前回:『理性の限界』:人間はどこまで「可能」か?【山下泰春の「入門書」入門(第2回)】
◆グローバリゼーションの只中で
現代がグローバル社会と呼ばれるようになって久しい。少し足を伸ばして都会に出れば(あるいは観光地へ行けば)英語やフランス語の会話が聞こえてくるし、ドラッグストアに行けば日本人と思われる店員が、中国語でプロモーションを行っている姿が目に入る。今回は、そうしたグローバリズムを貫く資本主義について少しでも見識を持っておくためにも、現代でも通用するカール・マルクスの『資本論』入門とでも言うべき本を紹介したい。
その前に、まずはカール・マルクスについて触れておこう。マルクスと言えばいわゆるマルクス主義の元祖で、社会主義・共産主義思想の「親玉」として目されている人物である。今から半世紀前の1968年、世界中を巻き込んで勃発した学生闘争の理論的支柱となった存在の一人だ。そして彼が、盟友であるフリードリッヒ・エンゲルスと共に資本主義社会がいかにして形成されたのかを解明し、その理論の集大成として世に出した本こそが『資本論』である(※1)。日本語に訳された文庫本だけでも9巻に及ぶその分厚い本は、はっきり言って読み解くにしても非常に骨が折れるうえに、それをただただ読んだからと言って何か明確な知識が得られる訳ではないだろう(※2)。
また、1980年代末から1990年代初頭にかけて起きた「社会主義政権」の崩壊によって、社会主義はもはや「古臭い」ものと唾棄され、あまり省みられなくなっている。そんな中でも、スラヴォイ・ジジェクやアラン・バディウのようなマルクス主義者は根強く残っており、グローバリズムの瑕疵を厳しく追及している。その批判の内実はさておくとして、「マルクスはまだ死んでいない」といった言説は(マルクスが『共産党宣言』の冒頭で書いたように)まさに亡霊のように甦り、こと日本においてもしばしば「マルクスを読み返そう」といった主題の本が多数散見される。
◆『資本』について
しかし、結局マルクスの思想はどのようなもので、現代においても通用するマルクスの思想はどのようなものなのかはあまり知られてない。その上あまりに膨大な文献が既に存在しているため、今から新たにそれらを知ろうとするのにも大変な困難が伴う。そこで今回は、現代でも通用する『資本論』の射程をうまく引き出した良書として、崎山政毅著の『資本』(2004年、岩波書店)を紹介したい。
この本は、岩波書店が「思考のフロンティア」という叢書の一つとして出版された本であり、他にも『公共性』(斎藤純一著、2000年、岩波書店)などの良著が出版されてから数十年経過した今でもなお名著として挙げられる。そのため、気になったテーマがあればまずはこの叢書を繙いてみるのも「実際に使える知識」を得るうえで有益だろう。ともあれ、本の内容について説明していこう。
まず、この本はよくある『資本論』の入門書ではない(※3)。もちろん、『資本論』の重要な核となっている価値形態論や商品の物神性(フェティシズム)などの解説は行われてはいる。初学者にとってはこの辺りの展開は非常に煩雑に思われるかもしれない。だが、要旨を読み解くだけならそこまで苦労はしないはずだ(また、難解と思われる部分は適宜図示されている)。著者が強調するように、重要なのはむしろそれらの理論から見えてくる現代社会の問題の方である。
◆『資本論』とクレジットカード
例えば崎山は、私たちが使うクレジットカードをグローバル金融資本主義におけるフェティシズム、つまり価値転倒の例として指摘する。普通であればクレジットカードを使うのは私たち人間の方である。だが、クレジットカードがそもそも「貨幣支払いを行える存在としての信用」が物質化したものであることに注意すると、オンライン決済などで支払いを行う人物は、私たちの生身の身体ではなくむしろ「カード・ホルダー」としての人物である。というのも、私たちはオンラインで買い物をする際、自分の情報とともにカード情報も入力する。また、これと同様にカード会社の情報を参照することで、私たちは実店舗でもクレジットカードを使って買い物をする。そのため、私たちは単なるプラスチック片でしかないはずのクレジットカードの付随物に過ぎない存在となっていると崎山は看破する。
彼は続けて、こうした「支払う人物の転倒」の例に関する別の側面をも指摘する。それはつまり、クレジットカードの情報保護にまつわるものだ。情報保護が行われる大抵の理由は、ハッキングやクラッキングによって個人情報が流出することで、自分ではない別の誰かによって買い物がされるのを防ぐためだ。だがこうした犯罪は、彼によれば「『正規の』カード・ホルダーであろうとなかろうと、クレジットカードがクレジットカードとして機能してさえいればいい」という状況が生み出す事件であるという。つまりクレジットカードがとにもかくにも機能する関係さえ続いていれば、結果的に様々な混乱が生じようとも、売買行為もまたスムーズに機能するのだ。
こうした異様な状況は、さらなる監視社会化につながると崎山は指摘している。実際、それは情報化社会の真っ只中にいる私たちにとって身近な問題であることは間違いないだろう。例えば2015年から実施されたマイナンバー制度は、2018年7月末には「スマホによるマイナンバーカード機能の搭載」にまでその範囲を拡大しようとしていることがニュースとなった。未だにその利便性よりはむしろ危険性が声高に叫ばれているマイナンバー制度だが、上記の論旨を踏まえるとなおのこと安易に乗っかるべきではないのかもしれない。
◆資本主義の読み解き方
ともあれ本題に戻ると、現状私たちを取り巻く様々なネットワークの網は、確かに複雑だ。だが、その問題となっているものがどういう状況によって発生しているかを読み解く上で、この崎山の本ほど参考になる本はあまりないのではないかと筆者は考える。崎山は、上記のクレジットカードの例の他にも、人種主義やフェミニズム運動、さらには海賊版ソフトウェアの話などを取り上げ、それらの問題がマルクスの『資本論』の理論上の延長として読み解けるという視座をもたらした。彼は、安易なマルクスの絶対視(聖典化)はそれこそフェティシズムに過ぎないが、同時に安易な過去の放逐もまた素朴な進歩史観への信仰告白でしかないと喝破する。
もちろん、マルクスの理論の基礎を学ぶ上でもこの書は有効だろう。この書では触れられていないマルクス主義の歴史については、例えばD・マクレランの『アフター・マルクス 』(重田晃一ほか訳、1985年、新評論)は非マルクス主義者の立場から解き明かしているし、最近であればミヒャエル・ハインリッヒ『21世紀のマルクス入門』(明石英人ほか訳、2014年、堀之内出版)がその歴史を概括した上で、新しい『資本論』の読み方を提示しているので参考になる。また、マルクス理論のさらなる探求を行う場合、初期マルクスの鍵概念である「疎外論」をテーマに取り扱い、さらにマルクス主義から環境問題を捉えた田上孝一著の『マルクス疎外論の視座』(2015年、本の泉社)、あるいは『資本論』第三巻の主要なテーマである「貨幣の資本への転化問題」については時永淑著の『『資本論』における「転化」問題 』(1981年、御茶の水書房)などは非常に重要な書であろう。
時代によって度合いこそ異なれども、悪いことは相変わらず続いている。なんだかんだで資本主義は形を変えながら生き長らえている。少なくともそうした現状が続いている今、あらためて私たちがどういう状況に置かれており、どういう問題があるかを認識するためにも、この書を読んでみてはいかがだろうか。
【注釈】
(※1)
ただし、マルクスが存命中に出されたのは第一巻のみで、第二巻および第三巻はエンゲルスが編集し直したものだ。
(※2)
よくある誤解として、『資本論』は人を煽動するために書かれたアジビラだと言う人がいるが、それはどちらかと言えば『共産党宣言』の方がそれに該当するだろう。
(※3)
『資本論』の入門書としては、マルクス自身がまさに『資本論』入門のための手引書として書いた『賃労働と資本』や『賃金、価格および利潤』などが有益だろう(また、これらは光文社の古典新訳文庫として一冊にまとめられている)。
次回:『ニーチェ入門』:ニーチェは名言botじゃない【山下泰春の「入門書」入門(第4回)】
[記事作成者:山下泰春]
〈アレ★Club〉代表。大阪大学大学院博士後期課程に在籍中。専門は戦後ドイツ思想の傍流だが、最近は色々と浮気しがち。動物(特に有蹄類)が好き。機関誌『アレ』から本サイトまで、〈アレ★Club〉の活動全般に関わる。
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