以前からあるにもかかわらず、その発令日数は特に減っていない。確かにグラフから長期的な発令日数の減少傾向は認めることができるかもしれないが、その減り幅は数万人から百人未満へという健康被害届出人数の変化を説明するには、少し弱いのではないだろうか。
この奇妙な乖離の原因については、何通りも考えることができる。もしかしたら、子供の頃からこの空気が「アタリマエ」になってしまって、多少夏場に目がチカチカする程度では健康被害だと騒がなくなったのかもしれないし、あるいは実際に深刻な健康被害を起こすような重度の大気汚染が減少したからかもしれない。
◆おわりに
以上、簡単にではあるが光化学スモッグを例に数字から過去を垣間見てみた。今筆者が言ったような疑問がたくさん湧いてくること自体、寡黙な数字を読むことで得られる楽しさの一つであると言えるだろう(とはいえ、健康被害を実際に自分が被ることは避けたいが……)。
ところで、こうした疑問について私たちはどう向き合えばいいのだろうか。もちろん、疑問と戯れるのも一手だろうし、疑問から一歩深めて小説のアイデアなどを作り出すというのも一手だ。あるいは、こうした疑問にぶつかったことをきっかけに、本腰を入れて学問的に探求を開始するというのもいいと思う。しかし、筆者はそれらとは違う、もう一つの案をここに付け加えたい。
それは、その当時を生きた人と「一緒に数字を眺めながら」、その人に「当時の話を聞いてみる」というものだ。無論、光化学スモッグが話題となったのは随分と昔の話だから、得られる証言がそのまま真理であるとは限らない。たとえ当事者であっても、何回も思い返すうちに記憶が変形してしまうというのはよくあることだ。それでも、一緒に数字を眺めながら話せば、双方に様々な発見があるだろう。
誤解を恐れずに言えば、数字は現実の不完全な切れ端に過ぎない。しかし、逆説的だがそれゆえに、数字には私たちに「実はこれにはこういう事情があって……」と語らせようとする力がある。この連載を通して、そうした力を宿している数字たちにもっと興味をもってもらえたら幸いである。
【註釈】
(※1)
「光化学スモッグの頻発(1970年)」(独立行政法人環境再生保全機構)
https://www.erca.go.jp/yobou/taiki/rekishi/03_04.html
(※2)
「光化学スモッグ注意報発令日数と健康被害者数の推移」(東京都)
http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2014/12/60oc9101.htm
(※3)
「平成29年光化学大気汚染の概要:注意報等発令状況、被害届出状況」(環境省)
https://www.env.go.jp/press/files/jp/108675.pdf
次回:「世間」はどこにある?:その見方、教えます 【「数字」から垣間見る過去(第2回)】
[記事作成者:市川遊佐]
〈アレ★Club〉副代表。趣味は業務改善と論旨構成。東京工業大学大学院博士課程修了。バイオインフォマティクスで工学の博士号を取ったが、色々とあって大学のアカデミックポストは諦めた。現在はアジャイル開発にハマっている。