喫煙の効用について

◆健康にも財布にも悪いタバコ

 先日、日本たばこ産業株式会社(JT)が2018年10月1日より、再びタバコの値上げを実施することがニュースとなった。こうしたタバコの値上げは2010年以来、実に8年ぶりに行われる。世間では受動喫煙防止案などをはじめとした禁煙運動がしばしば叫ばれているが、そんな時代に筆者はある種逆らって2年ほど前からタバコを吸い始めた。吸い始めた理由は長くなるのでここでは書かないが、筆者はタバコを吸い始めてから、タバコの「経済的でも医学的でもない別の効用」があるのではないかと思うようになった。

JT、たばこ150銘柄を10~100円値上げ 「プルーム・テック」「メビウス」など対象 (1/2)

 もちろんタバコは健康には悪い。さらに言えばぜいたく品の一種であり、お財布にも悪い。そんなタバコだが、別の側面から見れば(これは文筆業に関わっている人間特有なのかもしれないが)、「タバコミュニケーション」と言われるように、喫煙所でタバコを吸いながら雑談することで、新たな人脈や仕事を獲得したりする話はよく聞く。実際、筆者も喫煙所で新しい人脈を獲得したことがあった。

 そういう場合はたいてい「今の時代喫煙者は肩身が狭い」という話から入るのが定石なのだが、筆者は吸い始めた時期が遅かったため、実はあまり肩身の狭さを感じたことはない。これは単純に筆者の一日に吸うタバコの本数がさほど多くないため、そこまで周囲に健康被害をまき散らしていないからそのように思うだけかもしれない。

 だが、それでも外出先でタバコを吸うことはある。そこで、タバコにはむしろ今の時代、私たちが忘れがちなある種の行動を思い起こさせてくれる機能があるのではないかと思うようになった。それが、「立ち止まる」という行為だ(歩きタバコはしないようにしよう! 代表との約束だぞ!)。

◆喫煙の無目的性

 今の時代、なかなか人は立ち止まらない。わざわざ道端で立ち止まり、空を見上げたりぼんやりと外の景色を眺めたりする人は少ない。ショッピングモールに出かけるのは「買い物」をするためであり、それと直接に関係がないショッピングモールまでの「道のり」はただの「所要時間」で換算される数字上の距離でしかない。こうした買い物などの例をはじめとして、日常生活において目的もなしに「立ち止まる」ことはめっきり減っている。

 ここで「旅行をしている時には人は立ち止まるではないか」という反論もあるかもしれない。だがしかし、そうした旅行地で立ち止まって得られるものは、あくまで観光地のものだ。旅行地で立ち止まって眺めた景色や見上げた空が美しくても、それはある意味で事前に予想した通りのものだと言えるだろう。だが今日という日常において、街の中でタバコを吸うことは、それとは違うものを私たちにもたらす。

 それはなんだろうか。フランスの哲学者であるジョルジュ・バタイユは、タバコを吸うという目的で私たちが意図せず取ってしまう行動について、このように書き記している。

煙草をふかすことで、人は一瞬だけ、行動する必要性から解放される。喫煙することで、人は仕事をしながらでも〈生きる〉ことを味わうのである。口からゆるやかに漏れる煙は、人々の生活に、雲と同じような自由と怠惰をあたえるのだ。(『呪われた部分:有用性の限界』中山元訳、2010年、筑摩書房、PP. 131-2.)

前後の文脈を読めば、彼は喫煙を現代にも残る浪費の一例として考えており、それは日常的に行われる「祝祭」としての一面があるということを指摘していることが分かるのだが、ここではそうした論点には立ち寄らない。ともあれ、喫煙とは、私たちにある種の「無目的性」を呼び起こさせる道具の一つであるということだ。

◆「町を知るため」に喫煙する?

 また、バタイユは喫煙について次のようにも書いている。つまり、喫煙者は知ってか知らずか「周囲の事物と一体になる」と。それは彼に言わせれば喫煙の「魔術」であり、その「魔術」によって私たちは周囲の事物と一体となり、行動の必要性から逃れることが可能になるという。どういうことだろうか。

 実は、ここで立ち現れてくるものこそ、筆者がこの記事の冒頭に掲げた「経済的でも、医学的でもない」喫煙の別の効用なのだ。つまり、喫煙者が外出先でふとタバコを吸うために立ち止まるとき、私たちはタバコという空虚のために立ち止まるわけだが、それは有り体に言えば「タバコを吸うために、心に無が差し込む」ということなのだ。

 これは、他の言い方をすれば「次のアクションという目的のために身構えるということを止める」ということでもある。その結果として、私たちの意識の中に、普段とは違う仕方で、その出先の景色が入り込んでくる。そうすることで、私たちは街と一体化できるのだ。ここから筆者は、「町を知るためには一度無目的に立ち止まる必要がある」のではないかと考えた。

◆無目的性の活用

 私たちは自分が住む町を「どれくらい」知っていると言えるだろうか。毎年夏になると地元の河川敷で花火大会がよく見えるということ、あるいは何十年も続いている老舗の和菓子屋があること。こうしたことはあなたの住んでいる地域でも考えられることかもしれない。だが、そこから見える空はどのような眺めだろうか、あるいはそこに住んでいる人たちの日常のふるまいはどのようなものだろうか。こうしたことは、「花火大会を見に行く」とか「贈り物をするためにその店に寄る」といった目的ありきの行動だけでは見えてこない景色なのではないだろうか。

 こうして考えてみると、あらためて「無目的に行動すること」の難しさが浮き彫りになったのではないだろうか。水辺での釣りやパチンコなど、確かに「無目的になる」ために役立つと言われる行動は他にもある。しかし、街中でそれを行うのは、喫煙ではない他の方法ではなかなか難しいように筆者には思われた。

 喫煙を始めれば簡単に(下手すると何度も)立ち止まることになる。確かに喫煙は肺にも財布にも優しくなく、「百害あって一利なし」の行為だ。だが、そうした無益な行為を通してこそ、新たな発見の糸口が隠されているのかもしれない。

[記事作成者:山下泰春]

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